昨日は、橦木館のオープンの日であった。多くの方に訪れていただきお祝いの言葉をいただいた。NPOは裏方に徹するつもりでいるが、井元家の皆さま、市の関係者の皆さま、スタッフの面々、支えていただいた市民の皆さまに改めてお礼を申し上げたい。
さて、 「鹿ケ谷鈴虫松虫の剃髪得度」の場面東の一段高い場所に「肉づきの面」の場面がある。この話しは、時代が下って室町時代後期(応仁の乱の頃)の浄土真宗(一向宗)中興の祖である蓮如上人の時の話しである。
本願寺8世の蓮如は、越前の吉崎に拠点を置いて(吉崎御坊という)、御文(おふみ)の配布や講を組織するという手段を用いて布教活動を続け、北陸一帯に宗勢を拡大した。
吉崎から少し離れた金津に与惣次という農民が住んでいた。与惣次は夫婦ともに蓮如の教えに傾倒し、仕事を終えると毎夜のように山道を駈けて吉崎に出かけていた。しかし、ひとり残された老婆は気に入らず、信仰そのものに抵抗するようになった。
ある晩、二人を脅して吉崎通いをやめさせようと、老婆は鬼の面をかぶり暗がりで待ち構えていた。そこへ嫁がひとり先にやってきた。老婆はこれ幸いと鬼女になりきり飛び出し、「我こそは白山権現の使いなり。汝らは蓮如にたぶらかされ仕事を怠け、老婆の意に背き吉崎へ通っている。こらしめてくれん。」と脅した。嫁は鬼を見ただけで動転し、一目散に逃げ帰ってしまった。次に息子がやってくる前、しばし待つ間、鬼の面をはずそうとするが、どうやっても面は顔に食い込み外れない。あまりの恐ろしさに老婆は声をあげて泣き始めた。そこへ息子がやってきて、顔を隠した母にわけを尋ねると涙ながらにことの次第を話した。
話を聞いた息子は、すぐに母を連れて吉崎へ行き、蓮如上人より御仏の教えをいただいた。老婆は思わず手を合わせ念仏を唱えた。すると、不思議なことに鬼の面はポロリと取れて落ちた。しかしその面には無理に引き剥がそうとしたため、顔の肉の一部がこびりついていた。
さて、「嫁おどし肉つきの面」というものが、現在の吉崎に2つ残っている。吉崎寺と願慶寺である。私は、20年ぐらい前に吉崎を訪れたことがあり、吉崎寺の「嫁おどし肉つきの面」の実物を見たことがある。民衆への宗勢拡大の方便として、そのようなリアルな面が作られたのであろう。

「肉つきの面」の場面。

鬼の面をかぶって嫁を脅す老女。

鬼面をアップ。

驚く嫁。