秋葉原の事件の裁判が始まったけど・・・
犯人が、自身の犯行を認めながらも、その派遣切り等の生い立ちや、孤独の中頼っていたネットの掲示板で無視された事などから、今後自分の様な事件を起こす人間が出ないように、この裁判をして欲しい、というような事を願っている、らしいが・・・
何だか・・複雑な感じです。
そういった社会問題は、確かに ある けれど・・・
確かに、そういう問題は、何とかしなければならないんだろうけど(不景気による雇用問題や、ネットサイトの問題、人間関係等々)
それと、それを理由に無差別殺人は、別。
まして、当の本人がいう事じゃない。と思うんだけど。
そんなに、ちゃんとした考えを持ち、申し訳ないことをしたと、罪を償いたいと思うなら、
どうして、犯行を思いとどまらなかったのかとも思う。
悲しいかな、今の時代、そういう立場の人達は、彼以外に沢山いるわけで。
確かに、平和の方だろうこの国も、
心の平和は、どうかな?とは思うものね。
物が溢れて、不自由なく育って来た人間が、今の様な不景気になった時、
何でも欲しい物を与えられて育った人間が、自分の思い通りにならなかった時、
また、家族をも巻き込んでの、受験第一主義で来た人間が、社会に出た時、
アレコレ考えると、今の若者達は、生き辛い時代かな、とも思う。
だいいち、そんなに受験に重きを置いても、実際、先進国の中で、この国の学力は、どんどん落ちてる現実。
最低限、人としての心は、親を含めた周りが育てなければならないし、
勉強は、本当に勉強したい者、目指す何かがある者には、国は道を開いてあげるべき。
何だか面倒なブログになったなぁ〜と思ってたら・・ふと・・今・・「さだまさし」のちょっと前のCDの中の「ちいさなおばあさん」と言う歌の解説を思い出した。
若者は「想像する力」を忘れている、から、
自分もまたやがて老人になる、というイメージが出来ないから、
「うざい」「ばばぁ」「だせー」など、邪魔者にしか見えない。
どの老人にも、沢山のドラマが詰まってる訳で・・老人がどう老人になったか想像できる心があれば、自然に老人に対する敬意やいたわりは出来る。
ねぎらいや感謝は心から湧き出す物で、「お年寄りを大事にしましょう」とか「席を譲りましょう」とかの、沢山のキャッチコピーみたいなのは、心を動かさない。
「心の豊かさは想像力が作る」簡単に要約すると、そんな事だった。
うーん・・なるほど〜・・・
そして、
「想像力の豊な子供を育てる事は、日本の未来にとって最も大切な事だ」と。
学力に置いても、「想像力」は必要だね、「応用力」とともに。
秋葉原の事件とは、関係ない事だけど・・
この「さだまさし」の歌、今抱えてる 人が病んでる とかの問題の、根本になるなぁ〜と、思ったりしたのです。
絵文字

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も色無く、面白くないブログになってしまってごめんなさいです。

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