鎌倉街道をさらに南に行くと実成寺がある。山門は国の登録文化財である。四脚門で、切妻造、本瓦葺、柱は全て上下端で丸く細めた粽(ちまき)付円柱である。主柱は棟木近くまで延ばし、柱間の内法に虹梁を渡し、両端に大型の木鼻(きばな)を出す。柱頂には頭貫と厚板状の横材である台輪(だいわ)を通し、妻には蟇股(かえるまた)の足のような形をした装飾材の笈形(おいがた)を置く。主柱と控柱の間には腰貫・頭貫・虹梁を渡し、現在は補強のため腰貫・頭貫間に鉄板を嵌め込んでいる。扉は主柱脇に立てた方立(ほうだて)に板戸を吊る。
この門は本格的な禅宗様の四脚門で、木柄も太く重厚な門である。同じ甚目寺町内の甚目寺東門(重文・寛文11年1634)に構造・意匠等の類似点が見受けられる。
文禄年間(1592〜96)清須城主福島正則によって寄進されたと伝えるが、江戸時代中期に古式に倣って修築されたと考えられる。
実成寺本堂は日蓮宗改宗以前のもので、真言宗に属していた頃は十如堂と称する護摩堂であったという。元応元年(1319)日蓮上人の弟子日妙が妙勝寺を創建したことに始まり、明応3年(1494)清須城主織田敏定が寺領を寄進し堂舎を再興して、実成寺と改めたという。
桁行5間、梁間6間、宝形造、銅板葺(もとこけら葺)で、屋根の頂に露盤宝珠をあげる。前方の間口5間、奥行2間を外陣、その奥中央の3間×4間を内陣、内陣の両脇を脇陣とする。正側三方の外側柱は上端を細く丸めた粽(ちまき)付の面取角柱で、内陣周りと来迎柱は粽付円柱とする。外陣内には柱を立てず、内陣正面両端の柱から桁行2間の虹梁を架け、この上に大瓶束(たいへいづか)を置く。この虹梁は装飾も簡素で古風な意匠を示す。また、来迎柱やその上の組物等の形も古式である。
平面構成は密教本堂の形式に類するものの、内陣と脇陣の奥行を深くとり、脇陣を比較的簡素に扱うなど日蓮・法華宗仏堂としての特色を示しており、愛知県における日蓮宗本堂の数少ない古例として貴重な遺構である。

実成寺山門。

四脚門外側。

四脚門内側。

実成寺本堂。

境内にある正善寺。

大きな涅槃仏があった。

こちらは円成寺。

円成寺の庭。