竹蔵丸進水のパーティ、2次会(かわいにて)。左下が私です。
空から降ってきた同級生のまさえちゃんへ。
(当時、「ちゃん」なんて、とても呼べなかったけど、どうかお許しを)。
あまりの懐かしさに、心が「ワッ」って言いました。ほんとにお久しぶりです。
一度だけ出た中学校の同窓会で、昔とちっとも変わらぬ笑顔を目にしてから、もう25年は経ったでしょうか。
電話の後、色々な思い出が一気にあふれ出しました。甘酸っぱかったり、苦かったり。酒も手伝ってもう大変でした。
高校卒業後、私は4浪もしてしまい、比較的親しかった連中とも連絡をとることもなく、ここまできてしまいました。
そんなわけで、自分だけが精一杯で、まさえちゃんがその後どうされたか、実はまったく知らないのです。ときどき思い出し、きっと学校の先生あたりになっているだろな、なんて想像していました。いつか会う機会があるなら、色々聞いてみたいものです。
ブログを始めたのは、リスなどの野生に興味をもつ少数の人を仲間にもちたい気持ちからで、深い考えはなかったのです。
そんな文章や写真のデコボコ加減から、竹内くん(そう呼ばれていたような)の人生を読んでもらえば、分かると思うけど、中途半端な挑戦や失敗の連続。いまだにそれが続いているのです。
なにしろ、53歳にして漁師を始めたぐらいで、リタイア後の夢の生活じゃないんです。でも、まさえちゃんと一度の電話だけで、次は20年後なんてのはさみしい(もう生きてないかも)。なら、このブログでも見てもらえないかな、って、一瞬思ったのです。
そして、昨夜、まさえちゃんに何て返事書こうかと考えながら、TVで冒険家の植村直己をとりあげた一時間番組を見ていたら、これだ、と思ったことがあった。
公子夫人が「冒険家というのは、もう、究極のエゴイストですからね」と言っていて、えっと驚かされたのです。本で知るかぎりの植村直己は、気持ちのやさしい、偉大な田舎者で、そのギャップが大きかった。
それで、ふと考えたら、私も夢ばかり追っかけた、エゴイストそのものだった。
植村とはまったく次元が違うが、周りの迷惑顧みず、ってやつです。みんなから、竹さんは好きなことをやれて羨ましいって、よく言われるが、いまの自分を説明するには、この言葉が一番かもって。
本人は前進ばかり考えていたけど、でも、そろそろ結果を出したり、帳尻を合わせなくてはならなくなってきてもいる。だんだん迷惑をかける冒険が怖くなってくるころでもあり、志なかばで若くして野たれ死んだ同い年の友人を思い出したりする。
またいつだったか酒の席で、「竹ちゃんは変わっている」と寄稿している雑誌の編集長に言われて、ウソだろ、と思ったけど、よく考えたら、平均的な社会生活、常識からかなりかけ離れている自分に気付いたのでした(ひょっとして、昔からだった?)。
あっ、思い出した! 自転車通学のおり、よ〜く一緒させてもらった(汗)。
そんなわけで、変わり者が平気な場ならならいいけど、私にとり同窓会で紹介されるなどとんでもないことなのです(せっかく勧めてくれたのにごめん)。近くで育ち、竹内くんの中・高校の秘密を知っているまさえちゃん一人に、ときどきでものぞいてもらえれば、それだけでもう嬉しいのです。
よろしくね!

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