マルバダケブキ/背丈のある草原をかきわけ歩いたら隠れていた/
ネットが使えず、詳しい天気予報を調べたり、日課のように見ているブログが見えないというのは、もう生活に支障をきたすレベルかも。
私の場合、メールも携帯でしないで(できない)パソコンのみ。
この、音もなく突入してしまったネット社会でちょこっと味わった孤立感。
そんなことを書こうとすると、急速に変質してきた現代社会の生活スタイルやら多くの問題点までズルズルと出てきてしまう。
そんなつもりはまったくなかったが、ついでだからもう少し続けてみようと思う。
おっと、その前にソフトバンクが雑誌「マイコン」を作っていたと書いたが、大変な間違いだった。出版は電波新聞社だったのだ。
当時孫さんは自動翻訳機を開発しパソコン界で有名だったが、何でそんな記憶違いになっていたのだろ、完全に思い込んでしまっていた。
ソフト・バンクが設立されたのは私がI/Oをやめて3年ぐらい経ってからで、何かを混同したのか。
たいへん失礼! おはずかしい。
で、今回はその孫さんが会社創立から20年も経ず駆け上がっていくことになる世界「パソコンの高性能化とともに超高速化した社会」について自分なりの分析をしておこう。
また大きな間違いをしたら困るので、一冊だけ保存してある1980年のI/O7月号を引っ張り出し、見てるが、ネットが使えない数日間(2)に書いた、編集部室でビデオカメラと接続して画像を映し出したパソコンがアップル社2作目、Apple2なのが分かった。
で、こいつのメモリ(RAM)はなんと16KBだった。記録は外部メモリのフロッピーディスクに書き込む式(1M以下)。CPUは8ビットである。
そして、いまこの項を書いているMacbook proのメモリが4GBで外部メモリのハードディスク容量は350GB。CPUは64ビットである。
この二つのメモリを同じ単位に揃え比べると、
16KB : 4,000,000KB
なんとMacbook proのメモリがApple2より25万倍も大きくなっているのである。この作業エリアのメモリ差はそのまま能力の差だろう。
ちなみに16KBは400字詰め原稿用紙20枚分の文字で満杯のサイズだそう。
もちろん文字は英文と数字のみ。
この数字の計算ぐらいしかできず、たとえもらったとしても何に使うか困ってしまうようなパソコンの定価が32万8,000円である(モニタなど別)。
Apple2から世間一般に出回り始めたパソコンだが、30年という時間を経て世界で一番人間に使われるツールとなってしまった。
パソコンを使わない人もスマホでインターネットをやり、これのスペックもCPU64ビット、メモリ2GB、外部メモリ(SDカード)64GBとパソコン並み、というかパソコンそのもの。
みな意識してないだろうが、カメラを持たない人が携帯で簡単に写真を撮るし、キーボードを触ったことない人が文字を打ってメールするし映像まで送る。
これが世界の果てまで届き、逆に世界の果てからの情報も届く。
現代人はポケットの中に放送局を持ち、カメラやタイプライター、コンピュータを持っているのである。
このコンピュータの進化は社会の超高速化をもたらしている。
私が小さな制作会社へ入った20代前半の頃、印刷物はみな版下を作り、製版でフィルムにし、アルミ版に焼付け、印刷機を回した。
勤めた制作会社では印刷物の編集・デザインをするが、その版下まで仕上げていた。
版下には、まず印刷の裁断目安となる四隅のトンボという細い枠線を入れる。これは当時烏口というカラスの口のような二つのクチバシで墨を挟み込んだペンで、0,1ミリぐらいの線を引いた。
その後ロットリングというボールペン式の用具に替わり作業が簡単になっていった。
その版下に文字やら図版やらデザイン通りに貼り込んでいくが、文字は写植屋さんで打ってもらい、印画紙状になったものを使っていた。
印刷物が出来上がるまでにはいくつもの行程、多くの職人さんの手を経ていたのである。ともかく手間がかかる仕事で、変更が入ると版下まで遡って直しを入れていた。
それが、いまや版下製作も写植もデザインも編集も、イラストや写真、製版までもデジタル化され、大型印刷機までデジタル印刷機が出始めている。
これらすべてがパソコンの中でできるから、版下屋さん、写植屋さん、製版屋さんは急激に仕事が少なくなり、校正刷屋さんもなくなっていくはず。
昔のデザイナーの道具、写植文字の大きさなど計る「級数表」やデバイダ、三角定規、などなど多くの道具、鉛筆すら必要なくなってしまったのだ。
いや、鉛筆は打ち合わせなどでラフを描くとき必要かな。
雑誌の著者校正も前に書いたとおり、メールである。昔、特別な急ぎがあり、東京から湯河原までバイク便で校正刷が送られてきたことがあったけどいまから考えたらなんとムダな労力だったこと。
これもみな意識してないだろうが、パソコンはこれら職人さん達の能力を全部持っているのである。
いままた3D印刷というのができて、複雑な形の立体も金属部品も印刷機で作り上げることができるようになってきた。ほんとに信じられない技術で、たとえばクルマのボディ―を印刷できたりするのである。
これもアイディアとデザイン感覚がある人なら誰にだってパソコンでできるのだ。
3D印刷がより精密で頑強にできるようになると製造業の基本である旋盤を使った作業や金型が必要なくなることを意味している。
3D印刷はまだ始まったばかりだが、生まれた技術はどんどん進化するから、遠くない将来、そうなる可能性がある。
いま世の中の職業でパソコンが使われてないものはほとんど無いのではなかろうか。そこでは印刷業界ほど劇的なガラガラポンはないかもしれないが、商品管理から発注、発送と省力化、高速化があるだろう。
最新ロケット「イプシロン」はパソコン2台で飛ばせるようにしたそうだし、高速化でいえばリニア新幹線が実用化に向けて走り出した。これが完成すれば品川→大阪間を約1時間で結ぶというから信じられない。
人間の一つの欲望、「より速く」はパソコンの進化や新技術の開発で急速に達成されつつある。
以前、よく冗談のように「このパソコン、むかしのスーパーコンピュータ並みの能力があるんだよ」「当時これがあれば数億円でも買えなかったかも」と言っていたが、これホントのことなのだ。それほどすごいマシンを一人一人が手にしているのだ。
パソコン1台で映像の編集ができ、ビデオ映画も作れるし、音楽の作曲もできるのだ。また、手足が動かず口もきけない障害者が目の動きで文字を選び音声にして伝えることもできる。そんなすごい能力がある。
いまはスマホが最前線でみな一律の機能だけど、そのうち分化し、よりパソコン的な使い方のできるものや、録画機能や音楽機能が強いものなど色々出てくるはず。
しかし、機械ばかり進歩して、それを使う人間がおっついていないのが現状だ。
つづく

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