ナガサキオトギリ/葉の形が典型的な涙形/
葉には明点がたくさん見える/
最近、バーチャル空間「LINE」の中で激しくののしり合い、ネット仲間7人で一人の少女を殺害した「広島LINE殺人事件」があった。
無料通話・メールアプリ「LINE」は開設されてまだ一年にも満たないツールだが、急速に広がり、チャットのしやすさ、クローズドされた空間などから、事件が次々と起こっているようだ。
ネットが関係した殺人事件で以前世間を騒がせたのが「秋葉原通り魔事件」である。
このときは沼津からトラックで秋葉原の歩行者天国へ突っ込むまでチャットに30回も書き込みをしていたのが知られている。
この二つの事件の共通点はネットだが、バーチャル空間の中にいる合ったこともない人に自分がこれからやる殺人を予告したり、本気でけんかしたりしていることがちょっと不思議な感じである。
だけど私は、人間関係が希薄な現代において、ネットの繋がりは一部の人にとってリアル社会より重要なものになっているかもしれないと思うのだ。
「秋葉原通り魔事件」の加藤智大被告は
「私にとって掲示板が、友人と話をする居酒屋のようなものから、家族と話をする家のようなものになりました。感覚的に、「掲示板に出かける」のではなく、「掲示板に帰る」ことになったということです」
と獄中手記で言っている。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/bf2fa2d1daca2001ed8c398176928b5a
でも相手の顔が見えないネットの会話はとても難しく、はじめはていねいでも、意見の違いや価値観の相違がすぐ表れ、言葉をはしょって過激になったりする傾向がある。
そんなときでも、自己確立した大人なら自制し、たしなめたり、それでもダメなときはそのグループからそっと離れたりと、現実社会と同等の対応がとれるはず。
だが、自己確立しずらい現代社会において、一度ネット仲間の中でトラブルがヒートアップしたら、全存在をかけて対応してしまう人もたくさん出てくるだろう。
加藤智大被告も掲示板の中で他人のなりすましの嫌がらせに合い、そいつや掲示板仲間に見せつけるため事件を起こしたと言っている。
ネット空間は会社や地域社会、グループの中ような序列がないし、おまわりさんもいない。だから誰かが強面で場を抑えたり、ピーっと警笛を生らすこともない。ここらあたりをルール科していかないと同じような事件が次々と続きそうである。
序列がなくなったのはネット社会だけではなさそうである。
最近起こった「山口5人撲殺・放火事件」は衝撃的なできごとだった。
人が自分の生まれた村へ帰り働くのはもっとも自然なことで、何でこんなことが起こってしまったか強く疑問が湧いた事件であるが、これも長幼の序があった昔なら考えられないことではなかったか。
ま、「八つ墓村」で知られる津山事件など昔もあることはあったが、「山口5人撲殺・放火事件」の方は現代社会の病理が起因しているようにみえるのだ。
事実かどうか分からないが、ネットの中に次のような記述があった。
『情報を総合すると
村おこしを提案、憩いの場シルーバーハウスhomiを開設
無償無料で、家に手すりを付けてやる等の大工仕事、草刈り、買い物代行、病院送迎
結果↓
草刈機を焼かれる。退職金を巻き上げられる。刃物で刺される。悪口を言われる。村八分にされる。
犬を殺される。家に農薬をまかれる。家を焼かれる。車にいたずらされる。
墓を倒される。土地を横領される。2匹目の犬を殺すと脅される。自分も殺すと脅される。
↓
仏も鬼になる。
という経緯かな』
犯人は63歳男性で団塊の世代である。
上記のようなアイディアがあったとしても不思議はないが、ただ、家周辺におかしな飾り物を置くなどするのから考えると、協調性に富んでいるとは言いがたいだろう。
しかし、村人が過去に犯人を刺したというのや、警察に相談へ行っている報道から想像すると、村人の犯人に対する態度もかなり激しいものだったようにみえる。
このいじめや「広島LINE殺人事件」の集団で一人を殺したもの、「秋葉原通り魔事件」の加藤智大被告に共通しているのは「孤立」であり「孤独」である。
私がネットが使えなくなり不安に感じたのは、この孤立感をちょこっと味わったからなのだった。
つづく
船底はすっかりきれいになり、船足が速くなった。
今日はこれからダイビング船だ。

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