川村元気『百花』文藝春秋社 2019/5/15
川村 元気(1979年生)は、日本の映画プロデューサー、小説家、脚本家、映画監督、絵本作家。STORY株式会社代表取締役プロデューサー。東宝株式会社映画企画部所属。
彼の父親は、日本大学芸術学部を出て日活で助監督を務めたが挫折した経験を持ち、それ故、息子に対して、映画の英才教育を行ったという。家庭の方針によって、自宅にテレビがなく、幼稚園にも保育園にも行かなかったそうだ。小学校に上がると、毎週土日に父と名作映画を見続けるのが習慣となったという。
その後、上智大学文学部新聞学科に進学し、大学卒業後、
2001年、東宝入社。
2005年、26歳で映画『電車男』を企画・プロデュース。
2012年、初小説『世界から猫が消えたなら』を上梓。
2014年、BRUTUS誌に連載された小説第2作『億男』を上梓。
2016年、『君の名は。』『怒り』『何者』を企画・プロデュース。
というようなエンターテインメントの申し子のような履歴を持っている。
さて、私が川村の作品を読むのは、この『百花』が初めてであるが、感心してというか、その才能の非凡さに正直まいったというところである。
この小説のテーマである親の認知症こそ、今の世の中で一番身近な問題だと思う。私も亡くなった母で体験したし、現在進行形で、義母が徐々に壊れていく過程を目の当たりにしている。他人事の話ではないから、この本を読んで共感するし、なお色々と考えさせられた。
母子家庭で育った主人公の「泉」。母「百合子」はピアノを教えて生計をたてていて、泉は父親については知らないまま成人し、結婚を機に母と別居している。
認知症が進行しだした頃、妻が妊娠し、親になる事を意識する主人公。弱っていく母と産まれてくる命に直面する主人公。
母を〈もう〉(再び!)失いたくない息子(主人公が中学生の時、母百合子が突然の失踪・・・年下の男性との不倫のはてに)と、息子を忘れてしまう事への辛さを抱える母の関係模様が悲しくも儚げな物語である。
私自身も亡くした母に対して色々と後悔している事を思い出す。しかし時間が戻ったとしても何が出来たか分からない。そして何が正解かも分からない。
また、現在進行形の義母に対してどう接していけばよいのか戸惑うことばかりである。まだ徘徊や失禁という事態には至っていないが、いつかは、自分たちの手に負えなくなって施設に預けなければならない時がくるのだろうか?
この小説に描かれている「なぎさホーム」のような理想的な施設がこの近辺にあればいう事はないだろうが、現実は厳しいと思う。
私の長男の嫁が介護士として施設の責任者をしているが、その話を聞くたびに、介護の現場の実態の厳しさを感じる。介護する方も、介護される方もゆとりのない状況が浮かび上がってくる。