今朝の朝日新聞に「藤原新也さんに聞くー秋葉原事件とは」というのが大きく載っていた。
そこに、
「僕は、心とはお茶わんの形をしていると思っている。そのお茶碗に、肉親をはじめとするさまざまな人から情の恵みを受ける。買い物をするやりとりのちょっとした言葉の中でさえ、その情の一滴はある。」
というくだりがあった。
ごく一部を抜粋したから、全体は伝えられないが、私は他の内容は別にしてもこのシンプルな一言にただただ感動してしまった。
これほど身近で誰もが毎日使っている「お茶わん」を定まらない「心の形」にたとえるのは、思いもかけない驚きだった。
そこに書かれてはないが、お茶わん一杯になった情は、あふれ出て他人にも流れるだろうし、割れたりヒビが入った茶碗にはいくら注がれても、なかなか溜まらない、なんてイメージできたりする。
心とはそんな単純なものではない、なんてああたりまえの意見を言う人も当然出てくるだろうが、そんなのほっといて、私もお茶碗説を使わせてもうらおうと思う。
きっと多くの読者も私と同じように感動したはず。今日、どこかで行われる結婚式などで、この言葉が使われるのではないだろうか。演歌みたいに分かり易い言葉で、すばらしいネ。
もう一つ、記事の中に藤原さんが携帯電話で撮った、アキバの写真があり、これもすばらしかった。
メイドの格好した女の子が横断歩道を一人渡っている背中姿があり、それが反対側から渡ろうをする普通のサラリーマンなどと行き交おうとしているところ。
横断歩道の白線が緊張感を生み、心という複雑でやわらかなものと、現在の経済活動の硬質感がギャップとなって強く表れている。
これも名作だね。
写真は25日の林道で撮ったもの(ひどいね)。
このヒナ鳥、こちらがカメラを構えても逃げないどころか、70メートルぐらい鳴きながらついてきた。
20メートルも飛ぶのがやっとだから、数時間前に巣立ったばかりで、人間を初めて見たのではないだろうか。それ以外思いつかなかった。
しかし、つっぱり兄ちゃんみたいな頭のトサカ。面白いねー。誰の子だろう?

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