霧多布港の中。霧多布とは霧が多く白い布の幕がいつも垂れている、という意味だろうか。前方の白く何も見えないところが浜中湾で、この先を走ってきた。
浜中湾(北海道東岸)はボート乗りにはものすごく恐ろしいところだった。
なにしろ、周囲は霧で真っ白。まったく何も見えない。視界は良くても50メートル以下で、ときにボート先端からすぐ先もかすみ、ごくわずかな海面が見えるだけになる。
その中を小さなボートで霧多布港へ入ろうとしているのである。
GPSで見ると、前方に小島が隠れていて、その島と岬の間の狭いところが航路となっていた。ここを進んでゆくしかなさそうだった。
ところが、島まで近づくと、霧の中からいきなり大きな霧笛が「ボォーーー」と鳴る。いまにもぶつかりそうなぐらい近くに聞こえるから、恐怖で身が縮む。
レーダーには、航路の先に3艘の大型漁船らしきものが映っている。このまま進むとうまく回避できそうにないし、霧笛が鳴り続けるから、追い立てられるように島を迂回し、広い浜中湾の方へ行くことにした。
ところが、広いことは広いのだが水深が極端に浅い。魚探に映る海底は水深10メートル未満。いつ岩礁が出てくるかとひやひやする。水深が浅くなり、慌ててバックもした。大型漁船が通らない理由がよく分かった。
こんな中で驚くことにイルカが跳ねていたが、感動するより、なんて忙しいところだろ、って気持ちになる。慎重に湾奥へ進んでいくと、今度は大きなイケスのようなものが次々出てきて、これまた慌てる。
視界のない、真っ白の世界の、しかも危険な迷路へ迷い込んだのである。だから、港へ無事入り込んだときはほんとにホッとしたのである。
この浜中の人達は遠来の小さなボートに興味をもったのか、次々と見物にやってきた。港には外来の漁船の船員を泊める、温泉付きの宿舎があり、そこへ泊まれと言ってくれる人親切な人があった。
その方、夜、サンマの刺身やコンブの煮付けなど奥さんと一緒に持ってきてくれたのである。
さっき、TVでこの浜中で診療所の医師を長年やっていた道下さんという方のドラマを見ていて、なつかしくいろいろと思い出したのである。
道下さん、大学病院から一年の任期で赴任したのに、懇願されつづけ、40年以上僻地医療に従事した人である。
ドラマで知ったが、浜中は昭和27年に十勝沖地震で津波の被害に合い、チリ沖地震でまた津波にやられている。
浜中湾の浅瀬が被害を大きくしているのがよく分かったし、ふらっと立ち寄ったボートの私に親切だったのも、これらの歴史があったからだろうと思えたのだ。
昔の人力だよりの労働には、北の自然はあまりに厳しいけど、いまでは漁船や設備も立派だし、逆にその恵みをたっぷり受けているようにみえたのだ。

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