17 アジアに開く留学生の窓・・・
伊藤祐民と揚輝荘、聴松閣のインド風壁画
揚輝荘は、松坂屋百貨店の創始者で第15代
伊藤次郎左衛門祐民が造った別荘である。日泰寺(当時は日暹寺)の参道の東の景勝地を選び、姫池通までの一万坪の土地に、大正7年(1918)頃から三十数棟の建物と庭園を造った。
上坂冬子著の『
揚輝荘ーアジアに開いた窓ー』は、揚輝荘がビルマ・タイ・中国・モンゴルなどからの留学生の寮として使われ国際交流の場になっていた様子と留学生のその後の足跡を追求している。
太平洋戦争末期に戦災にあい、敷地も半分ほどになったが、現在も、尾張徳川家から移築した建物に
鈴木禎次(夏目漱石の義弟)の設計による洋館を増設した「
伴華楼」、「白雲橋」と名づけられた屋根付の橋を配した池泉回遊式の北部庭園、木造三階建ての山荘「
聴松閣」などが残っている。
「
聴松閣」は、延床面積約800u、鉄筋コンクリート造りで地下1階、木造地上3階の建物であり、玄関の床は丸太の木口を敷き詰め、扉はケヤキの一枚板、階段や窓枠などすべてケヤキが用いられ、釿(ちょうな)目削りで仕上げられている。
地下には、ビルマ・インド様式を取り入れた広間とバーツ付きの舞踏室があり、広間の壁画にはタイ、ビルマの留学生により壁画が描かれている。1階には、食堂、ホール等、2階には寝室、応接間、更衣室等、3階には和室が配置されている。
現在、揚輝荘は名古屋市に寄贈され、NPO法人揚輝荘の会が指定管理者として管理運営にあたっている。「聴松閣」は有料、「伴華楼」を含む北部庭園は無料で一般公開されている。
*参考文献 上坂冬子著『揚輝荘、アジアに開いた窓』講談社 1998
NPO法人揚輝荘の会編著『揚輝荘と祐民』風媒社 2008
