勝原良太編『岩田信市のジャズ喫茶グッドマン〜夢かよ』2019.11.27発行

旭丘高校に通っていた高校3年生の時(1968〜1969頃)、旭丘高校美術科の友人に誘われて伏見にあった「グッドマン」に出入りするようになった。
ガンガンと鳴り響く音。煙草の煙でもうもうとした室内。暗い照明の中でリズムに合わせて揺れている客たち。
それが「グッドマン」との強烈な出会いであり、モダン・ジャズとの出会いであった。
「グッドマン」のオーナーの岩田信市さんは、旭丘美術科の卒業で赤瀬川原平さんと同期だそうだ。母校の先輩だったんだ。
私自身は、高校卒業後上京し、いろいろ職場を変えながら最終的に東京日仏学院という語学学校で働きながらフランス語学んでいた。
上京して3年後、大学で歴史を学び直したいという思いを強く持つようになり、受験勉強をし直し、同志社大学文学部の文化史学科に入学た。今度は京都で4年間の大学生活を送った。
東京・京都の7年間は、ジャズ喫茶の暗い、狭い空間が最も安らげる場所となっていた。名古屋伏見の「グッドマン」でのジャズ体験が原点(特にコルトレーンやアイラー)となり、東京新宿の「DIG」・「DUG」、京都寺町今出川の同志社女子大裏にあった「SMスポット」・寺町今出川の「52番街」などに入り浸っていた。
大学を卒業し就職してからは、ジャズ喫茶も卒業し、というかジャズ喫茶そのものが消滅していったが・・・。
ただ、ライブなどには、結構通い、ソニー・ロリンズ、キーシ・ジャレット、マッコイ・タイナー、山下洋輔、龝吉敏子などの演奏を聴きに行った。
学生時代に収集したレコード50枚とその後収集したCDが600枚ほどあり、今でも気が向くと夜中に聞いている。

当時の「グッドマン」のマッチ ランニングマン