最近のブログはなんだか糞や死骸ばかり載せているようである。
糞を分解して内容物の植物の実を撮影したりで、自分でもおかしなことになってきたぞと思う。
林道で偶然一匹のニホンリスに出合ったのが5年前(6年?)。
そのことに大変驚き、リス探しを始めたのと、このかわいいリスの姿をなんとか写真におさめてやろうとしたのが、そもそもこのブログのきっかけでもある。
そして、私としたら大枚はたいて300ミリ(f4)の望遠と1,4倍のテレコンを手に入れ、藤原新也さんから40年前の古い55ミリと20ミリを、地元写真家マーちゃんからAF10ミリと105ミリレンズをもらい、本気で撮影を始めたのである。
カメラはその前に廉価なニコンのD70という一眼レフを購入していた。
で、星野道夫のように荘厳で、宮崎学のように精緻な、美しい動物写真を撮ろうと、まあ限りなく遠い目標を置いたわけである。
ところが、動物の生態を調べるため糞や死骸の写真も記録としておさえるぐらいしていたものの、ここのところ分解までして、内容物をブログに平気で載せるようになっている自分がいる。
私の趣味嗜好はわりとごく一般的で、普通なのである。それが糞を袋に入れて持ち帰るぐらいになりつつあるのだからたいへん不思議。
これは福田史夫という動物学者に出合ったからに相違いない。内容物のタネも植物写真家のisa氏やtaka隊員がいなければ同定にまでいたらないから、そこまでこだわれたかどうだか。
動物が何を食べているか、糞からその動きを知るのはかなり楽しいことであるが、糞のタネの植物が判らなければそれも不可能なのである。
それと、55ミリ、10ミリというレンズがなかったら、小さなものをアップで撮影できもしなかった。いろいろとめぐまれたね。
このことに関連するが、最近意外に感じたことがある。
先日ニホンリスやフクロウの写真数枚をプリンターでA4サイズに焼いて、知り合いにあげた。
ところが、私が気に入っているのはあまり好まれず、巣立ち寸前の丸顔したかわいいフクロウの赤ちゃんばかりに人気が集中し驚かされたのだ。
世間の目というのは私もそうであるように、かわいいもの美しいとされるものばかりにいく。でも、価値観が多様化したこの時代にもかかわらず、かわいい、美しいがちょっと硬直化しすぎてないか。
自分の写真の腕をタナに上げて言うが、いまの社会は見慣れないようなもの、異質なものを感性や想像力でとらえず、すぐ排除してしまう傾向にあるのかもしれない(ちょっと大げさか)。
同じフクロウの赤ちゃんの写真でも、暗いウロの中で必死に人間を威嚇する姿の方が、より野生を感じさせ、いいと思うのだがな〜。
本来この人間の感覚はうつろうものであり、世代間でも変化するはずだ。
だから、これから先ひょっとして、動物の糞が人気になるようなことがあるかもしれない(ンなことはない?)。動物の糞は野生の分泌物ばかりだから、案外汚くないのである。
私の場合、動物写真家ではなく、動物(糞)写真家になりそうな予感がするが、世間から変人扱いされるのもイヤなので、動物の糞写真をもっと広めて世間の価値観を変える必要性を感じる。
そのためにはもっと美しい糞写真を撮らなくては・・・(ハハ)。
ところでこの鳥の糞の中身、何だろう? 鳥の糞で赤いのは珍しいような気がする。
もう一つの写真はもう最後となったサルナシ。強風で林道にいっぱい落ちていたが、これも誰かが食べるだろうな。

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