弘誓寺の北側に近江商人屋敷が連なっている。そのひとつが「外村繁(とのむらしげる)邸」である。「外村繁邸」は、明治28年(1895)、代表的な近江商人外村宇兵衛家の4代目宇兵衛の妹に婿養子吉太郎を迎えて分家したのが始まりという。吉太郎は宇兵衛本家の京都店の勤めから、明治40年に独立、東京日本橋と高田馬場に呉服木綿問屋を開き活躍した。この屋敷も五個荘商人の本宅として、家族や番頭・女中が生活した大きな主屋や蔵があり、また書院や広い庭は来客の接待場として利用されていた。
吉太郎の三男が、私小説家として知られる外村繁(1902-1961)である。三高をへて東京帝国大学経済学部へ進んだ。在学中に梶井基次郎、中谷孝雄らと同人誌「青空」を創刊。大学卒業後、家業の木綿問屋を継ぐが、昭和8年(1933)家業を弟に託し、小説家として再出発し、『鵜の物語』を刊行した。昭和10年(1935)「草筏」で第一回芥川賞候補となる。近江商人を題材とした『草筏』(1938)、『筏』(1956、野間文芸賞)、『花筏』(1958)三部作のほか、『澪標』(1960)で読売文学賞を受賞した。

近江商人屋敷「外村繁文学館」。

庭園。

外村家に伝わる江戸時代中期(宝暦年間)の「有職雛」。

明治13年に作られたお雛様。狆引き官女や鳥籠の番の鳥などもある。

座敷に続く蔵は、「外村繁文学館」となっている。

外村繁の写真。

展示内容。

中庭。蔵の前に江戸末期に作られた「陶狸」が置いてある。

大きく目を開き、社会情勢を見据えるという意味の「陶狸」。

外村邸2階にもお雛様。

2階座敷。

蔵の外観。

2階から西、繖山(きぬがさやま)を望む。

案内パンフレット内容。