先日、ふるさとガイドの仲間と吉野を訪れた。私にとっては、初めての吉野紀行である。
まず訪れたのは、南朝、後醍醐天皇の墓がある「如意輪寺」であった。
正式には、浄土宗 塔尾山 椿花院(とおのおざんちんかいん) 如意輪寺(にょいりんじ)という。
平安時代の延喜年間(901〜922)に日蔵上人により開かれたと伝わる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際に勅願所とされたが、天皇は還京叶わぬまま崩御(1339)して本堂裏山に葬られた。以来寺運は衰えたが、慶安3年(1650)文誉鉄牛上人によって本堂が再興され、その際に真言宗から浄土宗に改宗した。
正平2年(1346)楠木正成の長男・楠木正行が四條畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」を詠んだという。正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も寺に伝わる。
芭蕉は、ここに立ち寄った折、「御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草」などの句を残している。

本堂(如意輪堂) 寄棟造檜皮葺き
庫裏

後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)

本堂横の紅葉

塔尾陵の下で赤い実が実っていた。調べたところ「マムシグサ」の実であった。

ちなみに、花は4〜6月に咲く。

塔尾陵の下で、マンリョウの実を見つけた。