甚目寺には、簡易に弘法大師空海修行の縁の地を訪ねる遍路道「四国八十八ヵ所巡道」が設けられ、四国まで行けない庶民の願いをかなえたようだ。
古代から都から遠く離れた四国は、辺地(へぢ)と呼ばれていた。平安時代頃には修験者の修行の道であり、讃岐国に生れた若き日の空海もその一人であった。
空海の入定後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。これが四国遍路の原型とされる。時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地や足摺岬のような補陀洛渡海の出発点となった地などが加わり、四国全体を修行の場とみなすような修行を、修行僧や修験者が実行した。
江戸時代初期に「四国遍路」という言葉と概念が成立し、僧侶だけでなく民衆が遍歴しはじめる。17世紀には真念という僧によって『四国遍路道指南』というガイドブックが書かれている。
四国八十八ヵ所は、阿波国(徳島県)に1番〜23番までがあり、「発心の道場」と呼ばれる。土佐国(高知県)には、24番〜39番までがあり、「修行の道場」と呼ばれる。伊予国(愛媛県)には、40番〜65番があり、「菩提の道場」と呼ばれる。最後の讃岐(香川県)は66番〜88番までで、「涅槃の道場」と呼ばれる。

「四国八十八ヵ所札所巡道」の碑。

「発心の道場 阿波の国」の案内板

「修行の道場 土佐の国」

弘法大師像と観音仏・如来仏がワンセットで一ヵ所である。

八十八ヵ所に該当する弘法大師像と観音石仏が林立する。