八王子神社へ向かう。明智の町を見渡せる高台の上にあり、立派な唐門が建っている
拝殿
天照大神の御子神である八王子を祀り、平安時代の天暦三年(949)に創建されたという伝承を持つ明智の産土神である。鳥居の脇に「金幣社 八王子神社」と刻まれた社号標が建つ。
金幣社とは、奉幣行事を行なう際に「金幣」を用いる神社をさす。岐阜県の神社特有の社格(称号)であり、銀幣社・白幣社という称号も存在する。 岐阜県神社庁から参向する献幣使の役職によって区分されているようだ。
唐門を抜けた境内の東奥に当社の社殿がある。入母屋造の堂々とした拝殿の奥に流造の本殿が建てられている。現在の社殿は、延宝4年(1678)に建立され、県の重要文化財に指定されている。
社殿の左手前に、当地出身とも伝えられる明智光秀による手植の楓と光秀建立と伝えられる柿本人麻呂社がある。
天正2年(1574)3月、武田勢のために明知城と共に焼かれ、その後衰微した。
慶長8年年(1603)13代遠山利景により明知城が再興され、当社も寛永14年(1637)旗本遠山勘左衛門(あるいは地頭遠山藤四郎)により再建された。
社殿や唐門に丸に二引きの紋が付けられている。当社を庇護した遠山氏の家紋である。