森の中に一本の倒木があり、リスのエビフライが乗っかってないか探していた
するとそばに黒いかたまりの糞を発見。その中に獣毛が交じっていた
不思議に思い周囲を探っていると、倒木の下にネズミのものと思えるエビフライ発見
なおも周囲を探すと、今度は枯葉の中にかなりのこれもネズミのものと思える小型のエビフライを
三四郎隊長がブログに「子供の頃の距離感と大人になってからの距離感がまるで違う」、「時間も一年を永遠にありそうなぐらい長く感じた」というようなことをテーマに興味深い話をされていた。
私も一年があっという間に過ぎ去るのがいやになって、子供のときのような一里の中の生活をしていれば、もっと充実するんじゃないかと、時の流れにあらがっているのかもしれない、なんて思った。
また隊長は大人と子供の情報量の違いにもふれられていて、その認識世界の広さの違いから大人は距離や時間が短くなると分析されていた。
これは、子供が綿に水が染み込むように五感でとらえたものを知識として吸収し、大人はそれを蓄積、整理し、概念化して使っているということかもしれない。概念や観念というのは、光の速度より速いからね。
大人の旅をみても分かるが、まるで点から点への移動ようで、美しい景色をみたらああ美しいと写真をパチリと撮るだけ。そもそも美しいってなんだろ。子供にはたぶん美しいという概念はないはず。初めて発見した驚きだったり、感動なのではないだろうか。
私がリスを観察するようになって感じているのが、やたら広く探しまわらず定点観測的な動きをする方が、子供の頃のようなこの発見や驚きが多いこと。
写真はリスを探し、林道からわずか200メートルほど森へ入った場所にあった倒木。倒木の上にリスの食痕のエビフライがないか探していたときの、思わぬ発見。
まず、倒木の脇に誰かの糞を発見し、それをよくみると中に獣毛がたくさんあった。ひざをついて周囲を観察をしていたら倒木の下に空間があり、その中に大きなエビフライを発見。これはアカネズミのものだろうと判断する。
リスはこんな倒木の下の狭いところで食べたりしないだろう。危険だし。
そして、なおも周囲を調べたら、倒木の上ではなく、枯葉の上に小さなエビフライをたくさん発見する。これもその噛み跡や、地面に落ちている状況からアカネズミのものだろうと思った。リスはほとんどが倒木の上や枝の上で松ぼっくりを食べるはずである。
たった一本の倒木を少し観察しただけでもこれだけの発見があるのだから、子供の目にかえれば一里の森には無限大の未知が隠されているように思えるのだ。

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