オレのいた一中吹奏楽部には、恒例の夏合宿があった。
昼間はずっと練習。
みんなで晩飯食って、また練習。
ナイターつけてプールで遊泳。
消灯。
朝練。
帰宅。
まぁこんな感じのスケジュール。
練習メインの強化合宿なのだが、それ以外にも色んなイベントが起きる。
1年の時は、夜の校舎のゴキブリの多さに愕然。
初の500ml一気。
3年生の先輩たちのパジャマ姿にドキドキ(吹奏楽部は9割が女子部員)。
2年の時はうれしすぎるOBのみなさんの訪問。
O君が後輩の寝顔を写真に撮りまくった事件。
気がついたら同じ布団に酔っ払った先輩が寝ていた。
暴走族登場。
本当に色んな事があった・・・。
そして3年生。
最後の合宿。
先生方が麻雀を終え、顧問以外の先生方が帰って行った頃。
顧問が学校の門を閉めた頃。
オレは扉を開けた・・・。
1992年7月下旬。深夜。
赤松「どうだった!?」
オレ「なにがよ?」
S 「いい感じやん!」
オレ「喋ってただけだよ。」
M 「バカお前!普段じゃ絶対ムリな事が今起きてるんやで!」
オレ「そう・・か?」
赤松「行けって!うまくいかんかったら殴るぞ!」
S 「ちょっと待て。それなんでや?」
追い出されてしまった・・・。
消灯からもう何時間経っただろう。
夜の校舎は真夏にも関わらずひんやり涼しく、廊下がいつもより長く見えた。
見慣れた校舎が古代遺跡か迷宮の様に見えるこの感覚。
これももう最後か・・・。
少し感傷に浸りながら歩いてみた。
ここで、さっきまで彼女と話していたんだ・・・。
彼女、ミィ(仮名)は一つ下の後輩。
可愛らしいという言葉がよく似合う彼女だが、いつも一緒にいるSが誰もが目で追ってしまうような美少女だったせいか、そんなに目立つ存在ではなかった。
実際オレも特に意識して見た事は無く、この日まで言葉を交わした事もあまりなかった。
ついさっき、一人で歩いていたミィと、部屋に遊びに来た女子の中にTがいたので脱出したオレは偶然廊下で会い、30分ばかりそのまま話し込んだ。
オレが転校してくる前の長野の村の事。
身長が高いのを気にしているミィを、オレが一度も大きいと思った事がなかったという事。
この前の期末テストの事。
そこを同年代の男どもに見られていたようだ。
部屋に戻るとみんなに冷やかされ、焚き付けられ、追い出された。
で、今に至る・・・と。
はぁ・・・。
ガキだねぇ、みんな。
そっちのことしか頭にないのかよ・・・。
同い年の男どもは見事に全員、年齢と彼女いない歴が重なっていた。無論、オレも・・・。
ひとりぼっちの夜の校舎でも、南館は比較的安心する。
特別教室が無いからだ。
さっきまで中館の理科室では非公式だが恒例の肝試しが行われていたようだ。
よくやるよ・・・。
オレは苦笑しながら中館の方を見ていた。
とんとん
不意に、床を指でつつく音が聞こえた。
驚いて振り返ると、ミィが笑っていた。
ぼんやり歩いていたオレはいつの間にか、茶華部の使う和室の前に来ていた。
彼女の泊まる部屋はここだったようだ。
彼女は閉めきった扉の前に、一人で座っていた。
オレ「なにしてんの?」
ミィ「みーんないびきかいてる・・・。」
彼女は部屋の中を指さして笑った。
オレ「眠れないの?」
ミィ「はい。」
オレ「散歩行く?」
ミィ「行きましょうか。」
再びミィと合流したオレは、ゆっくり歩き出した。
今度はみんなに見つからないように、男子の泊まっている教室から離れた。
オレ「げ。」
ミィ「え?」
オレ「ミィちゃん、スリッパ手に持って。」
ミィ「はい?」
オレ「しゃがんで。」
ミィ「はい?」
オレ「ダッシュ!」
ミィ「はいぃ!?」
オレ「先生!」
ミィ「わぁぁ!」
顧問の先生が見回りをしていたのを発見したオレは、驚くほど的確な指示を出しつつミィと逃げた。
向かった先は、ちょっと不気味な特別教室が並ぶ中館だった。
オレ「こわい?」
ミィ「大丈夫です。」
彼女の顔には「探検したいです。」と書いてあった。
正直怖かったが、ここはムリしてでも行かなくてはいけない。
技術室、理科室、音楽室・・・。
胸の鼓動が早くなっていくのが、夜の校舎のせいだけではない、という事に、まだオレは気がついていなかった・・・。
楽しそうにはしゃぐ彼女が、大きな時計と校旗のあるベランダで立ち止まった。
ミィ「綺麗・・・。」
オレ「満月だね。涼しいし、いいね、ここ。」
ミィ「うん。・・・すいません。」
「うん。」と返事をしてすぐに、ミィはしまった!という顔をした。
本当に彼女の大きな瞳は感情がはっきりと表れる。
オレの行っていた中学校は縦の礼儀が徹底されていた。
一年生の校舎の水飲み場が長蛇の列でも先輩は平気で割り込む。
一日何度でも擦れ違うたびに大きな声で挨拶。
2年生が3年生の荷物を持てば、1年生が「先輩!持ちます!」と追いかける。
こんなのがカッコワルイと思っていたオレでも、そこは持ってもらわなければいけない。
「いいよ。自分で持つから。」とオレが断って自分で荷物を運んでいるのを他の3年生が見つければ、後で断られた1年生が2年生に「なんで3年生に荷物持たせるん?」と怒られるからだ。
タチが悪いのは3年生。自分は優しい顔をしておいて、後で2年生に「1年のあの子、生意気。」と告げるのである。
頭を下げて謝るミィを見て、すっかり「探検仲間」としてミィを見ていたオレは、少し寂しくなった。
彼女にとってオレは、「3年生」なのだ。
オレ「いいっていいって。じゃぁ、今日は他に誰もいないし、敬語使わないで普通に喋ってよ。」
ミィ「ええ・・・それはちょっと・・・。」
オレ「じゃぁ、「敬語つかっちゃダメ」って事で。」
ミィ「はいっ。」
ミィに笑顔が戻った。
嬉しかった。
今から思えば、この辺りから気持ちが変化していたようだ・・・。
オレ「何話そうか?」
ミィ「じゃぁ、転校してくる前の話。さっきの続き。」
オレ「へぇ、あんなんおもしろかった?えっとね・・・。」
オレは熱く語った。
生まれ故郷の新宿の街では、自販機に電光掲示板があること。
マクドのレジがたくさんある事。
歩行者天国の事。
目の前で幼馴染が車に轢かれた事。
8年ほど住んだ千葉の街では、毎日心霊スポットの横を通って登校していた事。
可愛がってた鳥が死んだ時の事。
初恋の事。
登校拒否の事。
6年生の時に山村留学で一年行った、長野の村では、湖が凍ってスケートが出来るという事。
流れ星が交差して流れるという事。
今まで住んだ街で出会った、あたたかい人達の事・・・。
ミィが時折見せる笑顔が、たまらなく嬉しかった。
もっと話したい。もっと話を聞きたい。もっと笑わせたい・・・。
楽しい!
ミィ「M先輩、かっこいいですよね。」
オレ「えっ・・・?」
話題は「部員達の裏話」だった。
オレ「うん。かっこいいよね。いいやつだし。」
ミィ「男子皆仲良くっていいですよね。」
胸が痛くなってきた。
なんで?
オレ「M好きなん?」
ミィ「ううん。私は別に。」
ほっとしていた。
なんで?
遠くの空が紫色になってきた。
朝か・・・。
そっか、もうすぐ朝なのか。
帰らないとな・・・。
さびしいな・・・。
なんで?
コンクールが終わったら、もう引退か・・・。
部活行かなくなったら会えないよな。
いや、同じ学校だし、会おうと思えば会えるか。
家、確か大野だったよな。
教室で勉強しながら待ってれば一緒に帰れるか。
またゆっくり話せる。
楽しいだろうな・・・。
なんで・・・?
これは・・・?
「恋をすると、最初誰でもぼーっとする。そんな時はいつも、相手の事を考えている・・・のではなく、自分と相手がうまくいっている姿を思い描いているのがほとんどだ。」
のちに「白石バイブル」と呼ばれるようになる本の中の一節を思い出した。
好きだ・・・。
好きになった・・・。
そう思っている自分が、嬉しかった・・・。
ミィ「寒い・・・。」
オレ「ああ、ごめんごめん。中入る?」
この数秒の間に、オレが黙っていた数秒の間に起きた、気持ちの変化とその自覚。
オレはすっかりうろたえてしまっていた。
ミィ「いや・・・。朝日見る。」
オレ「うん・・・。そだね・・・。」
彼女は隣りでちっちゃくなって、膝を抱えて座っていた。
かわいい、と思った。
オレはそっと彼女の背中に手を置いた。
冷たい。
手を肩に回して抱き寄せた。
生まれて初めての事。きっとぎこちなかっただろう・・・。
オレ「寒い?」
ミィ「あったかい。」
オレ「いや?」
ミィ「・・・ぜんぜん。」
ミィが寄りかかってきた。
人の肩を持つなんて、合気道の稽古で何度もやっていた。
けど、年下の女の子の肩がこんなに小さいという事、手を置いていないほうの肩から背中の重みがこんなに心地いいという事。
オレはこの時初めて知った・・・。
時間が止まったらいいのに、とかこんな時よく言うけど、時間止まったら思考も止まるから別に嬉しくないんだろな。
そんな事を考えていた。
ミィが急にクスクス笑い出した。
オレ「どした?」
ミィ「先輩の胸、すっごい。ばっくんばっくん言ってる!」
オレ「ゆーな、そーゆーこと!」
肩に回していた手を、首に巻きつけた。
さっきより顔が近い・・・。
この日の朝焼けはまるで絵葉書のような、染まった雲が朝日から伸びてきた道のような・・・。
オレ「じゃぁね。」
ミィ「はい。」
朝日が見慣れた真夏の太陽に戻る頃、オレ達は廊下で別れた。
みんな、起きてるかな?
先生、見回り来てオレがいないの気がついたかな?
ミィはこれから・・・・・
オレは振り返り、ミィの帰って行った廊下を見た。
ガラスの靴は、落ちていなかった・・・。
1995年 秋
重たいギターケースを抱えた仲間達は、気を利かせて少し遠いところでオレを待っていた。
オレ「ごめん!お待たせ!」
太田「おお、話弾んどったな。今の明善の子、知り合い?」
オレ「うん、こんなとこでバッタリ会うなんてねぇ。てかごーめん!そんな長い事話し込んでた?」
赤松「いや、そうでも。なぁ、あの子って・・・。」
太田「オレも見た事あるわ。大野やんな?えっと・・・。」
オレ「・・・シンデレラだよ。」
三人「は?」
オレ「ほら行くぞ!coco壱寄るんだろ?」
塩田「行く?よっしゃ、腹へったわホンマ!」
オレ「1300g挑戦!今日やろっか!」
太田「おお!どうしたノリノリやん!」
夏も終わりか・・・。
文化祭が近い。
明日、学校が終わったら新しいスティックを買いにこよう。
で、時間があったら遠回りして帰ろう。
今くらいの時間にこの辺を通って帰ろう。
そう思った。
完

0