森彰英『「あしたのジョー」とその時代』(北辰堂出版 2016)
「少年マガジン」に『あしたのジョー』(原作・高森朝雄(梶原一騎)、漫画・ちばてつや)の連載が始まったのは、1967年の年末であった。私が高校2年生の時である。高校を卒業してから上京し、新聞配達や郵便車の助手、大日本印刷の24時間連続アルバイトなどをして生活費を稼いでいた。
市ヶ谷にあった大日本印刷では、「少年マガジン」や「少年サンデー」も印刷していて書店に並ぶ前にこっそり読むことができたが、1970年2月、力石徹が死んだ号はそこで読んだ記憶がある。翌3月に寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」が中心となって催された力石徹の葬儀のこともよく覚えている。
1969年1月の東大安田講堂事件、1969年11月赤軍派の大菩薩峠事件、1970年3月のよど号ハイジャック事件、1970年11月三島由紀夫が市谷の自衛隊に乱入・割腹自殺、1972年2月のあさま山荘事件など騒然とした時代の流れの中で、1973年5月『あしたのジョー』もメンドーサとの世界バンタム級タイトルマッチで矢吹丈が白く燃え尽きるまでを描いて終わる。
この本はその『あしたのジョー』の魅力の源泉を探るべく、1960年後半から70年代の時代に戻って、様々な角度からこのマンガを検討したものである。
第一章は『あしたのジョー』の物語のまとめで、その中心には、少年マンガに珍しい<死>の主題があると論じている。死を前にした人間の実存という哲学的問いがこのマンガの興味の中心なのだという指摘にはなるほどという思いだ。
第二章は『あしたのジョー』が連載された時代の日本の社会史をたどり、そこに作者自身の女性週刊誌記者、途中からフリーライターとしての個人的な経験を織りこんでいく。『あしたのジョー』の時代の日本の姿が生々しく甦る。
第三章以降も、「少年マガジン」の編集の変遷、アニメ版『あしたのジョー』の製作経緯、原作者・梶原一騎の生涯、マンガの舞台になった山谷と後楽園ホールのルポという具合に、多彩な切り口で読ませる。
その根底にあるのは、いまはもう失われたハングリーな時代への熱い思いである。同時代に青春期を生きた私には、懐かしさとともに魂を揺さぶられるような共感が湧き出してくるのである。
