ここのブログで、本来こういうことを書くつもりはなかったですが、一応、近況について。
今週は、花粉症でNOVAのテンションがどこかおかしい、というのが、まあ、NOVAに関心のある人間の理解だと期待しています。
ぼくも、自己主張旺盛な面と、行き過ぎた自己主張で失敗して遠慮気味になる面を持ち合わせていて、それで「ここなら、こういうことを書いても問題ないな」「ここなら、こういう話は場違いだから控えた方がいいな」などと周囲の反応や状況を見据えて、タイミングを見て書くようにしている。
「今こういうタイミングだったら、この話題を絡めても問題なさそう」とか。
そして、相手にメールを送るなら、その相手が公開している掲示板やブログといった相手を知れる情報源を先にある程度チェックしてから、「ああ、今なら問題なさそうだな」とか、相手のペースを確認しながら、自分のペースをある程度、合わせようと考えている。
当然、自分と付き合おうとする相手にも、こちらのペースや状況を、さりげなく、時には明確に伝わる形で、相手方に示して、うまく応じてもらおうと考えている。
しかし、流離さんには、そういう配慮がなかったんだな、これが。
ぼくが、それをしなかったのではなく、ぼくの発信した情報を受け止めずに、流離さん自身が流れるままに、好きなようにメールを繰り返してきた。
2月とか、NOVAが仕事で、最も精神的に慌ただしい時期にだよ。
8月は、物理的に忙しいので、ネット活動そのものが控えめになる。まあ、NOVAが忙しいのは傍目から見ても分かりやすいだろう。
2月はね、NOVAは仕事で引き締めすぎた気持ちを癒すために、空いた時間を掲示板の趣味の書き込みで費やしながら、今の仕事が終わったら、どうしようかな、とか未来に希望を夢見ながら、日常生活を頑張っている。
もちろん、掲示板書き込みそれ自体、ビジネスでこそないが、「NOVAのやり甲斐のある仕事」だし、「実生活では、その時期になかなか得られない(2月の社会人はみんな多忙なのだ)日常的コミュニケーションの場」であり、そこに書き込むだけで自分が癒される「自分の家、あるいは友人の家」みたいな感覚だ。
メールにはそういう感覚はなく、大抵はビジネス、トラブル処理、たまに顔見知りの旧友との挨拶、相談持ち込み、そして今付き合っている友人とのオフ会の約束だったりする。メールで、趣味について延々と雑談を交わすような感覚は、ぼくにはないのであって、そのことは度々、流離氏にも伝えてきた。
ぼくと流離氏の関係は、創作企画が終わった時にビジネスライクに終了していて、
その後も付き合いを維持しようと思えば、何の目的で、どういう形で続けるのが最適か、共通のすり合わせが必要だったと考える。
もちろん、創作企画を通じて懇意になった人たちとは、それぞれ掲示板やツイッターで付き合いが続いているが、メールのやり取りはあまりない。わざわざメールという個人間の閉じたツールで、マンツーマンの関係を保たなくても、共通の関心ある作品感想を互いに見えるオープンな場で語り合っているだけで、十分だからだ。まあ、時宜挨拶的に、プライベートにまつわることをちらっと話題に出すこともあるが、それはあくまで本題ではなく、大事なのは「鑑賞作品を肴にした、互いの見識披露だったり、感想を語る中で分かってくる個人の興味の傾向とか、人間性への共感とか、まあ、この酒を一緒に美味しく飲める友人とは付き合って楽しい」って感覚。
ぶっちゃければ、「酒飲み友達は別にプライベートなんて知らなくても付き合えるし、酒の場で自分のプライベートを延々と語り出して、愚痴られたら、酒が不味くなる」ということ。
あ、もちろん、NOVAはこの場で「自分の過去の思い出を延々と語り出して、自己満足の場にしている」が、それはブログというものがそういうものだ、と認識しているからである。
まあ、掲示板上で時たま、「掲示板のこれまでの経緯とか、今の状況の分析とか」延々と総括的に語ってみたくなる時もあるけど、それは歴史学専攻の癖みたいな物。それと、「あの時には、自分たち、こんな話で盛り上がったよなあ」ってノリは、クラブやサークル活動で「あの時、俺ら、練習きつい中でよく頑張ったよなあ」とか、「あの試合は凄かったよなあ」とか、同じグループ内で味わった共通体験を分かち合うコミュニケーションの契機と思っているわけで。
閑話休題。
流離さんも、もう10年もNOVAと付き合いがあるのに、相変わらず相手の望みとか、場の役割とか、そういう自分の関わる外部のことへの社交的関心とか、振る舞い方とか、いつまでも学んでくれないなあ、というのが不満材料です。
こちらが懲りもせずに(いや、何度も懲りたんだけど)、事あるごとにメールで提案したり、助言したり、そうしてきた結果が、まあ、あれだ。
ついついうっかり、公けの場で個人情報をベラベラ喋る。自分の話題を面白くするための調理の仕方を心得ない。ブログで書くべきこととか、どんな頻度でコメント付ければいいか、など見えていない。コミュニケーションを求める相手の発信している情報を追いかけずに、相手が自分に何を求めるかという話に無頓着。などなど。
ちょっと今は、コメント対応についても悩んでいて、その答えが見つかるまで、対応はできない旨を伝えたい。
というのも、ぼくの理想とするブログでの関係は、「ブログ主の記事書き」→「その記事に関して、客人のコメント」→「それを受けてのブログ主のコメントレス」というセットが基本で、それほど長文も書けないし、延々とコメント上でのやりとりを続けるものでもない、と。
絶え間なく、コメントとレスの応酬を続けていれば、一番書きたい「自分のブログ記事」が気持ち的にも時間的にも書けなくなるし、
花粉症で苦しんでいる中で(まあ、昨日と今日はマシなので、来週になったら案外元気になっているのかもしれないけど)、本業の仕事が一段落し、そして次の年度に向けて、また切り替えでバタバタが始まる状況なので、TRPGにかまけている気分じゃなくなってきたかなあ、と、そんな気もしている。
何となく、このブログをTRPGを話題に改めて立ち上げた心理的起因として、「流離氏がメールで、この話題を拒絶したなら、自分が語る場をどこで構築するかを検討した上で」ということになるし、そこに流離氏が目を付けて、飛び込んできたのを歓迎します、とは言ってみたものの、振る舞い方が相変わらずなのを見て、それと先立っての「拒絶された」という意識(だから、ぼくもメールを拒絶したのだが)も残っていて、「今さらなあ」って思いもなくはない。
これが他の新人さんがコメントしてきたなら、こちらもテンション上げて新鮮な気分にもなって「初めまして〜」と朗らかに臨めるんだけど、流離氏相手になると、長年の説教癖とか、感化されて鬱モードになるのか、気持ちを切り替えてからでないと、書きたいTRPGの話を書く気が削がれている。
まあ、これは流離氏個人の責任ではなく、ぼく自身が花粉症で考えがまとまらない状況だし、3月下旬にもなれば、春の講習でネット活動の時間も制限されて、ここにも書けなくなるし、その前に書きたかった話題も、何だかプライベート(ビジネスではない)でバタバタあって、頭の中から吹き飛んでしまったし、ここで楽しくブログ書きを続けるまでに、いろいろクリアしなければならないリアルライフの出来事が今週に入って一度に押し寄せてきた。
自分の気持ちが、躁状態のクライマックスを迎えて、この後、鬱モードに直下しつつあるのが分かる現状なので、2週ほどはネット活動もままならないかもしれない。
表面上の形だけ見ると、流離氏の責任と見えなくもないが、どちらかと言えば、ぼく自身の精神状態の問題である。流離氏がいなくても、躁状態と鬱状態は定期的に訪れる。
そして、躁状態なら、ぼくも割と喜んで流離氏の相手ができるが、鬱状態の時期は、鬱が重なるので、多分お互いに苦しいだけである。鬱同士が話し合っても、お互いを理解し合えることはなく(鬱の間は、気分が相当内向きになるので、相手が苦しんでいることなどお構いなしに自分の苦しみを訴えて、相手の苦しみを倍加させる危険がある。鬱同士の接触にはお互いの配慮が必要で、そこに無遠慮に踏み込むべきでない)、多分、流離氏は躁状態のNOVAだけを見て(ネット上では、しばしばそういう風に振舞っているし)、いつでもどんな時でも安心して受け入れてもらえる、と勘違いしたのかもしれないが、そして、相手のタイミングお構いなしに、最悪のタイミングでメールを送りつけるというミスも仕出かしてきたのだが、
これ以上の交流を望むなら、その辺を理解した、との一言が、この場でのコメントでいただきたい、と思う。
その上で、こちらが解決すべき問題に一応の目処がついた段階で、また懐かしいTRPGの話を書き綴りたいし、それまでにも、コメント対応の仕方を考えていきたい、とも思う。
「コメント対応に追われて、書きたい記事が書けなくなる」状況は避けたいし、だったら、「コメント対応を、ブログ記事上で行う」という結論になるが、「今みたいに過去のメールのやり取りとかを愚痴っぽく綴るのも建設的ではない」し、そこをこちらで気持ちから切り替えていかないと、うまくいかないだろう。
書きたいことはいっぱいあるけど、書くためのエネルギー充填の時間が必要だ、と言えば、分かっていただけないだろうか。
流離氏については、昔の創作企画の時からあった、ぼくの性癖だが、ついつい他のことは顧みずに構ってしまって、助言なり説教など連発してしまう傾向がある。
躁状態の時はそれでいいが、ひとたび鬱状態になると「こっちの貴重な時間をとらせやがって。まだ、分からないのか、この野郎」って気分になったりもする。だから、うまく躁状態の時を見計らって絡んで来るのがいいのだが、流離氏はそういう他人の現状を様子見して配慮するのが根本的に苦手で、「自分が寒いから、相手も寒いだろうから、わざわざ冬場の風邪をひかないための料理の作り方までアドバイスしてきた」ことがあった。いや、親切心はありがたいが、こちらは冬には強いんだって。昨年末まで、ほとんど風邪も引いたことなかったわけだし。
自分の状況だけで、勝手に相手もそうだと決めつけてかかって、何だかズレた対応をとってしまい、しばしば親切心の逆効果をやらかしてしまうのでは?
例えば、今のNOVAはラノベをほとんど読まないし(昔からの縁でグランクレストくらい)、「グランクレストに付き合わないのに、ラノベそのものをメールでの雑談ネタに提案してきた」のは、君は10年間、NOVAの何を見てきたんだ、と言いたくなった。メール断ち宣言をしたから言えなかったけど、代わりに今、言ってみる。「NOVAにラノベの話題で雑談を求めるのは、高橋留美子のマンガを少年ジャンプで探そうとするようなものだ」
多分、それで通じることが分かる程度に、NOVAは流離氏のことを理解しているつもりだが、流離氏の方がNOVAを理解していないなあ、と思える言動を度々やらかしているんだね。
ネットでの情報発信回数は、NOVAの方が圧倒的に上だと自負するし、それでも、そこから、ぼくと付き合う上での必要な何かを学ぼうとはしない。
過去には、ぼくという人間を知れば、絶対にしないような嫌がらせを平気でしたこともあるわけで(その時には、しっかり怒っておいたから、何の話かは分かるだろう。忘れていなければ)。
ぼくもたびたび注意したから、流離氏には当然、分かっているはずだ、という期待があって、それでも未だに大いに不安が拭い去れないのが、流離氏という男、と認識している。
もう、何も自制せずに久々に書いたら、こんな感じだ。
懇意の知人の掲示板で、こういうのをやらかしたのに、今だに付き合ってくれる彼には感謝なんだけど、
ここで、流離氏とコメントで交流するのが、彼の心配を無下にするようで申し訳ないと思う自分も。
まあ、それはそれとして、最後に、流離氏に一つ、確認したいことがある。
君とぼくとは、昔から分かっていたことだが、住んでいるところが凄く近いんだよね。だから、直接会う理由があれば、会ってみるのもやぶさかではない、とこちらは考えたりもする(躁状態の自分が)。
そして、ぼくはTRPGのプレイを、時おり熱望しているのは、以前のブログ記事でも書いた通りだ。となると、出てくる結論は一つ。
流離氏をTRPGのプレイに誘えないか、声を掛けてみる。ただし、プレイヤーは他に2人か、3人欲しいわけだし(D&D新盤のスターターセットのシナリオかな、それともパスファインダーかな、と)、もちろん、NOVAも普段は仕事で忙しい人間なので、タイミングを作るのにいろいろ考えることも多い。
一つ気になるのは、「流離氏は、ネット上での振る舞い方が相変わらず杜撰で、人間関係を構築するのが苦手。メールで長年、相手してきた身としても、ドジなトラブルメーカーって感じは否めない。ただ、悪気がないのは分かっているし、本質的な気質としては、真面目で、コツコツ型で、思い込みが強すぎる嫌いはあるが、いい子、もとい、いい大人、ちょっと意味合いが違うな、ええと、会ってみれば、多分いい奴じゃないか、と。何ていうか、自分の過去を振り返っても、運が悪く、人付き合いが悪く、経験値が少なく、間違えて育ってしまった自分、と思しきところがある。だから、自分を守るべき鬱状態の時ならともかく、躁状態の時は悪く言いたくはないんだよね。まあ、NOVAとしては、散々、自己ツッコミをする奴なので、流離氏に対する助言、忠告と称した、時にキツい暴言も、まあ、自己ツッコミ感覚であったりする」
って、全然、一つじゃないし、そもそも何が問題なんだ、と改めて言えば、「流離氏は、ネット上でプライベート情報を守るという意識が、皆無とは言わないが、ついついうっかり喋ってしまい、周囲に迷惑をかけかねない奴」ということだ。
人間性としては、悪意がないし趣味がそれなりに合うという意味で信用できるが、やっている行動が長年見ていると、全く信用できないという稀有な奴である。要するに、子供っぽいところの多いNOVAから見ても(NOVAは職業上は、子供達に対する保護者として大人を演じることはできるが)、内面的に成長できない大人。まあ、「体は大人、心は子供」のコナン君の逆バージョンな人だ、と。
かく言うNOVAも、「少年の心を持った大人」という超合金魂のキャッチフレーズに共感した、似たような奴なんだが。
ただ、あくまでネット上での振る舞い方が変なだけで、現実生活では本当に大人しい、自己主張もろくにできない人畜無害な一青年、いや、もう中年か。紅顔の美少年という自己認識を持っていたとしたら、素直に、赤ら顔のふやけたオッさんに堕落した自分を鏡で見て、嘆くんだな。ドリアン・グレイのように。
って、顔も知らない御仁に、「今度、時間を作って会わないか」という声をかけておいて、言うようなセリフではないな。これも全ては花粉症が悪い。
まあ、この話を聞いて、興味が出れば、メールでの応答は許可します。何しろ、「明確な用事」であって、「暇つぶしの無駄話」ではないからね。
会う気があるなら、そちらの地元の駅の周りの商店街の喫茶店かファミレス辺りがいいと思うんだけど、メールで指定してくれれば、のこのこ、どこでも行くよ。いつ行くかは、こちらにもスケジュールがあるので、確定できないが。
流離「フフフ、White NOVAよ。メールに誘われて、よくぞ来たな。これまでの恨み、思い知れ」
NOVA「そんなバカな。貴様は俺の右腕だったはず。ギャー」
流離「フッ、右腕だと。何をバカなことを。人を散々弄んだ後悔は、地獄でたっぷりするんだな」
NOVA「ただいま(むっくり起き上がる)」
流離「な、バカな。貴様は死んだはず」
NOVA「ああ、地獄の閻魔様には嫌われていてな。今回も、あっさり送り返してもらったぜ」
流離「……何て親切な閻魔様なんだ。このNOVAという男、閻魔にそこまでしてもらうとは一体……」
NOVA「ある時は、不定期ブロガー。ある時は、特撮掲示板の管理人。ある時はスパロボプレイヤー。また、ある時は塾の教師兼経営者。いろいろあるが、その実体は……(パッとコートをはぐと、全身に貼り付けたTRPGルールブックの数々)プレイヤー募集中のゲームマスターさ」
流離「うおっ、ゲームの光が俺を撃つ。は、俺は一体、今まで何をしてきたんだ」
NOVA「ずっと迷妄の中に囚われていたようだな」
流離「俺はあんたの気も知れず、迷惑をかけてしまい、すまぬことをした」
NOVA「気にするな。まあ、最近買った、トーグのリバイバル・ルールブックがお守り代わりに攻撃を受け止めてくれたしな。防護アイテムに使うには、少々高い買い物だったが、D&Dのコアルールブックを、3冊揃えることに比べれば、たかが知れている。残り一冊、ダンジョンマスターズガイドが今は待ち遠しい。そうすれば、久々に伝説のゲーム、D&Dへの道が本格的に開ける。お前も一緒に冒険の旅に行かないか」
流離「俺は、あんたにはついて行けない」
NOVA「どうしてだ」
流離「俺には、あんたのように多数のルールブックに慕われるような財力も、掲示板を17年も管理する忍耐力もない。あんたについて行くのは不可能だ」
NOVA「そう思うのは、お前さんの勝手だがな。ルールブックなんざ、当面、DMが用意すれば済むことだ。掲示板はこの際、関係ない。お前さん、ゲームは好きかい?」
流離「ああ、もちろんだ。だからこそ、俺はルールブックに見放された、この身が悔しい」
NOVA「好きな気持ちが変わらないなら、そこから始めればいい。俺は、この十何年というもの、その思い、好きなものに焦がれる気持ちと、人との絆だけを心の支えに生きてきた。途中いろいろ迷いもしたさ。だけど、歳月もゲームが好きという俺の気持ちだけは奪えなかった」
流離「俺は、あんたみたいにはなれない」
NOVA「だったら、俺はもう行くさ。新しい仲間を探す旅にな。ゲームをする気のなくなった腑抜けた野郎に、用はない。あばよ」
流離「くっ、俺は一体どうすれば……」(つづく)
って、散々鬱状態がどうのこうのと言っておきながら、こんな話を即興で作ってしまうぐらいには、元気ってことですな。自分でも驚いたでござる。
こんな話が、本当に展開されるのか、どうかは分かりませんが、まあ、石は放ってみたよ。いつものようにスルーせず、投げ返してくれることを……まあ、どっちでもいいか。
NOVAはゲームがしたいんであって、別に相手は誰でもいいんだからね。
たまたまコメント関連で、思いついたから書いてみただけなんだから。
後は、あなた次第よ。

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