木下 信三『亀山巌のまなざし 雑学の粋人モダニスト』土星舎
2020年12月20日 *土星舎は風媒社の中につくられたとある。
この本は、木下 信三さんが「亀山巌」氏の業績を偲んで再編集したものである。
橦木倶楽部通信第5輯 2006/5/10
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亀山巌は、明治40年(1907)名古屋市中区裏門前町で、父六次(号は半眠)、母ぎんの長男として生まれた。父亀山半眠は名古屋新聞(現在の「中日新聞」の前身)の記者のかたわら少年雑誌「兎の耳」という童話と投書誌の主幹をしていたという。父の蔵書の中にグリムやアンデルセンの童話があり、幼少の頃に愛読したと巌自身が後にエッセイで回顧している。
『亀山巌の絵本』の中で、「虚弱の少年時代を過ごし、狐癖・夢幻を追うといえば聴こえはよいが臆病かつ懶怠、難事を避けて易きを求め自我に溺れて迷惑の他に及ぶことに気付かず、これらを病弱後遺症のせいにして上の空を彷徨して頽齢現在に至る」、そして「永い歳月を、かたときも忘れなかったのは、私の場合、絵をかくことであった」と述べている。
その後、名古屋市立工芸学校図案科に入学し、大正12年(1923)16歳の時に詩誌「妖星」に参加。また詩誌「踏絵」「象徴詩人」を創刊している。翌大正13年、工芸学校を卒業して版下屋で働く。半田の酒蔵のレッテルを描いたりしたが神経衰弱にかかって辞める。その後、東京上野の「丹青社」という装飾図案の会社へ就職するが1年ほどでやめる。大正14年、詩誌「指紋」を発刊している。巌17歳の時の作品は
「月」
月 白金の幻影(かげ)を彫み
露縁に昴く懸りたり
友は青き丘を越え 桃色の窓を開く
いま扉を敲くつは黄金の鈴鐸(すず)か
庭に蜀葵(しょっき)も黝(くろ)く凋へ
莫哀(かなしみ)の唱歌 噴水の光に没(き)ゆる
「指紋」は1号で終わるが、翌大正15年(1926)春山行夫が上京してきて、詩誌「謝肉祭」が刊行された。こちらは第4号まで発刊される。春山行夫はこののち「誌と詩論」を刊行し、昭和詩史の流れに重要な足跡を残すことになる。
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「謝肉祭」の同人は、亀山巌・春山行夫・齋藤光次郎・近藤東らで、最終号には吉田一穂が加わっている。デザインは亀山巌が担当した。吉田一穂の詩集『海の聖母』の装丁をしたのもこの頃である。
20歳になった昭和2年(1927)東京での生活に終止符を打ち、名古屋に帰った。翌年、名古屋中央放送局に勤めていた父の斡旋で名古屋新聞に就職した。詩集の装丁の依頼が多く、佐藤一英の『古典詩集』、北原白秋の『月と胡蝶』、田中冬二の『青い夜道』などの仕事をしている。また詩誌「CINE」、「ウルトラ」に参加するが、この頃から新聞製作が面白くなり「モデルノロジオ」(エスペラント語で考現学)に熱中した。
昭和12年(1937)7月7日盧溝橋事件から日中戦争が勃発すると亀山は名古屋新聞特派員として上海にわたり「戦場モデルノロジオ」を新聞に掲載した。
戦後、昭和22年(1947)高木斐瑳雄・伴野憲・中山伸らとともに「新日本詩人懇話会」を設立。これが後の「サロン・デ・ポエット」に発展する。
昭和27年(1952)亀山は中日新聞の取締役・編集局長に就任する。昭和31年(1956)編集局長を辞し相談役となり、東京で遊民的生活を始める。しかし昭和38年(1963)中日新聞社は亀山を名古屋に呼び戻し、名古屋タイムズ社長に据えた。昭和49年(1974)まで社長業続けている。
この間「名古屋豆本」を開板し多くの豆本を世に出した。自らの著作としては、『球体人間』(名古屋豆本)、『裸体について』(作家社)、『秘画、鬼の生と死』(有光書房)、『絵本パラダイス』(名古屋豆本)、『とちちりちん』(有光書房)、『むかし名古屋』(名古屋豆本)、『モンポリノス』(有光書房)、『亀山巌の絵本』(作家社)、『神の貌』(有光書房)など多数刊行している。
自ら“遊民”と称した亀山巌は、平成元年(1989)82歳で亡くなった。自らの詩集は1冊も残さぬ詩人であった。 亀山巌は、17歳で春山行夫編集「指紋」に詩を発表。北原白秋童謡集『月と胡桃』の装画も担当する。30歳のときには「名古屋新聞」上海特派員に。紙面で戦争考現学を試みた。豆本版元としても知られた亀山巌(1907-89)の仕事を見渡す入門書。私信、未発表原稿も収録。
『亀山巌のまなざし 雑学の粋人モダニスト』には、以下の作品が収録されており、亀山巌の全貌を捉えることができる。
1 亀山巌―人と仕事
2 再録 亀山巌の仕事 T……モデルノロジオ レビユウ・ガアル
楽屋調べ 採集走り書 W・C考現学 二階正面席分析
3 再録 亀山巌の仕事 U……考現学から覗いた春の採集帖
4 亀山巌―人と仕事
バス嬢の考察―名駅前張店の壯觀と車中行状記
花爛漫のカフエ―それに猫柳と麦の穂が出た
飢えたる民衆―戦争ニユースが描く愛国風景
街にも「村の春」―散在する空地利用の露店
大衆百貨店の観―四コースの大須の夜店解剖
5 再録 亀山巌の仕事 V……童話
カタツムリトカへルトラムネノビン
サンキチトオモチヤタチ
連作物語 ガン吉の冒険 第一回
6 再録 亀山巌の仕事 W……詩
月
青き薔薇
香料筥
魔術師ジヤン
不幸な街の回顧
慰めのない丘
7 亀山巌 未発表原稿
木賀崎長母寺 ・・・(蓑虫山人の取材記である)
8 書簡
亀山巌からの手紙
*亀山巌さんからこの編著者である木下信三さんへの手紙である。驚いたことに、木下信三さんの住所は、なんと「尾張旭市新居下切戸」でした。木下信三さんは『殿様街道私考』を記した人でもある。
9 エッセイ
亀山特派員のモデルノロジオ
月の出る町散策
亀山巌装本飾絵展のこと
亀山巌の童話について
亀山巌モダニズム詩文集の周辺
10 講演録
亀山巌先生の恩に思う