名古屋城の御深井丸(おふけまる)、西北角櫓(すみやぐら)の手前に煉瓦造りの倉庫が残っている。これが「乃木倉庫」と呼ばれるものである。
明治6年(1873)、名古屋城内に鎮台(ちんだい)が設置された。その時、25歳で鎮台大弐心得(だいにこころえ)に任命されたのが乃木希典である。翌、明治7年までの1年間という短期間であったが、乃木が在任中に建てたと伝えられるのがこの乃木倉庫である。旧陸軍の弾薬庫として使用された。基礎の上にれんがでアーチ形の換気口があり、角は石積み風になっている。
昭和20年(1945)5月14日名古屋空襲の際、天守閣、本丸御殿等は焼失したが、本丸御殿の壁画や天井絵などの大半がこの乃木倉庫に収納されていたため焼失をまぬがれた。
のちに楝瓦の保全のため白亜塗りにされた。平成9年(1997)国の登録有形文化財に指定される。

乃木希典

乃木倉庫

国の登録有形文化財の標識