亀石から東に進むと田んぼの真中に橘寺が見えてくる。飛鳥には、学生時代から何度も来ているが、橘寺を訪れるのは今回が初めてである。
橘寺の由来について、寺伝は次のような伝承を伝えている。
垂仁天皇の命により、田道間守(たじまもり)は不老長寿の薬を探しに常世国まで出かけていった。10年もかかってやっと秘薬を見つけたが、それを持ち帰った時には天皇は既に亡くなっていた。持ち帰ったのは「トキジクノカグノコノミ」と呼ばれる“橘”だった。その種をこの地に蒔いたら、芽がでて実がなった。そこから、この地に建てられた寺を橘寺というようになった・・・云々。
橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立七大寺の1つとされている。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。
発掘調査の結果、当初の建物は、東を正面として、中門、塔、金堂、講堂が東西に一直線に並ぶ、四天王寺式または山田寺式の伽藍配置だったことが判明している。
寺伝によれば、推古天皇14年(606)、天皇に請われて太子は三日間この地で勝鬘経(しょうまんきょう)を講讃したところ、蓮の花が天から溢れ落ちてきて庭に積もった(境内にある“蓮華塚”は、その蓮の花を埋めた処とされる)。さらに南の山(仏頭山と名づけられる)に千の仏頭が現れ、太子の冠からは日月星の光が輝くなど不思議なことがおこった。そこで、天皇がここに寺を建てるよう聖徳太子に命じられ、太子が尼寺を建立したのが橘寺の始まりとされているという。
稲刈りの途中の田の向こうに見える橘寺
橘寺本堂
「聖徳太子御誕生所」の立札
境内のあちこちに酔芙蓉の花が咲いていた。奥は観音堂。
ピンクに染まった酔芙蓉。酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になる。
紫苑も咲いていた。
境内にある二面石 悪の面
こちらは善の面
蓮華塚
