慶長5年(1600)関ヶ原の戦い参戦後、丹羽氏は1万石の大名へと昇格し、三河国伊保(現豊田市内)へと移り、岩崎城は廃城となる。そののち岩崎城は、遺構を残したまま400年余りの間荒地となっていた。
昭和59年(1984)4月9日、落城の日に慰霊大祭が地元住民によって営まれ、これを機に古城跡を整備し保存することとなり、昭和62年(1987)展望塔・岩崎城が完成した。
元々の岩崎城は、平山城でその形態ははっきりとしていない。現在の展望塔・岩崎城は、一般的な近世城郭を参考に建てられたものである。
展望塔・岩崎城の一階には、「移り行く自然 日進の植物」という常設展示がされている。日進市内及びその周辺に見られる植物化石資料や大正時代以降の自然環境を写した写真を紹介している。また日進市で見られる草木花の写真も展示している。
二階では、日本各地の名城を写真で紹介。三階は、回廊。四階は展望室となっている。また、長久手の合戦と三河中入り作戦での各武将の進軍の様子もパネル展示されている。

一般的な近世城郭を参考に建てられた展望塔・岩崎城。

岩崎城の建設誌。

1階展示室。

2階には、紙で作られた鎧甲の作品が展示されていた。

「小牧・長久手の戦いと岩崎城」の解説パネル。

三河中入り作戦での各武将の進軍の様子の解説パネル。

展望塔からみた東方向の景色。