川崎民家園の記事も今日で最後となる。ところでパソコンの調子が悪く、突然ネット接続が切れてしまう。入試事務が始まり、連日遅くまで拘束されており、修復する時間もないので、ひょっとするとブログの更新ができなくなるかもしれない。
さて、「旧鈴木家住宅」の東隣に「旧原家住宅」がある。
【旧所在地】神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町
【指定】川崎市重要歴史記念物
【構造形式】木造2階建 入母屋造 桟瓦葺(一部下屋 銅版葺)
【建築年代】1911年(明治44年)
「旧原家住宅」は、相模の近世以来の旧家で、代々中原往還に面する小杉陣屋町に屋敷を構え、明治期には小杉村における有数の豪農であった。総ケヤキ造りの豪壮な2階建ての民家で、明治24年から22年の歳月をかけて大正2年に完成した。
主屋は、1階が桁行9間4尺(58尺)、梁間7間2尺5寸(43.5尺)の規模で、東面の入側縁に接して東北に風呂場と便所を張り出す。間取りは、大黒柱と小黒柱が立つ棟通りで梁行を二分し、また桁行を2間毎に四分割して、そのうちの東側六室を畳敷の座敷とした六間取平面であり、西側の表を土間、裏を勝手の間(台所)とする。表の床上二室は各拾畳間で、東より奥座敷、仲の間、広間(アガリマ)を並べ、それらの裏に東より六畳の裏座敷(オンナベヤ)と拾四畳の仏間及び茶の間(イマ)を配している。茶の間の東にそれと同じ広さの仏間を設けること、その二室を含む西側四室の間仕切りを引違戸にして、一室に解放できる間取りであるのが注目される。仲の間の南面に式台を張り出し、正面に向唐破風の屋根をかけるのは当家の格式を示すものである。奥座敷は床の間と違棚、付書院を備えた客座敷であり、内法上小壁に化粧長押を廻して、棹縁天井を高く張る。裏座敷は床の間のある書院座敷で、婦人の部屋であろう。奥座敷の南東二面及び裏三室の北面に廻した入側縁の外面に明かり取りのための硝子戸を建てている。この硝子戸は国産の板硝子を用いた初期の例である。
また、棟札と居宅新築諸職人控・居宅上棟式諸事控により、建築年代及び大工棟梁の名が川崎市域の大工である市川登代次郎と判明しており、川崎市域に建築された代表的な明治期の近代和風建築として重要な遺構である。
*川崎市教育委員会文化財案内
http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/stop/zukan/z0035.htm

「旧原家住宅」。

「旧原家住宅」。

案内表示。

手前が、土間への入口。奥に玄関がある。

細工が凝っている。

向唐破風の玄関屋根。

手前は、アガリマ。奥は、イマ。

アガリマの飾り燈。

ブツマ。

奥座敷。床の間と違棚、付書院を備えた客座敷である。

裏側廊下。

手前は、イマ。奥は、アガリマ。

座敷の縁側。