瀧田家が保有していた廻船は、「積周丸」「宝周丸」「栄周丸」「福周丸」の4艘。その幟旗が入口に掲げられている。店の間には、帳場の机が置かれ、中の間、奥座敷へと続く。下の間には、瀧田家の保有していた弁財船の模型が飾られている。800石程度の船で乗組員は9人ほどであったという。また、田中久重(からくり儀右衛門)作の無尽燈も展示されている。無尽燈は、田中久重が考案した燈火器である。空気圧を利用して、自動的に灯油を供給する装置を内蔵している。
田中久重(1799〜1881)は、幼名儀右衛門、筑後久留米の鼈甲細工師の家に生まれ、久留米時代にからくり人形に興味をもち、その仕掛けに新しい工夫を次々と開発して好評を博した。天保5年(1834)に大阪に移り、無尽燈を考案して評判をとり、大塩平八郎の乱に焼け出され京都へ移り「万年自鳴鐘」を完成して「からくり儀右衛門」の異名を高めた。嘉永6六(1853)には、佐賀藩の鍋島直正に招かれて精煉方に着任し、蒸気機関車や蒸気船などの模型作りを助け、文久3年(1863)には国産のアームストロング砲を開発した。明治6年(1873)東京に出て田中製造所を設立して電信機関系の事業を展開し、後の東京芝浦電機の母体を築いた。

母屋入り口。廻船の船名の幟旗が掲げられている。

玄関から奥座敷を望む。

帳場。

奥座敷。

中庭。手前の手水は水琴窟になっている。

瀧田家の保有していた弁財船の模型が飾られている。

からくり儀右衛門作の無尽燈。

納戸。

蔵には、陶器を運んだ団兵(だんべ)船の模型が飾られていた。

航海安全祈願の板碑。「奉修不動明王護摩共ニ二夜三日海上安全祈」象頭山金光院 元治元年(1853)、文久二年(1862)。

銭箱。

離れの座敷。