思えば、話せる両親に庇護され甘え放題の幼少期。だが、常に周囲に我儘言う側だったはずの自分が、ふと気付けば『〜して頂戴』 『〜した方がイイんぢゃないか?』『〜なんですよ、聞いて下さいよ』『〜って、どうしたら?』と誰かに何かIMPUTされてばかりの毎日! バンドの創作活動による『発信』って概念を除けば、 私人としてのOUTPUT先、ってヤツが何処にも見当たらぬ。バンド活動と云う 大我儘を貫き続ける負い目が、いつしか『滅私奉公』ってスタイルを 醸成しちまってた。大人になった、ってコトなのかも知れないケドね! でもさ、もう人生も折り返し点から随分走ったし。 気侭なOUTPUTタレ流すも一興。ブレまくってもイイぢゃないo(^-^)o 昨日と言ってるコトが違ってもイイぢゃない♪ 『Wスタな日々』で行こうぢゃないの。基本的に、ロザリンドの事も 書くけれど、小さい頃から好きな洋楽アーティストの事とか・・・ネ。

2010/1/30


序章8
    〜ロザリ誕生の産声〜
<今回も…以下略>

リーダーであり、BAND創始者だった
ギタリストを失ったOILY
遺された3人は途方に暮れた。
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その時、CHIYOCO曰く
『ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆折角面白く
 なって来たトコだったのにぃ〜!』


・・・・って(-_-;)

(ノ`ω´)ノ~┻━┻お前が
    言うな〜〜〜〜ッ!!!


だが、確かに“折角面白くなって”
来て居たのは凸ヤマに取っても
同様で在り、何らかの打開策立案を
迫られた。

メンバーが見つかるまでライヴは
演れぬにせよ、取り敢えず折角出来た
オリジナルをRECしてみよう、との
“場繋ぎ”案が浮上、
いづれギターで曲を創って来て居た
凸ヤマがレコーディングでもDr&G兼務、
K某君も数曲でギターを弾く、
と云う暫定措置が採られる。
(その頃ほとんどMIDIキーボードで
 作曲を行って居た凸ヤマが、
 ギターを持って作曲するのは
 ほぼ10年振りだった^o^;

このREC作業途上、Bass・K某君は
職場での資格取得&昇進試験の為、
活動続行困難となって脱退するのだが、

結果として

凸ヤマが得意の得物で在ったハズの
Bassを遂に選択するコト無く、
“ギタリスト”としてROSALIND結成
なだれ込んでしまった影には、
この時点まで
ベーシストとしてK某君が
存在して居たコトが
一番大きな要因だったのかも知れない。

結局、

OILY
用に書き下ろした3曲に
更に2曲を加筆、全5曲となった内、
K某君が
Bass2曲とSide・Gを1曲録った時点で
去った為、残りの全楽器を凸ヤマが
担当して完成させる運びとなり、
(^o^;あ、CHIYOCOが歌以外に
 メロトロン1曲弾いたw)

実質、
CHIYOCO&凸ヤマ・デュオのレコーディング
プロジェクトとして遂行される体を成した。

2名脱退の時点で
もはや呼称が“OILY”で
在る必然性も無く、

残った2名は
そのプロジェクト名を
Rosalind
と定めた。
(命名の由来は後の章に譲ろう)
この時点では
あくまで“プロジェクト名”に過ぎず、
BANDとしてRosalind
旗揚げされるには、未だ若干の
紆余曲折を経る。

ともあれ、

こうして表題写真の
“カセット・テープ”音源
『Rosalind/OUT TAKES』
が完成。

本作の時点で
久々にギターによる作曲を試みた凸ヤマは
しかし、まだまだ“リハビリ期間”で在った
のと同時に

当時勃興して来た“シアトル・グランジ”の
ムーブメントに触れ、
70's ROCK色を基調とした
Pearl Jam、Soundgarden、Stone Temple Pilots
Alice in Chains等に
『( ゚Д゚)解る!コレならロートルな
 小生にも解る!根っこ同じ!』

とシンパシーを抱いたものの、
(他にも、HelmetやPANTERA、DML、KingsXにも
 『( ゚Д゚)お〜小生がマニア世界に
  篭ってる間に
  面白いの出て来たな〜。
  イイ時代巡って
  キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!』
  と感心w…だって
  80年代って、Rockオワタ感
  満載だったんだもの…(-_-;))
未だその
『70's SPIRITの
 90年代的イディオムへの変換』
の鍵を
掴み切れて居らず、
この音源では依然プログレ色濃厚^o^;


なにやら『だるま物語』からズレて
『ロザリ物語』の様相だが、この時期
CHIYOCOは文句言ってるだけで
ブーヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノブー
ほとんど何も成して居なかったので
仕方ないw

(BANDが出来上がる前段階故
  無理も無いが、当時彼女に未だ
 “やりたいコト”や
 “自分のスタイル”は見えて居らず、
  されど“ソレはしたくない`ε´!”
  だけは実に明確、屈強に主張する、
  と云う誠に難儀な・・・ミ・ω・ ミ失恋


上記音源の『雪だるまの唄』が
非公式(?)な試作段階で在るものの
作詞・CHIYOCO 作曲凸ヤマの初コンビ作となる。
(ちなみに、この歌は、CHIYOCOが後に
 “だるま”と名乗るコトとは全く関係ないw)

この初共作時点で

CHIYOCOが如何に遅筆で寡作な作詞家で
あるか、の現実に直面し
必要以上に多作な作曲家である凸ヤマ
は以降ずっと'_';って気分を
味わう定めとなった。

さて
OILYの遺産としての音源に区切りを
付けたは良いが
“ライヴ演るの楽しいネ〜♪”
と覚醒した後で在った故、
なんとしてもBAND形態の再構築
が急務。

天啓と言う他無いが、丁度この時、

高校〜大学と凸ヤマがリズム隊を
組んだトッシーさん
がシェフとして一通りの修行を終え、
オーナー・シェフとしての開業を
目論み、郷里釜石では無く
県都へと“Jターン”して来た。
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このエジプシャンか、さも無くば
デニス・チェンバースにしか見えない
ルックスのトッシーさん
と云うドラマーは
そのガタイから来るイメージとは裏腹に
爆音轟かすパワー・ヒッターでこそ無かったが、
“音楽センス”と抜群の器用さで
『決して音楽的に間違ったplayをしない』
点に於いて、凸ヤマの信頼が厚かった。
(長年共に演奏する上で、新曲に対する
 解釈上、彼に“いあ、そこはそうぢゃ無くて”
 と告げた記憶がほとんど無い)



楽器情報、演奏知識の氾濫とゲーム感覚により
一定レベル以上のテクニックを事も無げに
披露する若者は増えたが、
正直
『…(-_-;)で、音楽は好きなのか?』
と疑問を抱かざるを得ない姿勢のplayerが
目立つ昨今、
トッシーさんは
“始めに音楽ありき”の
旧世代(笑)に属するドラマーと言える。



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