後楽園を抜けて旭川の川端に出る。正面に岡山城が聳え立っている。
天正元年(1573)宇喜多直家が、岡山の石山にあった城砦に入城し大改築して居城とした。その子秀家は、天正18年(1590)秀吉の意見に従い、石山の東「岡山」に本丸を移し城郭の拡張整備を開始し、慶長2年(1597)天守閣が落成した。秀家の築いた天守閣は、二階建の建物を大中小の三つに重ねた3層6階の構造で、外壁の下見板が黒塗りであったことから「烏城(うじょう)」の別名がある。
この天守閣は、昭和6年に国宝に指定されたが、昭和20年空襲により焼失した。現在の天守閣は、昭和41年に鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、外観は全く旧来の通り復元されている。
岡山城本丸の北西角を固める隅櫓月見櫓は、焼失を免れ、国の重要文化財に指定されている。池田忠雄(ただかつ)が岡山城主であったときの城郭整備に伴い、元和年間から寛永年間前半の時期(1620年代)の建築である。

旭川と岡山城

表書院と本殿(天守)を結ぶ廊下門

月見櫓 国指定重要文化財

鉄(くろがね)門

岡山城天守閣

天守閣礎石

天守最上階から眺めた後楽園

太鼓櫓の石垣