芝川邸を設計した武田五一は、明治34年(1901)から約2年半欧州へ留学し、帰国直後、貿易商福島行信の依頼を受け、日本で初めて当時欧米で流行していたアール・ヌーボー様式を取り入れた住宅を設計した。その後、議院建築視察のため再度欧米視察をし、帰国後、芝川又右衛門より洋館の依頼を受け、ヨーロッパのグラスゴー派やウィーンのゼツェッションと数寄屋など日本建築の伝統とを融合した芝川邸を建てた。
芝川邸は何度か増改築がなされており、現在確認できる範囲では、昭和2年(1927)に和館増築に併せ、洋館の外装など現在見るような姿に大きく変更された。芝川邸は、日本における郊外住宅の魁ともいわれるものであるが、阪神大震災の際、被害を受けた。平成7年(1995)秋解体され、明治村に移築されることになり、平成17年1月に修復工事に着手し、平成19年9月に竣工した。
外壁は杉皮張、1階ホールは聚楽壁に網代と葦簾を市松状に用いた天井が用いられ、2階の座敷には暖炉が設けられるなど、全体として和の中に洋があしらわれた意匠であったが、関東大震災後の昭和2年に、隣接地に和館を増築する際、耐火を意識し、外壁はスパニッシュ風な壁に変更された。 関東大震災の際、木造建築が火災で大きな被害を受けたことから、外壁にスパニッシュ風な壁を用いることが大正末から昭和初期にかけて、特に関西を中心に大流行した。日本でスパニッシュと呼ばれる建築様式は、スペイン系建築様式の影響を受けたアメリカの建築様式に影響を受けたものである。 武田五一は終生この芝川邸と深い関わりを持ち続け、創建時および度重なる増改築の際の図面や家具の設計図が遺されている。

網代と葦簾の天井にプロペラ状の照明器具。

洋室の換気孔はトンボのデザイン。

和室の襖の奥に暖炉が設置されている。

応接室の暖炉。

北側の部屋のガラス窓の向こうの手すりにハートのマークがある。

玄関ホールの脇にステンドグラスが嵌め込まれている。

武田五一デザインの照明器具が復元されている。

豆電球のところにもハートマーク。

洋式トイレ。床のタイルデザインがシンプルで洒落ている。

手荒いと鏡台。