@基本3門派の最終記事
アスト「今回は、開手門、暗影門に続く第3の門派、四大門について語る回だ」
リバT『なお、四大は「しだい」と読みます。ファンタジー世界における地水火風4つのエレメントを表す言葉ですね』
ダイアンナ「武術に魔術を組み合わせた流派だから、この研鑽にはあたしも力を貸したと言っておこう」
アスト「オレは、魔術のことはからっきしだからな」
蓮火「魔術なら、この魔王に任せておけ。要は、『俺のこの手が真っ赤に燃える。勝利をつかめと轟き叫ぶ!』と拳に炎を宿せばいいわけだ。気合を込めて、体内の熱を拳に集中させて、空気中との摩擦で発火させる。応用すれば、大気中の静電気を駆使して電撃拳を放ったり、かまいたち現象を起こしたり、凍気を放ったりも可能」
アスト「属性拳を魔術でなく物理的に編み出す流派や、単純に機械の力で再現したりすることもできるだろうけど、魔術とは根本的に違いますな」
蓮火「ほう。何が違うと言うのだ?」
アスト「理論上は、モンクの武術の基本は『気』の力にあります。大自然の『気』を体内に感じ、無念無想のままに一体化する。炎を操るのではなく、自らが炎と同調一体化することで、己の中から炎を生み出して発動させる。内なる力と外なる力を区別させることなく、梵我一如の精神で『我が身すでに鉄なり、我が心すでに空なり』を体現化させる。この境地に目覚めることこそ、東洋の神秘……という理論です」
蓮火「なるほど。つまり、流派・東方不敗よりは、グレンファイヤーになればいいわけだな。自分自身が炎になるのが、四大門のあり方だと」
ダイアンナ「魔術理論は世界観にも関わって来るし、文化思想によっても異なる説明が為されているけど、より科学に根差した魔術や、神々を通じた信仰魔術、言葉や人の認識を操作する系統の魔術、個人の霊感に基づくもの、異界の力との契約に基づくものなど、種々様々だな。その中で、モンクの技は総じて、自分の内なる気を外界と同調連動させることで放たれることが多いようだ。よって、強すぎる自我への執着や、極端で過激な情動を戒め、中道を良しとする思想で、外の事物を思うがままに操るという支配の考え方では、悟りに至れないともされる」
蓮火「しかし、生まれついて炎の塊のような生物はどうなるんだ?」
アスト「それは武術ではなく、種族特徴みたいなものじゃないか。炎の元素精霊イフリートだったら、普通にパンチを放つだけでバーニングナックルと言えるだろう? ただ、そういう生まれついての属性でなく、後天的に元素の力を体得するにはどうすればいいのかを考えるのが、四大門ってことで」
蓮火「適切な環境で育ったアメリカ人は普通に英語を喋れるが、日本人が英語を使えるようになるには、それなりの修練を積まねばならないのと同じことか」
アスト「まあ、修練によって、どこまでのことができるかは、天賦の才や学習能力、それに教育環境や教師の質、それに本人の意欲や頑張りなど、多くの理由があって、習得した技能を実践活用する機会にも影響するだろうしな。ただ、大成した人間というのは人一倍の努力も当然のようにこなしているし、せっかくの機会も一期一会と見なして大切にするし、自分の中の生きるべき本義を見据えて、その点は純粋に己の核として、珠のように磨き抜く生き方をしているわけだ。『自分はこれを貫くために生きてきたし、これからもそうするつもりだ』と言いきれる柱を持っているかが、他者の思惑でブレない自分じゃないかな」
蓮火「なかなか、立派なことを言うじゃないか。ならば聞こう。お前の柱は何だ?」
アスト「もちろん、翔花ちゃんだ」
蓮火「女かよ」
アスト「誤解するなよ。オレにとっての翔花ちゃんは、愛の象徴と同義なんだ。今は、ダイアンナ=翔花ちゃん=ラブコ武流の真髄と悟るに至ったし、愛の力でハッピーというのは流派・東方不敗の教えにもかなっているはず」
蓮火「愛か。確かに、燃え上がる情熱は炎そのものだな」
アスト「されど、愛は盲目。自制できないワガママだけの愛では、妄執と変わりない。愛ならば、自分の想いと相手の想いをどう同調連動させるかに掛かっている。己が情念だけしか見えぬようでは、歪んだ独り善がりの愛となって、モンクの悟りとは程遠いのも道理。ゆえに、智慧なき愛は戒めるべし……だそうだ」

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