2020/2/12

フショウ  
沖浦氏の今朝のコメントは過去にも繰り返し目にしてきた内容である。ゆえに今さら取り上げるべきところはないのだが、あるいは次のくだりが注目かもしれない。

勤行もお題目だけになる・・・

ヨソサマのことなので記憶がアイマイであることをお断わりしておく。おそらくはここ十年から二十年くらいのことだろう、勤行が大幅に短縮されたのだった。法華講員の誰かが、そんなのは勤行ではない怠行だ、と繰り返し揶揄していた。それが今後さらに短縮されるとなると、もはや勤行とは言えなくなるだろう。それとも時間は短縮せず、題目だけを長時間唱えるのだろうか?

さて、顕正新聞である。

二面には新仙台会館の報道があって、写真も豊富に使われていて逆に文章が少ない点、今の時代に合っているのかもしれない。

後世永遠に残る重大指導を留め置かれた先生・・・

それにしてもこの大仰さには恐れ入る。

会長講演は三面から五面にかけて掲載されており、これが後世永遠に残る内容なのかと聞かれれば、答えに窮する。イヤミを言うと、浅井先生の大言壮語録として数十年くらいは語り継がれるかもしれない。それ以後は忘れ去られてしまうだろう。

 「一時に」とは瞬間的にということです。

これは御書の解説であるが、先生の言い訳でもあるのだろう。続きの文章をご覧に入れたい。

遅々として進まないようであっても、時が来れば日本一同「一時に」信ずるのです。

かつての一千万だとか一億の目標が破綻したことの言い訳である。

 羅什三蔵は、法華経が説かれた霊山一会の説法の座に連なった、多くの菩薩の中の一人です。

不勉強のわたくしはこれがわからない。具体的には何菩薩なのだろうか?

金言に云く、広宣流布の時、光明を放つべしとなり。

日琫上人のいわゆる御生骨についての御指南である。顕正新聞には上人の直筆と思しきものが掲載されている。原文は漢字とカタカナで書かれている。それを引用の段階で上掲のように直したわけなのだろう。それはいいのだ。

 「御金言に云く、広宣流布の時、光明を放つべしとなり」

前掲は長文の引用だった。そして上掲は部分的な引用である。そして以下、浅井先生の結論である。

これは大聖人の御金言なのです。

何となく詐術的である。

原文は金言となっている。引用もそれに忠実だった。ところが部分引用の段階で御金言となって、最後は大聖人の御金言であると結論づけている。

これまた不勉強で恐縮だが、これは御書のどこに出てくる御指南なのだろうか?

もし浅井先生が日琫上人の御指南をそのまま信受するのであれば、日達上人の御指南も素直に受け止めるべきだったのではないかと思う。自分の都合で取捨選択しているとしたら問題である。

 「時の不祥」を天魔狙う

カギカッコが意味深である。本文を読んでも出典がわからない。そこでググってみたら如説修行抄の有名な御文が出てきた。完全一致の検索だと上位のすべてが如説修行抄だった。少し古い小説には出てくるようだが、現代人はほぼ使わない表現のようである。

わたくしにとっては浅井先生と同じ時代に生まれてしまったことが時の不祥なのかもしれない。

最後に自虐ながらも書いておくと、拙ブログが後世永遠に残るかどうかは浅井先生に委ねられている。何しろ最初のほうに書いたごとく、いずれは忘れ去られていく存在が浅井先生なのだ。それに寄生ないし依存している以上、拙ブログもいずれは消えていくことになる。当然の帰結である。

2020/2/11

キラビヤカ  
婦人部坂戸支区総班長に関して、貴重な情報をたまわった。わたくしは顕正新聞に書かれていること以外は知らないので、ありがたいコメントだった。あるいはかつての冨士にくだんのご夫婦の記事が載っていたかもしれず、それを読めばいろいろとわかるのかもしれないが、今は保留としたい。

さて、顕正新聞第1498号である。

「新仙台会館御入仏式」特集号

本特集号の斬新なところは第一面には別の記事が掲載されていることである。すなわち教学試験と成人式である。

すでに書いたと思うが、なぜに四級試験がないのか、そこが問題である。顕正会のイビツな実態をあらわしているのだろう。また、教学試験の記事には毎年のように同じネタが出てくる。

あまりの熱気に暖房を消して窓を開け、冷房をつけた会場もあった。

毎年のように同じ話が出てくる。もし同じ会場が毎年のように同じ愚を犯しているとしたら、幹部にも責任があるだろう。事前に会場側に対策を講ずるように言うべきである。

 いよいよ広布の決戦場へ臨む年の教学試験とあって・・・

これは何を意味するのだろうか? 本年中に何らかのアクションを起こすつもりなのだろうか?

さて、今度は成人式である。

 令和二年度の成人式・・・

この年度の概念は正しいのだろうか?

もっとも顕正会が独自に行なう成人式なので、顕正会の勝手ではある。そこで思い出した。国難年号はどうなったのかである。とうとう言わなくなってしまった。これが顕正会のいい加減さである。

ところで成人式の写真であるが、一面下段に二つ並んでいる。八面と九面の真ん中にも、あることはある。

何が言いたいかであるが、四つの写真のうち一つが晴れ着にスポットを当てたキラビヤカな写真ではあるものの、残りの三つの写真はひじょうに地味な写真なのだ。

わたくしの印象としては、例年に比べて晴れ着を着て参加している人が少ないのだ。この意味するところは、若い人材が育っていないのかもしれない、ということである。

あるいは次が傍証となるかもしれない。

総班副長、支隊副長、総班長、支隊副長

これは成人式の登壇者の役職である。彼らは同年代における出世頭の意味がある。ゆえに過去の登壇者を調べれば、もっと役職の高い人たちがたくさん出てくるはずである。本年は総班長が一人いるものの、残りの三人は副長である。これはかなり深刻な事態かもしれない。

顕正会は成果至上主義である。

かつての高校生顕正会員は学校の名簿を使って片っ端から折伏していた。一つの決めゼリフとして、お金は掛からない、試しにやってみよう、というものがあった。実際、それで入信する人がたくさんいたのだ。当然、論功行賞として役職が上がっていく。かつては支隊長ないし総班長に昇格する高校生がザラにいたのである。

昔の顕正会は世間にまったく認知されていなかった。また一般人の立場では調べる術がなかった。金が掛からないなら試しにやってもいいと、そう思うのが自然ではあった。

ところが今は時代が劇的に変化してしまった。何でもかんでもググればいいのだ。いとも簡単に情報が得られる。

もはやこうなると、試しにやってみようは通用しない。

もちろん何事もやってみないとわからないのだが、その前の段階においてやるべきかやらざるべきかの判断ができる。判断材料がたくさんあるからだ。いやもちろん、厳密にはやってみないとわからない。ネット情報は玉石混交でもある。ただ、そうであってもおおよその判断はできる。かつての何の判断材料もない時代に比べれば、今は明らかに違うのだ。

甚だ失礼な話をすることになるが、近年の顕正会は高齢者の入信が目立つ。彼らはネット環境に不慣れである。その意味で顕正会のエジキになりやすい。しかし、今後はそうした人間が減っていく。

話が冗長になってしまったようだ。

ともかく浅井先生自体が古い時代の人間であり、こうした時代の変化に対応できていないのだと思う。では、城衛はどうかであるが、彼もまた今年新成人を迎えた人たちから見れば相当に古い世代である。その意味ではもっと若い世代の中から、まさに今の時代に即応したニューリーダーが出てこないとダメなのだろう。

2020/2/10

フミエ  
raiden氏のコメントを拝見して思ったことがある。顕正会員は使い捨ての乾電池みたいなものなのだと。電池が満タンの時には威勢がいい。けれども電池の残量が少なくなるといわゆる化石会員となる。マレに充電可能の電池があって、戦列に復帰する。しかし、多くは充電不可の使い捨て乾電池なのだ。今まで二百十三万七千個の乾電池を使用して、結果として二百万個ほどがすでに廃棄処分となっている。

それから、ウッカリしていたというかバクゼンと考えていたことがある。すなわち十年もあれば三百万を達成するだろうということだ。しかし、それもけっこう厳しい数字なのかもしれない。何しろ百万から二百万までが約十五年なのである。加速度が付けばいいのだが、むしろ失速する可能性すらあるのだ。

さて、顕正新聞の続きである。

大師子吼

総合婦人部長も懲りない人である。と思いきや、副総合婦人部長も相当である。

先生の裂帛の大師子吼

世間ではまず聞かれない表現である。

ところでもう一人の副総合婦人部長が興味深いことを書いている。

 しかも都合の悪いことは削除し、かなりの添削が加えられていたにもかかわらず・・・

昨年二月に宗門から出版された例の書物についてである。上掲は誰かの受け売りなのか、それとも彼女自身が確認したことなのか、そこが気になるところである。けっこう面倒臭い作業であるし、宗門の書籍を購入すること自体が顕正会員には抵抗のあることなので、それを彼女がやったとは俄かには信じ難いのである。

もっとも近年発足した教学委員たちは、宗門の矛盾をあげつらうために徹底的に調べていると思われる。とは言え、それ以外の人たちには読ませないようにするのが顕正会のやり方である。

大師子吼

あらまあ、婦人部第四総部長(首都圏)も言っちゃっている。彼女は翌月末、なんと理事になっているのだ。大師子吼が出世のための踏み絵なのだろうか?

諸天が感応する速さには驚きを禁じ得ず・・・

副総合女子部長である。だったら平成九年ないし平成十六年の一国諫暁で弘通が伸びてもおかしくなかっただろう。現実には遅すぎるのである。

妙観講理事・原麻木子母子の呆れた演技
「謀略集団」の醜い実態まざまざと見る


男子部第百二十四隊支隊副長(首都圏)の記事である。例のカエリタマエ問題について云々しているわけだが、失礼ながら副長レベルが関わっていることに意外性を感じた。何しろ法務部が記事を書くレベルなのである。対する先方も提訴に踏み切るほどなのである。そこに副長が首を突っ込んでいるのだから、意外や意外である。ともかくこの件についてはどのような結末を迎えるのか、推移を見守りたいと思う。

全盲の区員が恋慕渇仰の信心で大功徳

女子部第二百八十区長(首都圏)の記事にはご覧の見出しがある。しかし、本文は次のごとくだ。

本年八月に入信した全盲の壮年・・・

ならば区員とは書かず壮年と書くべきだろう。しかも編集部は先生の言うことにも逆らっているのだ。ようするに異性の入信者はなるべく早く所属替えをすべきなのである。ところが現実的にはいつまでも男女混成チームのまま活動しているのだ。編集部はそれを容認ないし助長していることになるだろう。

一日に七回、遥拝勤行を申し上げる日もあるほど大感激し・・・

女子部第九十五区班長(宮城)は配布をキッカケに入信した人物のことを事細かに書いている。一日に七回も勤行するとは凄い。よほど大感激しているのだろう。しかし、この記事にはくだんの人物の性別が書かれていない。雰囲気的には男性のようである。前掲の記事もそうだが、女子部は異性の入信者が多い。婦人部もしかりである。しかも編集部がその人たちを区員と書いてしまうほどなのである。顕正会は成果至上主義に支配されており、そのためには現状もやむを得ないと考えているのだろう。

夫が脳出血で倒れ、20年の介護生活
 ついに臨終、真っ白な成仏の相にただ涙


婦人部坂戸支区総班長(首都圏)の記事は、まず名前に見覚えがあった。あれ? まさかあの人では? 記事を読んで思い出した。

現在は総班長の彼女であるが、一時期、婦人部の大幹部だった。そのご主人は壮年部の大幹部として活躍していたし、確か本部幹事でもあったと記憶している。それがいつの間にか姿を消してしまった。退転したのかもしれない。顕正会では日常茶飯事の出来事なので、そのようにバクゼンと思っていた。

しかし、ご覧の見出しのごとくである。

 通夜の前日、汗と涙がしみ込んだ「御遺命守護」のハチマキが見つかりました。

この一段が感慨深い。わたくし自身は当事者ではないものの、一般的にも創価学会本部襲撃事件として知られる出来事であり、あの『迷走する顕正会を斬る』にも出てくる話なのである。こうしてまた一人、御遺命守護の生き証人が鬼籍に入り、当時を語れる人物が少なくなってきている。今の顕正会はそれを逆用して、都合の悪い事実を隠蔽し、ひたすら浅井先生を美化することだけに終始している。その意味でも『迷走する―』は貴重な本と言えるだろう。

 私はこの御奉公が大好きです!

さて、今度は婦人部郡山支区(福島)である。ノーテンキな人だなあ、というのが正直な感想である。

浅井先生は絶対であることを夢中で伝えました。

実にノーテンキだ。

次の婦人部霧島支区総班長(鹿児島)は母親の臨終について書いている。細かい話は省くが少し意味不明のくだりがある。

仏壇の中の釈迦像をはじめとする、家中の謗法をすべて処分することができました。

いわゆる謗法払いであるが、この直前には先祖代々の宗教を浄土真宗だと書いている。ならば釈迦ではなく阿弥陀のはずである。

男子部第百六十七隊組長(首都圏)は出戻りである。平成五年旧小田原事務所で入信したものの、平成十三年には未活動となってしまったそうだ。平成十九年には大石寺塔中・石之坊に所属したという。しかし、住職の講義に嫌気と疑問を感じ、すぐに離れてしまったらしい。そして昨年六月、顕正会に復帰した。

当然、逆のパターンもあるだろう。宗門から顕正会に行き、再び宗門に戻る。あるいは創価学会からという場合もあるし、創価学会から正信会、そこから顕正会に行き、最後は宗門へ、というケースもあるはずだ。もちろん違うバージョンもある。

ともかく全体の傾向がどうなのかが気になる。わたくしの感触ではやはり圧倒的に顕正会から宗門へ流れていくパターンが多いのではないかと思う次第である。

2020/2/4

ドシガタイ  
沖浦氏より返信があった。

 御書に取意がこれだけあるんですよ。

相変わらずのアホウぶりである。

言わんとしていることは、大聖人もやっていることだから自分もやっていいのだ、ということだろう。しかし、それがダメなのである。前回の拙稿をよく読めばわかることだ。

大聖人が経典等を取意の形で引用あそばすことは大聖人だから許される。大聖人を本仏と仰ぐ人にとっては当然のことである。
また、角度を変えて、経典は当時の仏教界における共通ベースだった。ゆえに大聖人が恣意的な引用をすれば反撃を食らうことになる。つまり、大聖人の引用はきわめて適切だったと考えられるのだ。
ひるがえって、今現在、わたくしや沖浦氏が御書を引用するにあたって取意の形で引用することも可能である。ただし、それがデタラメな引用であれば返り討ちに遭う。
一方、池田大作氏の発言はわたくしと沖浦氏の間の共通ベースではないので、もしそれを引用したいのであれば正確を期すべきである。

余談ながら、沖浦氏と他の創価学会員が議論しているのをマレに拝見すると、まさに共通ベースであるべき師匠の発言をめぐって、沖浦氏がやり込められている状況を目撃することになる。もっとも近年はサジを投げられてしまったものか、他の創価学会員が沖浦氏に意見することはほとんどないようである。

かく言うわたくしも顕正会員から見れば度し難い存在なのだろう。意見を言ってくる人は皆無である。

さて、顕正新聞の続きである。

宗門を遥かに凌駕する二百十三万七千の仏弟子の大集団・・・

総男子部長の発言である。当然、公称会員数ではなく実数が問われる。残念ながら、顕正新聞にはそうした客観的な比較がどこにも見当たらない。

・・・二月の戦闘開始の大号令に備えてまいろうではありませんか。

すでに一月末の総幹部会で大号令が発せられたと思われるが、わたくしのところには情報が届いていない。昨年はウンザリするほど同じフレーズが繰り返された。決戦場云々である。その文脈からすると、まさに上掲の戦闘開始は決戦開始の意味に他ならないだろう。それとも通常の折伏法戦が始まっただけの話なのだろうか?

一国相手の大諫暁・・・

副総男子部長の発言である。ここでは具体的にいつから大諫暁を開始するのかについて、明言していない。なるほど、立場を弁えているようだ。

米中の軍事対立が秒読み段階であることを確信・・・

これはもう一人の副総男子部長であるが、この秒読み段階が悩ましい。なぜならばいわゆる譬喩に他ならないからで、さすがにこれを字句通りに解釈する人はどこにもいないだろう。アゲアシ取りを得意とするわたくしにしても、ここは躊躇するところである。

つまり、広布最終段階もしかりなのだ。

おそらく前にも書いたことがあるはずだが、ようするに大聖人の時代から起算すれば七百年から八百年近くの年月が流れているわけである。その意味では十年ないし二十年前から最終段階と言っていたとしてもウソではないことになる。

上述はいちおう顕正会を弁護する意味で書いた。

とは言え、過去の浅井発言を詳しく調べて行けば、弁護の甲斐がないことに気がつくだろう。目標設定の下方修正を何度も繰り返している。しかも過去の都合の悪い発言を隠している。反省の弁がない。これではダメだろう。

明年一月からの決戦場を戦う大陣列構築を見据え・・・

男子部第十一総部長(中部)である。先ほどの総男子部長の発言を思い出していただきたい。

二月の戦闘開始の大号令・・・

一月と二月の違いは目をつぶろう。問題は例年と同じ折伏法戦なのか、それとは明確に異なる戦いなのか、である。一月末の総幹部会での会長講演が注目されるゆえんである。

わたくし自身はすでに答えを察している。

結局、浅井先生がどのような策を練ろうとも活動会員たちは落胆するのである。戦いが今以上にハードになれば耐えられないし、さりとて決戦場とか御馬前とか言っているわりにやっていることがショボいとすればシラケるのである。

会長講演が楽しみだ。

2020/2/3

イヨイヨ  
沖浦氏がまたしてもやらかした。趣意はやめろと言ったはずである。師匠の言葉なのであれば正確に引用すべきだろう。御書の引用と同じである。
ちなみに御書の場合、趣意でも構わない。ただし御書は日蓮系とりわけ日蓮正宗系の共通ベースであるから、趣意と言いつつそれがきわめて恣意的なものであれば反撃を食らうことになる。
ところが池田氏の発言は必ずしも共通ベースではないので、氏が何をどのように言っていようがわたくしの知ったことではない。しかし、そうであってもそれが沖浦氏の恣意的な引用であれば問題だろう。ゆえに正確に引用しなければいけない。

さて、顕正新聞第1497号である。

第一面には浅井先生の年頭ご挨拶の要旨が載っていて、続いて隊長・区長・支区部長以上の幹部に対する挨拶が載っている。

いよいよ最終段階に至った・・・

いよいよ広布最終段階に突入した今・・・

いよいよ最終段階を迎えた・・・


いよいよ、なのだそうである。以前から指摘しているように、最終段階を云々するようになって久しい。その意味で、「いよいよ」はウソないしインチキである。

二面から三面にかけて挨拶の全文が載っている。最大の問題点はすでに示した通りである。さらに他の問題についても、いくつか書いておこう。

著名な地震学者4人が、それぞれ「2020年に発生する可能性あり」などと言い出している。

相変わらず予言が好きな人だ。しかし、浅井先生の予言は当たらないことで有名である。ゆえに著名な地震学者を引き合いに出すわけなのだろう。ただし、学者は予言者ではない。彼らはあくまで可能性を云々しているだけなのである。ところが顕正会の中では話だけが増幅され、あたかも本当に地震が起こるかのごとく錯覚してしまう。この繰り返しである。

世界の借金総額
  二京七千兆円


わたくしは経済問題に疎い。ゆえに実感が持てない。ただし、世界はさておき日本の景気はかなりアヤシクなりつつあると思う。オリンピック景気もいよいよ終わりを迎えるし、その後の展望が見えないのだ。

この点、方向性としては浅井先生の言っていることに異論はない。その上で一つだけツッコミを入れるならば、安倍政権批判はどうなったのか、である。経済の話をするのであれば、政治についても云々すべきだろう。ここ一年くらい、安倍批判が聞かれない。安倍批判の代わりに阿部批判を展開したのが去年一年間だった。

 どれほど世の中が乱れ、危険が身に迫るとも、大聖人様は門下の一人ひとりを、御本尊・諸天善神助け給えと・・・

ここは御書の通解である。しかし、それにしてもどうかと思う。具体的には御本尊・諸天善神のくだりだ。説明は省略しよう。

元旦勤行における浅井先生の挨拶については、おおむねこんなところである。

いや、そうではなかった。

 この大悪には二つある。
 一つは、仏法上の大悪たる「御遺命破壊」。
 もう一つは世間の大悪たる「前代未聞の大闘諍」であります。


これも説明は省くが、ちょっとヘンな感じだ。過去の一国諫暁で言っていたことと、少しズレているような気がする。

いずれにしてもである。広宣流布の最終段階を云々する前に、御遺命守護の戦いを完結させなければ話にならないだろう。昨年あたり、最終章という言葉を盛んに使っていたが、いわば今現在は最終章に突入したばかりと考えるべきである。ゆえに最終章の完結がいつなのか、それが問題である。昨年、正信会系の僧侶が顕正会の支持を表明した。では本年、それに続く動きがあるのか、とりわけ正宗の僧侶の中から出てくるのか、そこが最大のポイントだろう。一方で、活動会員の離脱・流出という深刻な問題がある。これは正確な実態がつかめない話ではあるものの、顕正会の恒常的な問題であることは間違いないだろう。不謹慎ながら浅井先生の年齢的限界も見えてきた。

こうしてみると、顕正新聞にいちいちツッコミを入れる作業も、あまり有意義ではないのかもしれない。今後は更新頻度を下げて、重要な問題だけに取り組むべきなのかもしれない。

2020/2/1

ケンサツ  
ご賢察云々については、突っ込んでも仕方がない。もう一つのコメントは何を今さらとは思うものの、なかなか重要な話かもしれない。

 何故他人を妬んだり憎むとダメなのか?

これ以降の説明は沖浦氏らしい切り口と言えるだろう。ただ逆もまた真なりで、他人に対する嫉妬心が原動力となってプラスの結果を招くこともなきにしもあらずである。他人は他人、自分は自分。もちろんそれもあるわけだが、他人との比較があってこそ自分自身の向上が可能になるのだ。ゆえに妬みだとか憎みの心をただ単に打ち消すのではなく、それを向上心に転換することが理想である。

さて、顕正新聞の続きである。

いま御付嘱状の全責務を一身に担い立たれる先生のお立場の重大さに・・・

第十八男子部長(首都圏)もゴマスリが上手である。

 星霜六十有余年・・・

そして最近は正確な年数を書く人が少なくなった。あまりにも長すぎるので数えるのが面倒になったのだろう。

次は第二十五婦人部長である。

 宗門に正義が蘇り、日目上人が一閻浮提の座主として、皇室には日興上人が本化国主として御出現になる日はもう眼前・・・

宗門がこれをどのように考えているのか、わたくしはまったく知らない。ただ言えることは、広宣流布が遠い先のことだと思われていた時代においては話として受容できた。ところが今となっては難しい話である。

何しろ眼前と言ってしまっているのだ。

つまり、現時点で宗門僧侶の中に日目上人の再誕がいらっしゃらないといけないし、皇室においてもしかりである。ことに皇室は男系男子が希少の存在となっており、その中の誰かが日興上人の再誕という話になってくる。このように現実の問題として考えると、顕正会で言っていることをそのまま鵜呑みにすることはできない。少なくとも一般人の感覚では無理な話だろう。

・・・先生の諫暁に相呼応する諸天の力用に驚愕するばかりであります。

これは男子部第五総部長(首都圏)の発言である。具体的な内容は省略するが、ともかくこれも一般人にはわけのわからない話だろう。

話は変わる。

 浅井甚兵衞講頭先生に直接お会いしたことはないが、当時、宗門内で御書を誰よりも拝読していて、右に出る者はいないと言われていた。

男子部第十二総部長(東北)の記事には、正信会系寺院・能修寺の矢内総道住職の証言が出てくる。近年は浅井先生を持ち上げる記事ばかりであり、妙信講の初代講頭の存在すらもほとんど語られなくなった。その意味で上掲は貴重な記事である。

しかし、その信憑性はいかがだろうか?

右に出る者はいないと言われていたと。誰が言っていたのか、何か明確な記録があればいいのだが、おそらくは存在しないだろう。しかもである。宗門内云々と。この言い方だと、宗門の全僧俗という括りになってしまう。せめて在家信徒の中で右に出る者はいないという話に止めておかないと、やっぱり妙信講は最初からおかしかったんだ、というふうに切り返されてしまうだろう。

言っているそばから話を混ぜっ返すことになるが、現実的には僧侶の中にも不勉強の人が少なからずいて、逆に在家の勉強熱心な人のほうが遥かに法門を熟知しているというケースもある。口には出さないにしても、法華講員の中にもそのように思っている人がいるに違いない。

 浅井先生を再び新潟の地へお迎えできるとは夢にも思わず・・・

さらに話が変わって恐縮だが、男子部第九総部長(新潟)の記事である。浅井先生も物忘れが激しくなった証拠である。何しろ先生自らが、新潟へ来るのはこれが最後、というようなことを言っていたのである。ゆえに新潟の顕正会員たちは今生の別れ(?)のような感慨を懐いていた。ただこれは教義上の変節とかの問題ではないので、逆にいつまでも元気で喜ばしいことだと受け止めるべきなのだろう。

法華講幹部大聖人忘れた宗門に不信募らす
 顕正会で恋慕渇仰の熱烈な信心に


女子部第十一区総班長(首都圏)の記事によれば、約五年前に創価学会から宗門に移り、池袋の常在寺でブロック長をしている人物が、今度は顕正会に移籍してきたそうである。

しかし、疑問だらけの記事である。

「『国立戒壇』も『恋慕渇仰』も始めて聞いた」

このような記述があると思いきや、次の段には以下のように書かれているのだ。

 さらに話を進めると、何と大高さんは顕正会の未活動者だったことがわかり・・・

おかしいだろう? それともわたくしがおかしいのだろうか?

顕正会に入信したのがいつ頃のことか不明だが、五年前まで創価学会にいて、そこから法華講へ移籍してきてブロック長をやっていたのだ。つまり、それなりに問題意識をお持ちのはずなのである。ゆえに創価学会時代にだって顕正会のことを耳にする機会があったはずだし、宗門に移籍してからはなおさらのことだろう。ましてやそれ以前に顕正会に縁していたのであれば、国立戒壇も恋慕渇仰も知らないほうがおかしい。

ハッキリしていることは顕正会の折伏がいかにデタラメであるかだろう。それで数だけ増えていって、いったいどうなるのだろうか?

体験発表が二つあって、その役職が興味深い。一人は第十一男子部長(九州)、もう一人は入信したばかりの平会員である。内容は割愛させていただく。

問題は正義にめざめてだ。

大慈大悲を
 始めて実感


発表者は婦人部薩摩支区(鹿児島)の平会員。上掲は途中の小見出しである。では、本文がどうなっているか、お示ししよう。

初めて大聖人様の大慈大悲を命で感じ・・・

編集部はなぜに現代国語を歪める表記を使うのだろうか?

それ以前の問題として、なぜに原文を損ねるような見出しを付けるのだろうか?

海外(115ヶ国)

新春号の巻末には恒例の記事が載る。そこで初めて気がついたのは、海外会員数の記述でご覧のように国数を記していることである。凄いじゃないか、世界にはぜんぶで何ヶ国あるのか知らないが、気がつけば顕正会は百ヶ国以上に流布しているらしい。

2020/1/30

アクイ  
まず、沖浦氏の最新のコメントについて言いたい。登場人物が複雑でわけがわからんと。誰のために何の目的で書いているのか、そこが明確でないものだから余計にわかりづらいのだろう。

その一つ前のコメントはわかりやすい。

 ネールが言いました。
 
 仏教が衰退したのは、釈迦を聖人としたからだ。


ネールが誰だか知らないが、言いたいことはわかる。

 私共は大聖人を聖人化する愚は避けねばなりません。
 ご理解できますか?


これも言いたいことはわかる。しかし、すでに大聖人と書いている時点で自己矛盾である。もし聖人化を避けたいのであれば、大聖人との呼称を徹底的に排除すべきだろう。ただし、前回も指摘したように創価学会の公式サイトでは大聖人の呼称を用いているので、この時点で沖浦氏は異端者となる。

 二〇年代こそまさしく広宣流布の決戦場である。
 早く三百万を成し遂げ、全員で、大聖人様の御馬前に馳せ参じ、大事な御奉公を貫かせて頂こう。
 さあ、いよいよ決戦場を見つめ、歓喜の大行進を起こそうではないか。


さて、顕正新聞の新春号を見て行こう。上掲は前回も紹介した浅井先生の年頭の辞である。大事なところなので改めて掲げさせていただいた。

ようするに本年からの十年間を二十年代と呼ぶわけで、この間に三百万を達成して大聖人の御馬前に馳せ参じ、そこで広宣流布の最終決戦に挑むと言っているのだ。これをわたくしは、何たる欺瞞・何たるインチキ、と書いた。

その理由は二面に載る各部代表の年頭決意を読んでもわかることである。もっともわかりやすいのは総合婦人部長である。

 広布の決戦場たる二〇年代をここに迎え・・・

まず、この冒頭の部分は間違ってはいない。大きな括りとしては、まさにその通りだからである。問題は次である。

 昨年、顕正会総会員数は二百十三万七千名に達し、この仏弟子の大集団を率いて大聖人様の御馬前に馳せ参ずる先生のお喜びに胸が熱くなり、

いかがだろうか、浅井先生の言っていることと違っているのだ。総合婦人部長も焼きが回ったのか、それとも正直な人なのか、そこはわからないものの違いは明瞭である。先生は三百万で御馬前と言っているのだ。ところが彼女は現在の総会員数で御馬前と言っている。

しかも続きの文章が決定的である。

一時も休まぬ激闘の中に到達された決戦場に・・・

すでに今現在が決戦場だと言っているのである。前回も指摘したように、先生は三百万で決戦場と言っており、いちおう二十年代中に三百万を達成すればツジツマが合う話ではあるのだ。しかし、総合婦人部長の発言が示すように、活動会員たちの多くは本年から最終決戦が始まると思ってしまっているのだ。つまり、先生と活動会員の意識に齟齬がある。こんな状態がいつまでも続くわけがない。活動会員たちの中から、話が違うじゃないか、という不満が生じてきてもおかしくはない。

実はもうすでにかなり以前から、それを繰り返しているのである。目まぐるしい人事を見ればわかるように、幹部クラスの人たちが次々に離脱していく現実がある。結局はその繰り返しなのだ。

もしかしたら二十年代は離脱者激増に拍車が掛かり、顕正会が一気に崩壊することになるのかもしれない。

ところがである。話はかなりややこしくなる。

 全顕正会員の真心の折伏弘通により、総会員数はついに二百十三万七千に達した。この仏弟子の大集団が一結して、いよいよ広布の決戦場に臨み、大聖人様の御馬前に馳せ参ずるのだと思えば、ただ有難さが込み上げてまいります。

三面から五面にかけて十二月度総幹部会の会長講演が掲載されている。上掲はその一節である。つまり、総合婦人部長はこれを踏襲しただけの話なのである。その意味では彼女に罪はないことになる。では、どこに問題が存するのだろうか?

 さあ、早く三百万を成し遂げ、全員で大聖人様の御馬前に馳せ参じ、何としても大事な御奉公を貫かせて頂こうではありませんか。

会長講演の結論部分である。つまり、浅井先生が極力矛盾が生じないようにと、巧妙に言葉を選んで発言している。まさにそこが問題なのである。

いよいよ決戦場に臨み・・・

再掲であるが、これも年明け早々に決戦が始まるとは言っていないわけなのだろう。ズルい文章である。すると続く、大聖人様の御馬前に馳せ参ずるのだと思えば云々もしかりである。つまり、年明け早々に御馬前に到着するとは言っていないわけなのだろう。実にインチキな話である。

ともかく繰り返し言わせてもらうと、こんなインチキがいつまでも通用するはずがないのである。ゆえに今後は離脱者の激増が必至となり、組織の衰退が誰の目にもハッキリと見えることになる。それが二十年代である。

さて、あとは会長講演からいくつか気になったところを拾ってみたい。

 ただし、下種仏法の血脈は絶対に断絶しない。その所以は、これまで私が幾たびも述べて来たとおりであります。

以前、血脈は絶対に断絶しない、その理由は時が来たら話します、と言っていた。わたくしの記憶が正しければ、それ以降、その理由とやらを話したことは一度もないはずである。おそらくはうまい説明が思い浮かばないのだろう。

 池田大作は阿部日顕を猊座から引きずり下そうとして、「阿部日顕は相承を受けてない」との暴露を開始した。

わたくしの知る限り、池田氏本人がそのような発言をしたことはない。ゆえに浅井先生の言わんとしていることは、池田氏が謀略情報紙などを使って暴露を始めた、ということなのだろう。

しかし、素朴な疑問がある。なぜに池田氏は自ら暴露を行なわなかったのか、である。

つまり、ここに浅井先生の不見識があらわれているのだ。いくら池田氏であっても御相承のことを知るわけがない。日達上人の御遷化が急であったためにさまざまの憶測を呼んだのは事実である。しかし、会長辞任にまで追い込まれた当時の池田氏がなぜに御相承のことに介入できるのか、浅井先生はそれを説明できていない。しょせんは憶測で物を言っているだけなのである。

 また細井日達は大事の御相承をもなし得ずに急死を遂げ、その臨終の悪相は箝口令も虚しく、今や全宗門周知となった。

文章前半の御相承についてはすでに書いた。後半の悪相云々は顕正会の悪宣伝に過ぎない。全宗門周知について言えば、何やら顕正会では今頃になって日達上人の御遷化にイチャモンをつけている、その内容たるや悪意丸出しであり狂気の沙汰と言わざるを得ない、ということを顕正会の動向を知る宗門関係者が認識しているだけの話である。

その臨終の相は、細井日達と同じく後日、必ずその真相が明らかになるに違いない。

浅井先生にはその自覚がないのかもしれないが、これこそが悪意丸出しなのである。

 「国賓」招待の危うさ

話が飛んで恐縮だが、当該講演ではめずらしく国際情勢について紙数を費やしている。その中で、本年、習近平中国国家主席を国賓として招くことにも言及している。

 これが日本の殃となることは目に見えている。

浅井先生は原発問題以降、いわゆる左翼系の影響を受けているフシがあったけれども、この件に関しては逆である。わたくし個人の意見はここでは控えよう。ともかく殃が気になった。やたらと難しい漢字を使っているが、何か意味があるのだろうか?

おそらくは御書の表記に合わせたのだと推測されるが、ここでは詳細を控えよう。

2020/1/26

フモト  
いつの間にか降参させられてしまった。降参したつもりはないのだが、あるいは議論を降りたことが降参に当たるのかもしれない。

それはともかくである。今朝のコメントはどうかと思った。

日蓮上人の生きざまを現代に移した、創価の思想に、強く共鳴して生きておりますので。

おそらく沖浦氏は一般人に対して書いているのだろう。どこかで発信したものを拙ブログのコメント欄に転載したのだと思われる。

しかし、日蓮上人は相当に問題である。せめて日蓮聖人と書くべきで、これならばまだマシだった。何しろ現状、創価学会の公式サイトを見ても、日蓮大聖人と表記されているからだ。この点、沖浦氏のほうこそ降参すべきである。

さて、顕正新聞第1496号である。

令和二年の新春号であるが、例年のごとく一面の上段には富士山の立派な写真が掲載されている。下段は浅井先生の年頭の辞である。

年頭の辞に入る前に写真のキャプションを取り上げたい。

日蓮大聖人御遺命の「国立戒壇」建立の地「富士山」。中央正面の小高い丘が天母山で、そのふもとに広がる平野が天生原である

国立戒壇の名称はともかくとして、戒壇建立の地が富士山であることは動かない。問題になっているのは天母山ないし天生原である。
以前、宗門が言っていたのは、妙信講は天母山と言っていたが途中から天生原と言うようになった、実は天生原とは大石原のことなのだ、みたいな感じだった。これについて浅井先生は、名前が違うのは場所が違うからだろう、と一蹴した。また、点に約せば山、面に約せば原、天母山と天生原が同じ地域であることに変わりはない、という常識的な反論もした。
ずいぶん昔の議論のはずであるが、あるいは今でもそのようなことを言ってくる法華講員がいるのかもしれない。それを念頭に置いて、上掲の説明文を入れたのかもしれない。

しかし、そうした過去の経緯を知らない人にとっては、かなり不親切な説明文である。

中央正面?

これがわからない。写真のど真ん中あたりは五合目くらいで、ちょうど白雪の下限がそのあたりである。そこに小高い丘はない。ゆえに知らない人ならば、あるいは剣が峰のことを意味するのだと誤解するかもしれない。この写真では富士山頂の剣が峰がちょうど中央に位置しているのだ。もしそれならば富士山のふもと全体が天生原に相当するというスケールになり、まさに戒壇建立に相応しい広大さとなる。

ところが実際は富士山の手前にある森林に覆われた丘陵が天母山であり、面に約して表現すれば天生原となるわけである。

丘が山、平野が原

正確には前掲のごとく、小高い丘が天母山、平野が天生原、ということになる。丘が山というのはそれほど違和感がない。ところが平野を原と呼ぶのはどうかと思う。いや、そうではない。この場合、あの地域を平野と呼ぶのはどうか、それは違うだろう、ということなのだ。

これもあるいは法華講員あたりが言っている、天母山みたいな急峻なところに戒壇が建つわけがない、とのイチャモンを気にして書いたことなのかもしれない。

さて、年頭の辞である。

いざ広宣流布の決戦場へ

これが表題である。ところがである。文末になるとアヤシイことになるのだ。

 二〇年代こそまさしく広宣流布の決戦場である。
 早く三百万を成し遂げ、全員で、大聖人様の御馬前に馳せ参じ、大事な御奉公を貫かせて頂こう。
 さあ、いよいよ決戦場を見つめ、歓喜の大行進を起こそうではないか。


昨年、何度も指摘してきたことである。ここに欺瞞があると。改めて説明しよう。

いよいよ決戦場を見つめ・・・

真面目な活動会員は気がつくべきである。

今は記憶だけで書くことをお許しいただきたい。昨年、大幹部たちがどのように言っていたか、ここに書き起こしたい。

二〇年代の決戦場を見つめ、大男子部構築に捨身で戦う決意であります。

これは当てずっぽうに書いたものであることをお断わりしておくが、ともかく同趣旨の発言が山のように存在するのだ。そして今、二十年代に突入したわけである。しかるに浅井先生は前掲のごとく、いよいよ決戦場を見つめ、と言っているのだ。

早い話が先延ばしである。

よく読めばわかるように、浅井先生は三百万まで動かないつもりなのである。いちおう二十年代の間に三百万を達成すればツジツマが合う。そこで大聖人の御馬前に到着し、いよいよ御遺命成就のための最後の戦いに打って出るわけである。

何たる欺瞞だろうか、何たるインチキだろうか、と思わざるを得ない。

しかし、現実的には三百万を待ってはいられない。今のペースだと何だかんだ十年近く掛かる。その間、上述のような欺瞞ないしインチキが通用し続けるわけがないのである。ゆえに途中でまた何かしらのアクションを起こす。それで誤魔化すつもりなのだ。

とは言え、そんなデタラメがいつまでも通用するわけがない。そろそろ降参するべきではないかと提案しておきたい。

2020/1/24

コウミョウ  
開眼の要不要については専門外ということで言及を控えたい。わたくしの知るところでは法華講の樋田氏が得意としている分野のようなので、そちらに問い合わせるといいかもしれない。

さて、今日も顕正新聞をざっと眺めてみたい。

また今後、正信会・宗門からも続々と有羞の僧が出現し、僧俗一体になって国立戒壇建立に戦う正系門家になる日が間もなく事実になることを思えば・・・

副総合婦人部長である。前回の拙稿で述べたように、浅井先生は偉くなり過ぎちゃった。ゆえに僧俗一体はひじょうに実現しづらい状況なのである。この点が彼女はわかっていないようである。

 「広宣流布の時、光明を放つべし」
 との仰せは、大聖人様が日興上人に仰せあそばされた御金言であることに・・・


引用範囲が狭くて恐縮だが、副総合女子部長の発言である。上掲を素直に読むと、カギカッコは日興上人に宛てた御書のようである。しかし、わたくしの知る限り、御書のどこにもそのような文言は見当たらない。

明年から始まる御遺命成就完結の戦い・・・

凄い表現力だ。成就と完結はかなり重複的に思える。それよりも何よりも御遺命守護の完結はどうなったのか、そこが問題だろう。いちおう最終章を迎えたことになっているものの、大団円を迎えたわけではない。この点が彼女はわかっていないようである。

「偽戒壇・正本堂こそ御遺命の戒壇」との悪言が・・・

女子部第二総部長である。カギカッコということは、誰かの発言なのだろう。しかし、この発言者は頭のおかしな人である。ようするに当時の創価学会や宗門の人間が偽戒壇などと言うはずがないのである。つまり、これは顕正会員の発言なのである。ところがカギカッコの外には悪言とある。偽戒壇を悪言が打ち消している。早い話、構文が支離滅裂である。この点が彼女はわかっていないようである。

啓正寺住職藤本値道「法主絶対論」振りかざす
 「猊下は大聖人と同じだよ」と放言


副総男子部長の活動報告である。興味深い見出しであるが、その前に同席した六名の法華講員のことを書いておこう。本文には次のようなくだりがある。

 あとでわかったことですが、「法華講員」と称した者たちの大半は実は妙観講員であり、ここでも「寄生虫」の謀略体質を眼前にしました。

顕正会がどれほど妙観講に怯えているかを示す文章である。妙観講は法華講の一組織であるから広くは法華講員と称して何の問題もない。それを謀略と感じるところが過剰なのである。

私が「大聖人様と猊下、どちらが上なんだ」と諫めると、なんと藤本は「同じだよ」ととんでもないことを言い出したのです。

わたくしは逆に顕正会員に問いたい。大聖人と浅井先生、どちらが上なんだ、と。浅井先生に決まっているだろ! と顕正会員なら言い出しかねない。何しろ大聖人は師子吼で浅井先生は大師子吼なのだから、その可能性は否定できない。この点が彼はわかっていないようである。

 「いい話ですね。自分も三十数年前に、『妙信講』という団体から宗教の話をされたが、断わってしまった。忘れたことはありません」

婦人部武蔵野支区部長(首都圏)の活動報告に出てくる話である。妙信講から顕正会に名前を変えて四十年弱だろうか? ならばギリギリでツジツマが合っていることにはなるだろう。しかし、忘れたことはない? 本当だろうか?

疑って恐縮だが、もしそれが本当ならば平成九年ないし平成十六年の一国諫暁で入信してもおかしくはなかった。逆に言うと、その二回の一国諫暁はショボかった。ゆえにくだんの人物には届かなかった。この点が彼女はわかっていないようである。

恵妙寺法華講員「御遺命より塔婆供養が大事」
 御遺命破壊・音声捏造を糾弾、回答不能に


男子部第二十六隊支隊長(栃木)の登壇にも興味深い見出しが付いている。その前に本文中から別の部分を引用しよう。

 「諸天が阿部日顕との別れを悲しんでいる現象」

いつも言っているようにカギカッコはセリフである。彼はこれを法華講員のメールだと言っているわけだが、まさか法華講員が阿部日顕とは書かないだろう。その意味では捏造に等しい行為をしていることになるのだ。この点が彼はわかっていないようである。

さて、くだんの見出しについてである。本文中にも法華講員のセリフとして、御遺命より塔婆供養が大事、とある。それに対する彼の反論が以下である。

 そこで
 「熱原の法華講衆は塔婆供養をしなくとも、大聖人様に一度もお目通り叶わずとも、恋慕渇仰・不惜身命の信心に住し、戒壇の大御本尊様の願主となられた。これでも塔婆供養が最大事と言い切れるのか」と追及・・・

わたくしは素朴に思った。あれ? 熱原の方々が塔婆供養をしなかった云々は何を根拠に言っているのだろう?

もちろん、した、とも断定できないし、しない、とも断定できない。しかるに彼はしなかったと言い切っている。顕正会員は御書を読まないので知らないのかもしれないが、少なくとも大聖人の時代にはすでに塔婆供養が行なわれていたのである。ゆえに熱原の方々も塔婆供養をしていた可能性は否定できない。この点が彼はわかっていないようである。

男子部第百六十三隊支隊副長(栃木)は父親の臨終について発表している。

 斎場から帰宅する車中、空にはくっきりと大きく綺麗な虹が輝き、七歳の息子が「じぃは、あの虹をわたって大聖人様の処に行ったんだ!」と言ったことに・・・

先ほどの記事では、諸天が日顕上人との別れを悲しんでいる現象、というくだりがあった。これに対して登壇者は、失笑を禁じ得ない、などとバカにしていた。では上掲はどうなのだろうか?

たぶん一般人の感覚では、七歳のお孫さんがそのように言うのは可愛らしい、大のオトナが言うのはちょっとどうかと思う、という感じのはずである。しかし、顕正会員の感覚はそれとは異なるのだ。ぶっちゃけ言えば、顕正会では成仏できるが宗門では無理、という理屈なのである。ハタから見ればテマエミソも甚だしい。この点が顕正会員たちはわかっていないようである。

 しかし顕正会には上限があり、浅井先生自ら参加されている・・・

これは婦人部籠原支区(首都圏)の記事である。登壇者は現在八十四歳になるそうだが、統一教会に騙されて億単位の献金をしたという。ようはお金持ちなのだろう。それはさておき、上掲が悩ましい。上限があることは画期的なのかもしれないが、浅井先生自ら参加がイヤらしくも感じられるのである。この点、登壇者本人ではなく、この話を吹聴している幹部たちに言いたい。ある時期までは美談として通用していたとしても、今はまったく通用しないどころか逆にウサン臭く感じられる。この点が幹部たちはわかっていないようである。

 令和二年度の元旦勤行・・・

まったくわけのわからない表記である。通常、四月を新年度とし、三月を年度末とする。その意味からすると、二年度はまだ始まっていないことになるのだ。わたくしならば、令和初の元旦勤行、と表記するだろう。昨年の元旦はまだ令和ではなく平成だったからである。この点が編集部はわかっていないようである。

2020/1/23

ライデン  
文証を示すべきは沖浦氏のほうだろう。

大聖人は抜け殻になる・・・

ようは開眼を行なうとその一回きりで抜け殻になってしまうという文証である。だとすると直近の半世紀ないし一世紀の間に下付された日蓮正宗の御本尊はおよそ一千万を数えるが、猊下一人に付き一幅しか開眼されていないことになる。日達上人以降であれば開眼済みの御本尊は三幅しか存在しないことになるだろう。もっとも沖浦氏は開眼そのものを否定しているので、そこで議論はネジ曲がってしまっているわけだが・・・

raiden氏は久々の来臨である。長々と書いておられるが、文末だけ紹介しておこう。

浅井会長の僧侶軽視の姿勢が判明しているので、賛同して駆けつける僧侶はいないでしょう。

この点、顕正会の活動会員はあまり自覚がないのだと思う。ようするに浅井先生は偉くなり過ぎてしまったのだ。その様子はあたかも新興宗教の教祖のごとくである。しかも御相承についてイチャモンをつけてしまった。もはやこうなると、猊下を取るか浅井先生を取るかの選択になる。すでにしてこのこと自体がおかしな話であって、まさに別の宗教・別の教団になってしまったのと同じことなのだ。ゆえに正宗の僧侶で顕正会を支持することは、いわば宗旨替えをするようなことになるので、そこまでして顕正会を支持する積極的な理由は、普通には見い出せない。

前回と重複するが、正信会系の僧侶は話が違う。彼らはジリ貧状態であり、そこから脱出するためには思い切った行動を取る必要がある。その一つの動きが顕正会への接近なのだろう。

故光安日康御尊能化(妙縁寺住職)は松本日仁御尊能化の只一人のお弟子さん。

これは光安ではなく、光久であろう。

そこで拙ブログを検索してみたところ、出てきた。長くブログをやっていると書いているわたくし自身もすっかり忘れてしまっているわけだが、ありがたいことに検索を掛けるとそれが出てくるのである。ブログは備忘録として優れたツールなのだ。

https://white.ap.teacup.com/ganko/896.html

当時、光久の乱と呼ばれることがあった。ただそれは大袈裟な表現であって、敵対勢力が針小棒大に騒いでいただけの話である。浅井先生もそれに乗っかって発言していたわけである。

さて、顕正新聞の続きである。

本年九月に国立戒壇否定の執念が最も深かった阿部日顕が命終するや、ただちにこの十一月、有羞の僧が出現・・・

副総男子部長の筆頭格がご覧のように言っている。しかし、これはかなりトンチンカンな論理である。

説明するまでもないが、ようするに日顕上人という重しが取れて正宗僧侶の中から次々に顕正会支持を表明する僧侶が出れば彼の言っている通りである。ところが現実はそうではなく、正信会系の僧侶が顕正会支持を表明したに過ぎないのである。なぜに正信会系の人たちが日顕上人の御遷化を待つ必要があるのだろうか?

決戦場×5

顕正新聞には同じフレーズが頻出する。ゆえに読者がウンザリする。おそらく紙面ぜんぶを数えたら卒倒するだろう。ここでは男子部第五総部長(首都圏)の記事を数えてみた。彼は一回の登壇で五回も決戦場と言っている。大事なフレーズだから繰り返し言うのだろう。それにしてもどうかと思う。

わずか一年余りで一変してしまった日本を取り巻く客観情勢・・・

これは男子部第十総部長(首都圏)である。わたくしの感覚が鈍いのか、ここ一年で何がどのように変化したのか、あまり実感が持てずにいる。おそらくは多くの人が同様だろう。ようは顕正会員たちが特殊なのである。

いま、御付嘱状の全責務を一身に担われ立たれる先生のお立場の重大さに・・・

第十八男子部長(首都圏)も凄いことを言うものである。まさにこれなのだ。先ほど、猊下を取るか浅井先生を取るか、というような話を書いたわけだが、こんなテイタラクでは顕正会の宗門復帰は絶対にあり得ないだろう。

よく考えるべきである。御当代日如上人がいらっしゃるにもかかわらず、こんなことを言っているわけである。つまりは血脈相承を否定しているのだ。

以下は単なる机上の空論である。

近く日目上人が御出現になる。顕正会ではそのように言っている。このこと自体はさほど問題ではない。問題はその先にある。日目上人が御出現になられたとしよう。現状では浅井先生よりも年少である可能性が高い。すると顕正会員たちは思うのだ。日目上人よりも浅井先生のほうが偉いと。

浅井先生は偉くなり過ぎちゃった。年齢的にも逆戻りはできない。もうどうにもならないのだ。


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