ちょっと愚痴を言いたい気分になった。これから当分、分刻みのスケジュールで仕事をこなして行かなければならない。今抱かえているノルマは、図書選定会議に向けての予算折衝・資料作成と諸会議、生徒図書部書店購入の付添と処理、図書館研究会関係(県総会・高校部会総会への参加、名瀬地区総会の準備、分科会の希望割り振り・総会資料の作成・発注、夏期研修会の準備ー講師との折衝・市政資料館との調整)、柔道県個人戦・国体2次予選への付添、定期考査問題作成(2年と3年の2種類)と採点・成績処理(事情あって講師分の採点と得点入力も頼まれている)、教育実習生への対応・指導、NPO運営会議の準備・会議の運営、法務局への対応・書類交付手続き、都市景観室への提出書類の作成、そして母の介護・・・出張の授業変更のため空き時間はほとんどなしで、会議が続く。
さて、岩作城址(長久手町役場)から北を眺めると「石作神社」のある森が東西にのびている。
「石作神社」は、尾張国に勢力を持っていた石作連(やざこのむらじ)(石作氏)が祖先を祭った神社という。“やざこ(岩作)”という特徴のある地名は、石作連(やざこのむらじ)に起源があることは間違いないようである。
石作連は、石棺や石材を造っていた豪族の祖神であり、火明命の後裔である。垂仁天皇の后、日葉昨姫命が没した時、石棺を献上し石作大連の姓を賜った。
長久手の「石作神社」は、平安時代初期の承和元年(834)の創建伝承があり、石作一族がこの地域にどう関わっていたのか興味のあるところである。
「石作神社」は、延喜式神名帳には、全国で6社が記載されている。そのうち尾張国に4社が存在している。甚目寺町大字石作の石作神社、犬山市大字今井の石作神社、葉栗郡の石作神社(現岐阜県羽島郡岐南町)に該当する。岐南町の石作神社に伝わる説では、石作連と尾張氏は同じ祖先とされており、尾張氏が創建した可能性もある。

石作神社の森

石作神社入口

石作神社社殿

拝殿、本殿、摂社。

神楽殿

石作神社由緒

社額

石段を見下ろす。