「いつか、きっと胸を張って帰ってこよう・・・!」
昭和が平成に変わった年の春、オレは大きなリュックを背負って、その街を後にした。
胸がどんどん痛くなる。
やっぱ直接大阪帰った方がよかったかな...なんて少し後悔し始めた頃、電車は津田沼駅に着いた。
10年振りの実感が少しづつ湧いてくる。
噛み締めるように階段をゆっくり登った。
確か・・・この階段を上がりきったところに鳥の絵があったはず!!どうや?変わってないか!?
鳥の絵のある駅は、変わっていなかった。
早くも涙が出て来た。
変わっていない...!
ん?
涙が止まらないまま改札を出て南側に歩くと、ロッテリアがビジネスホテルに変わっていた。
まぁ・・・そんなもんだよね・・・。
ちょっと驚いたが、好都合だ。ちょうど胸の痛みも限界に近づいている。
オレはそのホテルにチェックインして、懐かしい夜景をしばらく見つめていた。
第33回全日本新人王トーナメント。
その日、オレは初めて表彰台に立った。
準決勝での敗北の悔しさは四位のトロフィーでは治まらなかったが、憧れのK−1選手からの授与には正直震えた。
大阪勢は東京駅から高速バスで帰る。
8時間も狭い席に座る旅は、試合後の体には辛い。
気が進まないながらもバス乗り場に向かう途中、誰かがオレに呼びかけた様な気がした。
・・・・・・・まだ、だめ?
・・・・・・。
・・・・・・・・・今なら・・・いいかも知れない。
オレはバスのチケットを払い戻してもらった。
向かった先は、総武線。
千葉県習志野市。
オレの第三の故郷。
ものごころついた街。
父といた街。
逃げるように、去った街。
東京から快速で30分。
実はオレは都会っ子だったのか?こんなに東京に近かったのか、とか思っていた。
さて、勢いで来てしまったものの、一体どうすればいいのだろう?
オレはどうすればいいのだろう?
オレはどうしたいのだろう・・・?
考えているうちに睡魔が襲って来た。
誰かに会えるかな・・・?
みんな、今もこの辺に住んでるのかな・・・?
いや・・・やめとこう・・・。
・・・・まだ、だめ?
朝、激痛で目が覚めた。
くしゃみしただけでコレか!?と驚いた。
いい天気だった。
よく母と買い物に行ったダイエーに行ってみた。
ウルトラマンなんかのショーをよくやっていた広場は、そのままだった。
農道もそのまんま。
行くはずだった中学校も変わっていない。小さい頃よく遊んだ子が溺れて亡くなったプールに、手を合わせた。
少年時代、最も恐ろしい場所だったカラス神社は、相変わらず不気味だった。
七夕の時に笹を取りに行った林は、ライオンズマンションになっていた。
もうすぐ、あのアパートに着く。
あの部屋に違う家族が住んでいるのか、と思うと少し複雑な気分だったが、やはりここは1番懐かしい場所だ。
毎日遊んだ公園が見えた。
「上の公園」と読んでいた場所だ。
遊具はほとんど変わっていて、幼稚園に入る前に小学生の真似をして飛び降りてケガした滑り台も無くなっていたが、かくれんぼの時によく世話になった木は、そのままだった。
ちょっと寄り道して、木の前に立った。
こんなに小さい木だったのか、と驚いた。
なんだか全てが小さく見える。
フェンスの穴・・・。
一番大きな木・・・。
固いベンチ・・・。
水のみ場・・・。
オシロイ花・・・。
昔の道場にある様な、住人の札のかかったアパートの案内図があった。
3号棟。208号室。
さんのにいまるはち。初めて覚えた住所。
当たり前だが、そこに「白石」という札はかかっていなかった。
案内板を過ぎると、もうすぐオレが住んでた3号棟だ。
何にかもよくわからない期待が、大きくなってくる。
そして・・・オレは、思わず声を挙げていた。
「うぉぅ!芝生が無くなってる!?」
続く

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