都営浅草線・京急線を走るツーハンドル車も定期的に走るのは千葉ニュータウン鉄道9000形だけになってしまい、後継の9200形も登場しているのでいつ引退してもおかしくないって思っていましたが遂に3月での引退が決定し、両線を走るツーハンドル車の定期運行が終了することになりました。北総7000形が引退してから10年、これで北総・千葉ニュータウン鉄道車の世代交代が完了することになりますがオリジナリティーのある車両が9100形だけになってしまうので寂しくなり、北総で重要部検査や全般検査が出来ればオリジナリティーを貫けたのに残念って思ってしまいます。
9000形も他の北総・千葉ニュータウン鉄道車同様印旛日本医大〜羽田空港間をメインに活躍していましたが日中の列車は京急線内快特になるため同形も緑色の種別を表示して快走し、凄い出世だと感じてしまったことがありました。日中以外はエアポート急行で京急線に直通していましたが青色の種別の方が見慣れていたためかエア急の方が日常的な感じもしました。
9000形はかつて新京成線に直通していたことがあったため今でも新京成用の列車無線アンテナが残っており、特徴の一つになっていますが直通中止後も撤去せずに残していたのはくぬぎ山車両基地への回送があったためで、N800形の最初の編成を投入する際にも中間車2両を抜いた上でそこにN800形を2両組み込み、変則的な8両編成で走っていました。
9000形の側面窓周りです。行先表示は京成タイプですが印旛日本医大の上に「(千葉ニュータウン)」と入っているのが特徴的で、かつて千葉ニュータウン中央が終点だった頃を思い出します。また側面には北総鉄道のプレートがありますが9200形を除く千葉ニュータウン鉄道の車両には全てこれが取り付けられており、北総所有車両と勘違いしそうです。
9200形を除く千葉ニュータウン鉄道の車両は当初住宅・都市整備公団が所有し、後に都市基盤整備公団所有になって千葉ニュータウン鉄道に引き継がれていますが9000形は住都公団時代の1994(平成6)年までは2000形を名乗っており、京急への乗り入れが始まってから車番の重複が発生してしまったために形式を変更しました。また当初は両先頭車がTcでしたが京急乗り入れ開始後にMc化されており、以後京急乗り入れ基準を満たす車両として20年以上に渡り活躍し神奈川県内にも入線しました。
※写真は全て品川での撮影です。