文学よもやま

1000年前も、そして今も人は喜び、悲しみに生きている。そんな思いがいつしか文学と言われるようになりました。ご意見よろしくどうぞ。

 

プロフィール


現在、東北大学「日本思想史学会」、「東海大学文明学会」所属。文学修士
はじめに

カレンダー

2021年
← May →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

カウンター

  • 本日のアクセス  
  • 昨日のアクセス  
  • 総アクセス数      

最近のトラックバック

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:たっくん
天馬へ。
 逆説的に、「目に見えるからといって、ある」とは言えないでしょう。見えるという感覚自体に確実性がない。僕でいえば、酔っ払うと、えらくなった気がするけど実は、バカだとか、幻影を見ているに過ぎない。秩序はカオスの一部、これは同意。ただ、哲学の領域のことで、こればかり言うと結局、虚無主義に陥るでしょうね。
 ということで、ひとみに、よろしく。ヤフーの50-3にいること、多し。
投稿者:GTR
「目に見えないからと何も無いとは断言できない。」 by GTR
「秩序は混沌の一パターンに過ぎない。」
by 天馬
投稿者:たっくん
ご投稿ありがとうございます。

科学は、そもそもが“神の存在証明”を目的に始まったもので宗教とは密接な関係にあります。20年くらい前になりますけれど、なんでもできるといった科学信仰の時代に、“神は信じないが科学を信仰する”という意見がありましたが、これは矛盾した考え方でした。
 古代インドの「ウパニシャッド哲学」を概観すると最新の科学研究に符合、類似点が多いと自然科学研究者は驚きます。真理、真実なるものに到達するのには、いくつもの方法があり、科学研究は、そのひとつの方法論に過ぎないということでしょう。インド哲学にみる深い思惟も真理へ到達する道なのです。なんでもかんでも実証されないものは事実ではないという科学の姿勢に限界があると思っています。神仏や死後の世界については科学の範囲でも研究成果はありますが、異次元空間での“生”をやたらに公表するとパニックになるので一般には、不明としておくのが現時点では正解でしょう。異星人についても同様です。昔、仲間の史学科の院生に、米軍機がUFOに撃墜されているのを何で発表しないのかと尋ねたら、“人間というのは未知のものに大変な恐怖をもちパニックになるので公表できない”とのことでした。

http://white.ap.teacup.com/etakkun/
投稿者:お涼
霊魂は ´科学的´に証明されていないけど これが無いと証明されたら 人間の生活は大変なことになる? 宗教 生きている間の行動 ムチャクチャ?

万人を納得させるためには 科学的手法が一番なんでしょうか。自分がそう思ってるんだからいいじゃん ならば証明の必要ない。 人間が進歩していくために事実の探求が 必要だとしたら 科学的手法以外に どんな方法があるかなぁ・・・と考え中 
teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ