印場庚申堂
「村絵図」にも記載されているように、江戸時代、印場村には「庚申堂」が建てられ、村人に厚く信仰されてきた。残念ながら20年ほど前に、区画整理事業で取り壊され消滅してしまった。
尾張旭の各地区には、江戸時代に立てられた「庚申碑」(文字碑)が残されていて、庚申信仰の広がりを確認できるが、「庚申堂」が建てられて、最近まで残っていたのはこの印場北島地区だけである。
「庚申」というのは、十干と十二支の組み合わせで、年紀や日にちを決める方法で、60通りの組み合わせがある。「庚申」の日は、60日ごとに巡って来るし、「庚申」の年も60年に一度巡って来る。60歳になって「還暦」のお祝いをするという習慣もこの干支による年齢の数え方をすることから起こったものである。
庚申信仰は、中国の道教の教え。庚申の夜、寝ている間に体内の三尸(さんし)の虫が逃げ出して、その人の犯した罪状を天帝に告げるので、庚申の夜は眠らずに徹夜で祈りを捧げるというものであった。近世の庶民信仰では、講を作り、祈願をすると同時に、夜を徹して飲食をするということが、娯楽の一つになっていた面もある。
印場庚申堂の本尊は、青面(しょうめん)金剛である。青面金剛は、帝釈天(たいしゃくてん)の使者の金剛童子とされ、身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとる。病魔を退散させる威力があるとされる。
現在、印場庚申堂に祀られていた青面金剛は、厨子ごと良福寺境内の薬師堂に移されている。現在は、毎年2月11日に、印場の人たちによって祭礼が行われている。
なお、印場庚申堂の脇堂にあった馬頭観音をはじめとする石仏・石碑も良福寺に移されている。特に年代の古いものでは、「睦講人数廿人春郡□馬□ 大永七年十月十三日」と彫られた宝篋印塔がある。「春郡□馬□」は、おそらく「春(カスカベ)郡 印馬(インバ)村」であり、「大永七年」は、西暦1527年で、戦国時代のものである。

天保15年の印場村絵図

印場庚申堂と堂前広場
