五色園の祥雲作品の記事も終わったが、このついでに祥雲の作品を追ってみようと思う。
まずは、前にも記事にしたことがあるが、尾張旭市の「厄除弘法」である。前の記事の時に取材したときには、お色直し中であったが、今回改めて取材するときれいにペンキが塗られて修復されていた。この弘法大師像や不動明王像は、どこから見ても浅野祥雲の作品といってもいいだろう。
「尾張国三大弘法第三番趣意書」が手前のお堂の中に貼られているので写してみた。
愛宕山極園地、鴨ヶ嶽に奉建されている弘法大師は、新居退養寺に安置されている厄除大師の化身といわれていました。
昔、新居村に大池があり、年々、大水害が起こり堤防が破壊された。村民は、この大災害を憂い、占いをさせたところ、五月朔日に娘が機織りの道具をもって通ることがあれば、その娘を捕らえて池の中に投げ入れれば水害の厄を除くと占いが出たことにより、乙女を犠牲として堤防を築いたところ、果たして水害は免れたといわれている。
しかし、娘の忌日に機織る者は必ず死することにより、その菩提を弔うために一寺を建立して道浄寺と名づけたが、時の移り変わりにより、いつしか荒れはててしまい、今はただ池の堤防と寺跡に老松が若干あるのみである。娘の忌日には機織ることを避けていたが、その因襲も何時の間にかなくなってしまった。その菩提を弔うため、退養寺では厄除弘法と称した霊像を安置した。そのため多数の参拝者があり、香煙の絶えることはなかった。
昭和6年、新居地区の有志が発願され、道浄寺跡にほど近い因縁も浅くない鴨ヶ嶽の高台に総高三丈一尺の予定にて厄除大師を建立することになった。
尾張国三大弘法第三番奉賛会
ということで現在もなお新居地区には奉賛会が残り、弘法像の補修を継続して行っている。参拝に来た年配のご夫婦に「きれいになりましたね」と声をかけると、「どえらい金がかかったわ」と答えが返ってきた。

西側から上がる石段。「南無大師遍照金剛」の幟がはためいている。

「厄除弘法」の全景。

お色直しされた弘法大師。

横から仰ぎ見る。

東横には、金色の釈迦如来像。

西横には、不動三尊像。

不動明王像。

矜羯羅童子(こんがらどうじ)。

制多迦童子(せいたかどうじ)。