もっといろんなコト書いてソテキにおすぎのソテキな最期で締めくくりたかったけど、
ナンかたどり着きそうにないので、はしょってしまいマフ。
里子としてウチに来て
食うモンないぞ!ってくらいアレルギーだして
アタシの想像をはるかに超える食の安全改革と食材の幅を要求してきたおすぎ。
どんなにうたい文句がきらびやかでも、ペット用で売られてるモノのほとんどは
受け入れられない添加物(化学物質)や劣悪な素材と主張し続けてくれた。
もちろん人間用のモノでも「ダメ」がいっぱいあった。
おかげで食べられるモノが少ない時代もあった。
でも生きるためにたくさんの挑戦をし、失敗の嵐の中から
「安全と危険の境界線」や「危険を安全に変える」手段を見出してきた。
体を張った食いしん坊だった。
そんなおすぎのおかげで、
アレルギー症状をだすのは悲しむべき体質ではなく
むしろオノレの身を守るために有効な手段であり、
言葉が通じない関係においてとてもありがたい体質だと思えるようになった。
幾度か副腎を腫らしたコトがあったけど、結果的にその全てを自己解決してくれたおすぎ。
解決までの道のりは、チマタにありがちな「効くサプリメント」をあげるようなものでもなく。
食事・生活環境・精神バランス…
「ドコかがはみだしてるから調整を手伝ってくれ!」ってコトだった。
おすぎに色んなコトをしてあげたように思うけど、
よく考えれば?ひたすらおすぎについて行ってた気がする。
もちろんついて行ったのはアタシだけではなく、人間の息子も我がフェレズのみんなも。
おすぎと一緒にアレルギーのバランスがとりやすくなった息子。
おすぎの食改革が進むほどにフェレットらしい疾患が減った我がフェレズ。
そりゃ先のコトなんてわかんないけど…
おすぎのおかげで我が家は3大腫瘍と無縁に近い道を進めてると思う。そんな実感がある。
アタシのかばええパートナーであり、スッゲー師匠であったおすぎ。
最期はほんとうにほんとうに穏やかだった。
体調を上げ下げしはじめた頃から、
ゆっくり時間をかけてそれぞれの臓器が眠りについていたっぽくて。
その順番は図ったかのように苦しまないセレクトがされていて、ずっと平穏な空気が流れてた。
ひたすら美しい姿のまま上品に毛布に包まっていた。
最期に幾度かきた旅立ち準備の発作も、注意せねばわからないほど小さな波で
表情はおだやかなまま。
ずっとかばええ純真無垢な幼顔を保っていたよ。
おすぎは優しい顔でちんでいきました。
ソテキな最期だったけど、それでもアタシには情けないほどの反省があって。。
おすぎが残してくれた最後の課題として、これからも自分を戒めていこうと思う。
ちっとは休ませろやっっ
このウンコ野郎!クソおすぎ!!
応援&支えてくれたみんなへ
いっぱいくじけていじけたけどトコトン引きあげてくれてまぢありがとうっ

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