維摩池
維摩池の池畔には、昭和の初めにヨーロッパ風の食堂(愛宕食堂)が建てられ、営業していた。池には、ボートや屋形船が浮かび、観光地として賑わいをみせた。春は桜、夏は蛍狩りの名所で花火大会も行われた。冬には維摩池に多くの鴨が飛来し、新居の「弘法さん」と共に一大観光地であった。
維摩池が築造されたのは、約400年位前、江戸時代初め頃以前と思われる。昭和60年の調査では、面積103,954uで、貯水量279,000㎥。堤防の高さ、6m。堤防の長さ210mである。滝の水池、濁池と共に市内3大ため池の1つ。貯水量では一番大きい。
「維摩」は「今」の当て字で、江戸時代初期の『寛文村々覚書』(1672年成立)には「今池」と記されている。今池は古くからある池だが、さらに古くからあったと思われる平池などに比べると新しいということで名づけられたようだ。維摩に変わった時期・理由等の記録は残っていないが、大乗仏典の「維摩経」から採られたと考えられる。
水源は、以前は雨水と湧き水によっていたが、昭和36年(1961)愛知用水が完成し、用水の水が維摩池に導入され、きれいな水が湛えられるようになった。

戦後まもなくの頃の維摩池
