文学よもやま

1000年前も、そして今も人は喜び、悲しみに生きている。そんな思いがいつしか文学と言われるようになりました。ご意見よろしくどうぞ。

 

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現在、東北大学「日本思想史学会」、「東海大学文明学会」所属。文学修士
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投稿者:たっくん
お涼さんへ。ご投稿ありがとうございます。

いつの日にかは世界は一つとなるでしょう。identityなるものは、国家だけでなく中東の現状でもそうですが宗教や人種によっても共有されます。東京で秋田県人会とかあるのも意識の共有がるためです。いきなり、世界が一つになる事例として、例えば、極端ですが、UFO が攻撃してきたらどうなりますか? 国家間の対立も戦争も休止して迎え撃つんじゃないでしょうか。地球人として一つにまとまるからです。戦中に中国が国共合作で日本軍に共同戦線を張ったのも同様でしょう。日本も同じく国民が一致して(ともいえませんが)米英に挑んだのも国と、同胞と故郷と、そして家族のために立ち向かったということではないでしょうか。“負けるとわかっていても立たねばならぬ時がある”、これが、開戦に踏み切った理由であると個人的に考えます。

現在でもイラクで、妊婦が自爆攻撃したニュースをみると涙が出ます。圧倒的な米軍の侵略に向う意識は60年前の日本人と共通するかもしれません。

http://white.ap.teacup.com/etakkun/
投稿者:お涼
民族意識 と国境なき世界(皆が幸せにと願う) これ 私の中で 拮抗するときがあります。 どうしたもんか・・・と 
国が武力で攻められたら! 家族が殺されそうになったら どうするんですか!という問いに きちんと答えてくれる人がいない。 ある評論家が 決まってるじゃないですか!竹槍で闘うんですよ! と それ聞いた時 おう!そうであったか 自己満足を抱えて 逍遥として滅びる覚悟を持て!ということであったか!と 妙に納得してしまった。 答え出したいですね。 未だ答案用紙目の前にして 時間切れだぁ!と焦っています。 
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