二村山は、尾張から三河に抜ける交通の要衝ちであり、古来様々な伝承を生み出している。峠の地蔵尊と呼ばれる地蔵堂には、平安時代初めの年号である「大同二」(807)の銘が彫られた地蔵が残されている。
二村山展望台よりの眺望
「身代わり延命地蔵」といわれ、熊坂長範という盗賊がこの山に隠れ、ある時旅人の首を斬ったと思ったところ、この地蔵尊の首だつたという伝承が残されている。このことから「身代わり地蔵」と呼ばれるようになるが、熊坂長範の伝承は各地に残されてており、行きかう旅人により広まった巷説であるようだ。
堂内中央の最も大きい地蔵は元文三年(1738)の刻、右の像には明和三年(1766)の刻があり、江戸時代の地蔵信仰の広がりを感じ取ることができる。
この二村山は、平安時代から歌や紀行文などに書かれ、昔は街道一の名勝地であった。
この丘陵の高さは標高72mで昭和の初め頃までは頂上から伊勢湾の船を眺めることができたという。現在は展望塔から360度の景色を味わうことができる。
古代から中世のこの道は二村山を通った証として、多くの和歌に詠まれている。
西行法師 『はるばると 二村山を行過ぎて 猶すえたてる 野路の夕やみ』
大江匡房 『霞たつ 二村山の岩つつし たれ折そめし からにしきかも』
源頼朝 『さつき闇 二村山のほととぎす 峯つつき鳴く 声をきくかな』