2019/11/21

ザントウ  
前々回のコメント欄には浅井先生と大草氏の電話でのやり取りが克明に記されている。労を厭わず書き起こし作業をされた大沢氏には感謝申し上げたい。

平成元年の電話会談は当時妙観講が作成したビデオに収録されており、わたくしもネット上の動画サイトで拝見していた。このことは過去の拙稿でも取り上げているわけだが、今回はいわばリメイク版のような形で新しい動画が発表されたのである。しかもそれは増補版だった。

今回の動画でわかったことは、あの電話会談がかなりの長電話だったことである。

かつてのビデオに比べると何倍もの長さになっている。しかも告訴云々のやり取りが今回の動画には含まれていないことから推測すると、実際にはもう少し長い電話だったことになりそうである。

さて、これを顕正会員たちはどのように受け取るだろうか?

大沢氏も音響研究所のことに触れているが、かつての電話会談は今現在問題となっているカエリタマエ発言の真偽にも通ずる話である。わたくしの勝手な印象だけで言わせてもらうと、妙観講側には捏造する動機がないと思う。例の電話会談を聴けば、わざわざ捏造する必要などあるはずもないのだ。それとも電話会談すらも捏造と言うつもりだろうか?

そこで顕正新聞第1489号の話題に入るわけだが、第一面の総男子部長の記事から取り上げよう。

 このような反社会的行為を平然と行う「法華講大講頭」を跋扈跳梁させていること自体、宗門の不見識・非常識を物語る・・・

前回も言わせてもらったが、こんなことを顕正新聞紙上で繰り返したところで意味はないだろう。もしそれが反社会的行為であるならば断固とした手段を講ずるべきである。そのために法務部があるのだろう。

これより残党処理が一気に進む・・・

やや余談めいた話になることをお許しいただきたい。ジャフメイトという雑誌がある。その最新号の冒頭に興味深い記事があった。

・・・幕府の禁教令により宣教師不在となった後も、約250年間、自ら信仰を継続。彼ら潜伏キリシタンは、1865年、開国後に来日した宣教師に信仰を告白したことで“発見”され、再び宣教師の指導下に入る者、禁教時代の独自信仰を継続する者(かくれキリシタン)などに分岐・・・

いつもながら不勉強のわたくしは潜伏キリシタンという言葉を知らなかった。この記事の説明では独自の信仰を継続する人たちをかくれキリシタンと呼ぶごとくである。わたくしは潜伏キリシタンを隠れキリシタンと認識していた。

それはさておき、ひじょうに興味深い話である。まさに今の顕正会が禁教時代の独自信仰に相当するわけで、このまま数百年も経てばまったく異質の信仰になってしまうだろうことが想像されるわけである。やはり戻るならば急いだほうがいいだろう。

新仙台会館いよいよ竣工

二面に立派な写真が掲載されている。十一月三日にオープンと書かれているので、すでに運用されているのだろう。

さて、同じく二面には三人の記事がある。いずれも副総男子部長の肩書きが付いているので、誰が誰だかわからない。

二万人の大総会における先生の大師子吼・・・

これは男子部のナンバーツーと思しき人物の発言である。平成二年、横浜アリーナで開催された大総会のことを云々しているわけだが、そこでの浅井発言を例のごとく誇張表現している。まったくケシカランことである。

ちなみに彼はまだ当時、顕正会員ではなかった。それがここまで出世したわけである。それだけの実力があるということなのだろう。

 何より本年二月、「国立戒壇」を否定する悪言が掲載された講義本を「日顕上人御指南編集委員会」の名義で発刊させるという魔の執念・・・

上掲の発言は壮年部出身の副総男子部長である。もちろん彼だって男子部時代があったはずであるが、わたくしの記憶には残っていない。かなり若い時から壮年部員だった印象なのだ。

それはさておき、上掲が気になるところである。もちろん日顕上人の講義であるから、上人に責任がある。ただし、くだんの書物が日顕上人の指示・意向で出版されたのかどうか、わたくしはそこに疑問を感じている。
なぜこのようなことを書くのか説明すると、ようは池田大作氏に対する顕正会の態度に似ているからである。最近はあまり言わなくなったが、少し前までは何か謀略めいたことがあると、すべて池田氏のシワザのごとく言っていたのである。ところが氏は今現在、病気のゆえかまったく表舞台には出ておらず、物事の判断・決済をするだけの認知能力にも欠ける状態と見られているのである。ゆえに顕正会では生ける屍と言っているわけなのだろう。
同様のことが日顕上人にも当てはまるのではないかと思う。生ける屍かどうかはわからないが、結果的には御遷化のおよそ半年前に相当する時期なのである。ゆえに上人が直接的に出版に関わったとは考え難いのではないか?

もう一文引用しておこう。

先生の大師子吼に、諸天の働きの急なるを感じては・・・

あらまあ、アンタもかよ!

そして残る副総男子部長だが、彼は顕正新聞の発行人である。その意味では上述の二人の記事を含めて、紙面全体の責任を背負っていることになるだろう。彼の記事そのものは、今回はとくにメボシイところはなかった。

総合女子部長のオトボケぶりも紹介しておこう。

 と明かされたその瞬間、大衝撃が五体を貫き・・・

ようするに九月度総幹部会の会長講演の中に日顕上人の御遷化を云々するくだりがある。そのことを言っているわけである。本当にそれまで知らなかったとすれば逆に驚きである。総合女子部長がこのテイタラクでは女子部員のほとんどが知らなかったことになるかもしれない。実に盲目的である。

無言を貫く早瀬管長の頭越しに、大聖人様が厳たる御裁断を下されたこと・・・

まず、九十六歳の年齢からすれば、そこに何の不審もないわけであって、厳たる御裁断は言い過ぎだろう。それから御当代猊下が無言を貫く云々は、ある意味では一貫不変のことである。ようは顕正会のことを無視している、無視し続けている。黙殺していると言い換えてもいいだろう。

すると、実は何の進展もないことに気がつかねばならないのだ。

御隠尊が御遷化あそばされたことは年齢的に不審はない。顕正会が勝手に都合よく解釈しているに過ぎない。ゆえに今回の直諫なるものの本命は、日如上人が国立戒壇を言うか言わないかなのである。それが成就しなければ直諫は失敗だったことになる。そこが顕正会員たちはわかっていないのだ。

・・・阿部日顕が「入阿鼻獄」の悪相を現じたことは疑いなしと、思わずにはいられませんでした。

思うのは勝手だが、口にしちゃダメだろう。

しかし、彼女はまだカワイイほうなのかもしれない。何しろ動画サイトに音声が出てしまっている男子部幹部の指導なるものは、思うとか思わないのレベルを遥かに超えてしまって、オオボラを吹いているからである。

前にも同じことを書いたはずだが、彼のオオボラを顕正新聞紙上に載せられるかどうか、そこが最大のポイントだろう。わたくし自身は今こうしてオオボラと書いてしまっているが、実際にはそれがウソかマコトか知っているわけではない。ただ単純に、裏でオフレコ的にあることないこと言っている点がすでにしてウサンクサイわけであり、ゆえにしょせんはホラ話なのだろうと高を括っているわけである。

今日はこんなところで終わりにしたい。

2019/11/19

タマムシイロ  
沖浦氏からさっそくの返信があった。多忙の中、わざわざ時間を割いてくれたようで、かえって恐縮である。今まで通り、時間に余裕のある時にでも、ゆっくり投稿していただければと思う。

さて、顕正新聞の続きである。

大草一男、先生の音声を捏造して公開
 「音響研究所」鈴木所長の分析で「合成」判明


「寄生虫」の断末魔見て「最終章」実感

法務部長の藤村雄大氏が「宗門の寄生虫・大草一男の最近の謀略」と題して登壇している。その見出しが上掲である。

 しかし、この「日本音響研究所」の設立者であり、前所長でもある鈴木松美氏によれば・・・

世間知らずのわたくしは読んでいてわけがわからなかった。

ようするに日本音響研究所と音響研究所があるのだ。妙観講では前者に音声分析を依頼し、顕正会では後者にそれを依頼した。では二つの研究所の関係はどうなっているのか、そこがひじょうに興味深いところだが、ご覧のごとく、音響研究所の所長は日本音響研究所の前所長らしいのである。しかも後の顕正新聞にその旨の記述が出てくるわけだが、日本音響研究所の現在の所長は鈴木創氏であり、名前の示すごとく、二人は親子なのである。当然、ネット上では親子の確執みたいなことが書かれていたり、あることないこと、いろいろなことが書かれている。ゆえに少しばかり読みかじったくらいでは何とも言えないところである。

そこでわたくしはまったく別の視点から意見を言っておきたいと思う。

法務部長はなぜに法的手段を講じないのか、である。結局、この後の顕正新聞を読んでいても、ようは紙面においてああだこうだ言っているだけなのである。この件はどちらかがウソを吐いていることになるので、基本的に玉虫色の決着はあり得ない。必ず白黒がハッキリする話なのだ。

例えば、である。

当日、その時間に浅井先生は不在だった。ゆえにカエリタマエ発言はあり得ないし、だとすれば妙観講側が捏造したとしか考えられない、というのが顕正会側の主張である。
ならば、いちばん手っ取り早い話は、浅井先生がどこへ出掛けていたかを開示すればいいのである。常識的に考えると、浅井先生が行く先はほぼほぼ限定される。世間一般の人のように、買い物に出掛けることは考え難い。わたくしが思いつくのは病院くらいである。
いや、病院にしても普段は行かないのだろう。来てもらうのだ。ようは往診である。しかし、往診だけでは間に合わない場合もあるわけで、精密検査であるとか、手術であるとか、そのような場合はまさか自宅でやるわけには行かないだろうから、どこかの病院へ出掛けるはずなのだ。

以上、病院は勝手な想像に過ぎないけれども、病院に行っていたという事実を公表するだけでも相当なものだろう。

さて、次は第十八男子部長の記事である。

残る阿部日顕・大草一男の亡びも近づいていること・・・

おわかりだろうか、九月度総幹部会は九月二十五日に行なわれているので、日顕上人の御遷化についてはすでに既知のはずなのだ。あるいは顕正会員は世間一般の情報には疎いので、知らなかった可能性もなくはないが、まあ、知らないわけがあるまい。ようは一種の忖度である。この後、会長講演で言及されることを見越して、自分が先に言ってしまったらマズイというふうに幹部たちは考えるわけである。

しかし、マヌケな話である。窮屈な組織と言ってもいいだろう。引用は控えるが、男子部第十二総部長の記事も同様である。

正信会明行寺高合住職が率直に胸の内を吐露
「宗門は早く浅井さんと話し合い一体になるべき」


第十男子部長の記事に付された見出しである。ことに下段はすぐにでもツッコミを入れたくなるセリフである。オマエはどうなのかと。

残念ながら正信会僧侶の発言は説得力に欠ける。ゆえに現役の正宗僧侶の発言が求められるところである。

日達猊下も『阿部や早瀬はダメだ』とボヤいていたと聞いている。

このセリフがまさにそうである。高合住職が直接聞いたのではなく、誰かから聞いた話なのだろう。それを第十男子部長がしゃべっているのである。

ことに阿部においては、日達猊下が亡くなる一・二年前になると明け透けに管長の座を狙っているかのごとく、日達猊下に取り入っていたと聞く。

これも同じである。自分が直接目撃したのではなく、間接的に聞いた話に過ぎないのだ。

しかし、逆に考えるとひじょうに重要な証言かもしれない。まず、日達上人が御遷化されるかどうかなど、凡夫には誰にもわからない。ゆえに亡くなる一二年前云々は結果論に過ぎない。むしろこの時期は両者の関係が険悪になっていたとの見方があって、ゆえに相承などあり得ないと顕正会でも言っているわけなのだ。ならば高合住職の証言は、むしろ御相承を立証する材料にもなり得る性質を持っていると言えるだろう。

阿部は苦労知らずでバカだから、周りが全く見えていない

これも重要な証言だ。

顕正会員たちはバカだから、この文面をそのまま読むわけなのだろう。しかし、まったく逆である。もし周りが見えず、明け透けに日達上人に取り入っていたとすれば、池田大作氏の心証を悪くすることは必定である。つまり、これは今現在の顕正会の見解を覆す話なのである。当時、宗門内では日達上人の後を継がれるのは阿部信雄師だろうとの見方が一般だった。ならば宗門と創価学会の関係がこじれてしまってどうしようもない状況の時、真っ先に猊下をお守り申し上げる姿勢を示すことは至極当然のことだろう。また、同時に創価学会との関係修復のために水面下で尽力されたとしても、不思議はないだろう。それを悪意のある人物たちは、裏で通じている、というような解釈をするわけである。

 「誰とは言えないが、この寺にたまに来る宗門僧侶が、『やはり今の宗門はおかしい』と言っていた」

そもそも正宗僧侶が正信会寺院に何をしに行くのか、そこが問題である。ゆえにまったくのホラ話の可能性もある。いずれにしても、日達上人時代の「聞いている」や「聞く」にかなり雰囲気が近くて、ここは信憑性に欠ける部分かもしれない。ただ、正宗僧侶の中に現宗門に不平不満を懐く人間がいても不思議はないので、具体的にどこがどうおかしいのか知らないが、宗門の首脳部は真摯に受け止めるべきだろう。

他にも興味深い記事がいくつかあるけれども、やめておこう。最後に婦人部岡山支区班長の記事から、ちょっとだけ引用して終わりたい。

二〇年代の決戦場までに・・・

思えばここ一年くらい、このキーワードばかりに注目してきた。例えば、明日の正午までに、と書けばアイマイさはない。お昼を過ぎたらタイムアウトである。ところが上掲の場合、ひじょうにアイマイであり、具体的な年月日がまったく不明なのである。

そこで浅井先生にプレッシャーを掛けておこう。

さて、来年からは何をどのように表現するつもりなのだろうかと。まさか二十年代に突入して、そこでもまったく同じフレーズを使い続けるわけには行かないだろう。

2019/11/18

サンバイ  
このところの沖浦氏は元気がない。もちろんわたくしの勝手な印象に過ぎないが、そんな気がしてならない。以前のような覇気のある沖浦氏を見たいものである。

池田氏の消息を伝えるコメントが寄せられた。九月二十八日付の聖教新聞に写真が掲載されているらしい。問題は自力で歩けるのか、しゃべれるのか、というようなことどもだろう。その意味で動画が公開されるといいのだが、それはたぶん無理なのだろう。

久々に大沢氏からコメントが寄せられた。かなりの長文であるが、そこから一文だけ抜き取らせていただく。

さて、顕正会が把握しているという、いくつかの業者に死に化粧を依頼し・・・という情報の真偽は如何?

まさに悪質なクチコミ指導である。これは顕正会男子部のナンバーツーと思しき人物が内部で触れ回っているネタであるが、わたくしの思うに、真相云々の問題以前にいわば陰口をたたいているという姿勢そのものが大問題と言わざるを得ないところである。

かつてバケツ三杯のオオボラを吹いた人物がいた。わたくしの記憶が確かならば顕正新聞や冨士にはそうした記述はまったく存在しないはずである。つまりは悪質なデマである。

こうした悪しき体質は今も昔も変わっていない。それが顕正会の実態ということになるだろう。

さて、九月度総幹部会における会長講演の続きである。今日は気になった箇所を順番に拾って行きたい。

誓願比で五四%です。

会長自らがノルマを云々しているところがイヤラシイ。

 「誑惑久しからず」

この小見出しから始まる一段、アゲアシ取りながらも言いたいことがある。

 さて、昭和三十九年以来五十余年の長きにわたった「御遺命破壊のたばかり」も、いよいよ最終章になってまいりました。

何となく矛盾しているような気がしてならない。ようするに誑惑は責めるものがあれば忽ちに崩れるはずなのだ。それにもかかわらず半世紀以上もの歳月を費やして今頃になってようやく最終章を迎えたと言うのだ。ぜんぜんダメじゃん、ということである。

三日後の御虫払法会において正義を述べる旨を約束し、その約束を守られた。

これが不審である。わたくしの記憶が確かならば約束云々はこれまで一度も明かされていない新事実ということになる。ゆえにこの件は単に浅井先生の記憶違いと思われるが、いかがだろうか?

 阿部はここで池田大作の寵愛を得て将来の出世を=\―と夢見ていたのでしょう、

悪意丸出しの文章である。

ようするに日顕上人が教学部長時代に書いた二書について云々しているわけなのだが、確かにその内容には問題がたくさんあって、後年、上人自らが反省の意味を述べておられる。しかし、寵愛云々はどうかと思うところで、当時は日達上人自体が国立戒壇否定の方向性を打ち出していたわけだから、その意味では何の不審もないことになるのだ。早い話が猊下の意向に従っただけのことであり、池田云々は関係ないのである。いや、もちろん、まったく無関係と言い切るわけには行かないのだが、浅井先生の場合はそちらをメインのように書いてしまっている。まさにそこが問題なのである。

彼は池田大作のお庭番だったのです。

これも日顕上人のことを言っているわけだが、話はそんなに単純ではないだろう。

昭和四十年代、宗務院の総監だったのが御当代猊下の御尊父であり、日顕上人は教学部長だった。いわばこの二人が宗門と創価学会のパイプ役だった。創価学会側にも同様の人物がいて、その一人が山崎正友氏だった。つまり、彼らは水面下でさまざまの交渉をしてきたわけであり、その一部始終を知ることは不可能である。その後、日顕上人と山崎氏とが相反し、さらに後年、二人は和解することになるわけだが、そうした表面上のことは知ることができても、その深層部分はまったくわからない。ゆえにそれぞれが自分たちに都合のいいように話を組み立てている。しょせんは浅井先生のやっていることもその範疇に過ぎないのである。

それまで、「空位」が続くというだけのことです。

まったく何を言っておるものかと思う。御当代猊下を否定するような発言である。以前には優柔不断などと言っていた。単に相手にされていないだけの話である。逆に言うと、相手にしてもらえないので過激なことを言って注意を惹こうとしているのかもしれない。

 察するに、このとき阿部は「このまま池田にへつらっていたら、自分の将来が保たなくなる」と思い詰めたと思われる。

下衆の勘繰りも甚だしい。

いや、正確にはやはり悪意丸出しと言わざるを得ないところで、かつての浅井先生ならばもう少し違った書き方をしたはずなのである。ようするにポジティブな解釈をするならば、浅井先生の諫暁書に触発されてわずかならも正義に傾きつつあった、というような感じになるはずなのだ。ところがそうは書かず、あくまで自己保身に汲々としている人物だと思わせたいがためなのだろう、自分の将来が云々、としているわけである。

    小生はただ謹んで・・・

この字下げが悩ましい。大聖人を持ち上げるために自分を下げている。その意図は読み取れるものの、はたしてそこまでする必要があるのかが疑問である。

 だが彼は、その後も隠然たる力を保って院政を企て、早瀬日如管長を監視するごとくであったという。

・・・ごとくであったという。

この書き方は何かしらの情報を元に書いていることになるだろう。その情報源を開示すべきである。勝手な想像で書いているとしたら最悪である。

 やがて中国は必ず台湾を制圧する。そのとき日本の尖閣諸島にも必ず侵略の手が伸びる。

よく言えば一貫不変である。しかし、委細に見れば問題発言だろう。今は記憶だけで書くが、過去にはいつまでに侵略するであろうみたいなことを繰り返し言っていた。ところがその予言めいた発言はことごとく外れているのである。

 この大聖人様の師子吼を・・・

これは幹部連中に言いたい。大聖人は師子吼で浅井先生は大師子吼? それでいいのかと。

2019/11/13

シュクシュ  
今日は顕正新聞第1488号すなわち特集号シリーズ第六弾を読んでいくが、その前に一学会員氏のコメントに触れておこう。

彼女はその日仕事でしたが池田先生が来る事を聞き 仕事を休んで会合の司会をしました 会合の途中その事を知った池田大作はその女子部に対し すぐに仕事に行くように叱りつけました

前回、仕事を蔑ろにする顕正会員の記事を紹介した。おそらくはそれを踏まえてのことなのだろう。上掲のようなコメントが寄せられた。しかし、ご覧の部分だけでもわかるように、池田先生と池田大作という二つの表記が混在している。創価学会員が池田氏を呼び捨てにすることは考えられない。すると一学会員氏はいわゆるナリスマシなのかもしれない。だとすると、わざわざ拙ブログへコメントすることの目的は何なのだろうか?

「国立戒壇」否定の謀りもついに最終章

大聖人は御遺命破壊を断じて許し給わず
偽戒壇・正本堂は崩壊、五悪人も相次ぎ亡ぶ


当該号は九月度総幹部会の模様を伝えている。上掲は第一面の見出しである。そして次が二面から始まる会長講演の見出しである。

大聖人は顕正会をして諫暁せしめ給う
諫暁のたびに宗門と学会の抗争起こる
阿部日顕追放は大聖人様があそばされた


浅井先生も最終章のようである。ここまで狂ってしまえば、もはや後戻りは不可能である。いや、正確にはとっくの昔に後戻りできなくなっているわけだが・・・

五悪人も相次ぎ亡ぶ

再掲であるが、これがすでにしておかしいのである。

一般的な感覚だとどうだろう。十年くらいの間に家族が次々に亡くなれば、まさしく相次ぎ亡くなるという表現が相応しいかもしれない。しかし、上掲の場合はあまりにもスパンが長過ぎるのである。相次ぎなどとはとうてい言えないだろう。

日達上人は七十七歳で御遷化である。これは当時の感覚からすると、それほど若死にでもない。むしろイチャモンをつけるほうがおかしいのである。

山崎正友氏は七十歳代の前半で亡くなった。確かに現代感覚ではやや若死にの印象が拭えないけれども、顕正会員だって病気事故などで早逝される人がいるわけだから、とやかく言えた義理ではないだろう。

そして問題は日顕上人のことである。

 その阿部日顕は、五日前の九月二十日早朝、死亡した。長きにわたって国立戒壇の御遺命に敵対し、猊座を退いたのちも院政を布いていたこの悪人が、いま命終したのです。
 私は、大聖人様が宗門追放して下さったのだと、深く拝しております。


もはや救いようのないバカである。

日顕上人は九十六歳で御遷化された。これは平均寿命の延びた現代においても相当の長寿であり、まったくケチのつけようのないことなのだ。しかもである。宗門追放などとウソを言ってしまっている。本人にウソの自覚がないとすれば、ようは狂っているのだろう。

わたくしは宗門の人間ではないので詳しくは知らないが、日顕上人の葬儀は総本山大石寺で行なわれたはずである。追放されたのが事実であれば、本山で葬儀が行なわれるわけがないのである。

むしろ宗門追放されたのは他ならぬ自分自身であることに気がつかねばなるまい。それも遥か昔のことである。

 また「寄生虫」たる大草などは、宿主を失えば自然消滅するだけです。


大草氏は六十代の半ばと思われる。浅井先生よりも遥かに若い。病気事故など、よほどのことがない限り、順番的には浅井先生が先に逝くことになるだろう。

ちなみに会長講演では当然ながら池田大作氏のことにも言及がある。いわく、生ける屍、と。まだ亡くなってはいないものの、死んだも同然であると、そういうニュアンスを言っているのだろう。

こうしてみると、浅井先生の言っていることがいかにデタラメであるか、よくわかるのではないかと思う。

日達上人の御遷化は当時の平均寿命からしてさほど問題を感じない。むしろ今も健在だったら驚異的である。山崎正友氏の場合は個人差の問題である。日顕上人は実に御長寿だったわけで、何の問題もない。追放されたわけではないのだ。
ところがである。大草一男氏に関しては死ぬ死なないではなく、事実として宗門から追放されることを云々しているような感じなのである。
その意味で言えば、池田大作氏が生ける屍かどうかは問題ではないはずだろう。すでに氏は宗門から追放されて久しいのである。

以上、五悪人を並列的に扱って、あたかも相次ぎ亡んだかのように言うのは、ただ単に都合よく解釈しているだけの話であって、事実は上述のごとくである。

今日はここまでにしたい。次回も会長講演を取り上げるつもりだ。

2019/11/9

シンカクカ  
顕正新聞の続きである。男子部第三十六隊支隊副長の記事には、妙観講員の次の発言が紹介されている。

 「日達猊下が御遺命を間違えたことは認める。だからあのような亡くなり方をされたのだ。因果の道理に裁かれたのだ」

これが事実かどうか、気になるところである。

婦人部山城支区部長の記事には、一組長の次のような発言がある。

 さらに、仕事中心であった一組長も、「こんなことをしている場合ではない」と、仕事を休んで・・・

相変わらずのバカさ加減である。

女子部第二百十九区長の記事には、かつて創価学会員だった人物の興味深い話が紹介されている。

今から四〇年ほど前、「学会の御本尊は偽物に変わった」と聞き、学会を脱会した・・・

わたくしもそのような話をどこかで聞いたか読んだかしたような記憶がある。丁度その頃のことだろう、宗門の許可もなく勝手に紙幅本尊を板本尊に作り替えたという事件があったので、あるいはそのことを言っているのかもしれない。

では、顕正会はどうか、である。

言うまでもなく、ここ十年から二十年、相当の人数が宗門へ移籍している。その最大の理由が本尊問題である。彼女はそれを知らないのだろうか?

衛護隊としては分隊長・・・

男子部第百六十八隊支隊副長の記事である。上掲を読んでいて思ったことがある。最近の顕正新聞は芙蓉茶寮の特集記事すらやらなくなった。会長講演を除けば、あとは各種の登壇記事をひたすら貼り付けるだけの単純作業に終始している。たまには変わったことをやるべきだろう。

その一つの提案として、顕正会全体の組織図を作ったらどうか、と思う。それを顕正新聞に掲載するのだ。これは壮観だろう。一面では収まらず、二面を使うことになるかもしれない。

まあ、しかし、やたらとポストが多いわりには兼任ばかりで、実態はスカスカということがわかってしまうかもしれない。イヤミが過ぎただろうか?

「まだか!間に合わなくなる!自分が全責任をとるから、すぐに手術を開始する!」

男性婦人部員が急性心筋梗塞で命を落としそうになった時の話である。まるでテレビドラマのシーンみたいだ。

手術の承諾書がないと執刀できないのは理解できる。ただ素朴な疑問は交通事故などの場合はどうなのかである。一刻を争う事態の時でも同意書がないと手術をしないのだろうか?

女子部第百三十九区総班長は父との確執があって、約七年間も車中生活を余儀なくされたという。

 その後、結婚し、マイホームを建て、娘も授かり、車中生活から一変・・・

早い話が家を追い出され、結婚するまでの間は車中生活をしていたわけである。しかし、素朴な疑問は、なぜにアパートなどを借りて生活しなかったのか、である。トイレだの風呂だの、現実的に不便極まりないはずなのに、である。

婦人部愛南支区の平会員はかつて創価学会員だった。

 学会女子部に移ってよりは、折伏・選挙活動、時には一ヶ月ほど仕事を休んでまで、高知県の学会員宅に滞在して活動したこともありました。

まず、一ヶ月の休職が不審である。そんなことが許されるのだろうか? さらに、愛媛県の創価学会員がわざわざ高知県に行って、一ヶ月もの間、何をするのだろうか?

男子部第七十隊支隊長は昭和五十六年の入信である。こうしたベテラン会員が残っているのは希少だろう。問題は次である。

 と大師子吼されました・・・

今となっては懐かしい第一回・武道館大総会であるが、彼はそこでの浅井発言をダイシシクと表現しているわけである。

ちなみにわたくしは第一回のそれには参加していない。第二回にも参加していない。顕正会との邂逅はその直後のことだからである。ゆえに参加はしていないものの、当時の先輩たちから話は聞いていた。ゆえに懐かしさを感じたりもするわけである。

その上でハッキリ言えることは、さすがに今ほど神格化されていなかった。ゆえに大獅子吼などという表現も当時は存在しなかった、ということである。

2019/11/7

オオヤブ  
顕正新聞第1487号の一面から二面にかけては、竜の口法難会における会長講演が載っている。

彼は念仏と真言を深く信じて、大聖人を強く憎んでいた。

平左衛門のことである。不勉強のわたくしは、念仏と真言のくだりがわからなかった。この根拠はどこにあるのだろうか?

 信心に距離は関係ないのです。

浅井先生は遥拝勤行を正当化するために言っているわけなのだろう。この意味においては間違っていない。ただし、上掲のセリフを単独で使うと問題が生じることを理解しておく必要がある。

道のとをきに心ざしのあらわるゝにや。

むしろ信心は距離に反映されるのだ。

大聖人様が身延にましましたとき、大進房・三位房らは、おそばに仕えながら大聖人に背いてしまった。

ここはアゲアシ取りになることを承知しつつ書くと、日蓮正宗系では彼らをいわゆる五老僧と同列に扱っているフシがあって、ようは日興上人に比して常随給仕が足りなかったと言っているわけである。結局、意識無意識にかかわらず誰もがテマエミソの論理に陥っているのだと思う。わたくし自身も気をつけたいものである。

 顕正会が三百万・五百万になれば、必ず事は決する。

活動会員たちはこの言葉を絶対に忘れてはならない。特に若い人たちこそ、しっかりと憶えておくべきだろう。

宗門史上歴史的瞬間直前の・・・

さて、会長講演に続き、三面から五面にかけては各部の代表幹部たちの登壇記事が載っている。ほとんどマンネリの内容なので、今回は大幅に省略して、婦人部第八総部長の記事から紹介しよう。上掲がそれである。

あまりにも大袈裟な表現であり、何を言いたいのか、よくわからない。

わたくしの思うに、この表現に相応しい出来事があるとすれば、平成十年の御遺命守護完結ないし正本堂崩壊だろう。ようはそれに匹敵するだけの出来事が、明年早々に起きなければいけないのだ。何事もなく過ぎれば、彼女はオオウソツキとなる。

本日を機に必ずや挽回し・・・

六面左上に載る第二十七婦人部長の記事である。アラサガシのようで恐縮だが、ノルマに苦しんでいる活動会員たちの様子が伝わってくる文章である。

左下には女子部第十一区長の記事があって、フィリピンに現地人と思しき班長がいるらしい。興味深いが割愛させていただくことにして、七面右上の記事に移ろう。

 支隊長たちが折伏を重ねている一婦人は、池袋の法道院の信徒から声をかけられ、「ビール一ダースとおカネをもらって寺に連れて行かれた」と話し、一壮年は「仏法の話を全くされず、弁当とカネをもらって寺に行った」と語る等、仏法とかけ離れた信心のない人集めだけの宗門の実態に唖然といたしました。

第三十五男子部幹事の記事である。先ほどノルマに苦しんでいる顕正会員を云々したが、上掲が事実であれば宗門も深刻である。ビールとか弁当に加えておカネまで渡しているとすれば、それはいわゆるサクラに他ならない。そのようなインチキを信徒がやっているとすれば、まさにノルマに追われて仕方なくやっていることになるだろう。

左上には男子部第百二隊総支隊長補の記事がある。彼は福井県の全末寺に電話したという。

 啓道寺の住職・大薮道宗に・・・

ややこしいことに、この寺は福井県ではなく滋賀県にあるらしい。どうやらこの人物は法論に自信があるようで、隣県の住職たちに顕正会員から電話があったらこちらに回すようにと言っているらしいのだ。

 しかし、法論にあたり大藪が
 「身元不明者を境内に入れることはできない。社会的立場を表わす名刺を持参して身元を証明せよ」との条件を提示してきました。


ほほう、面白そうな応酬である。

そこで私が
 「個人情報を渡す必要はない。身元不明者を境内に入れられないのなら、別会場を顕正会側で用意する」
と伝えると
 「忙しいから別会場には行かない。身元を明かせないのなら話には応じない。検討して下さい」と拒絶し・・・


身元不明者を境内に入れることができないとは、ずいぶんケチな寺院である。来る者は拒まずがあるべき姿ではあるまいかと思うのだが、現代においてはそのようなわけにも行かないのだろうか?

総支隊長補殿も個人情報などと言わずに、名刺でも何でもいいから用意して、是が非でも法論を実現すべきだったのではあるまいか?

ともかく法論は実現しなかった。すると次のくだりは電話でのやり取りだったのだろう。

 また、大藪が「質問したいこと」として言ってきた内容の一つは
 「浅井会長が使用している『平成新編御書』は、顕正会がニセ法主と言っている阿部管長が監修したものなのに、なぜ使用しているのか?」とのくだらぬ難癖でありましたが・・・


まず、カッコ内のセリフは住職のはずなので、阿部管長はおかしいだろう。とは言え、顕正会目線で言えば阿部日顕となるはずなので、その意味でもおかしい。

くだらぬ難癖については、まあ、そう言えなくもないが、実際問題としては難癖でも何でもないだろう。顕正会の潔癖さからすれば、使用しないのが筋である。さらに言うと、顕正会には御書全集の発刊計画があった。にもかかわらず進捗がまったく見られない。おそらくは断念したのだろう。まさに一事が万事である。

最後にどうでもいいことを書いて終わりたい。

大薮→大藪

お気づきだろうか? わたくしは顕正新聞の表記通りに書き写している。たぶんパソコンで原稿を打っているのだろう。よくある変換の不統一である。

そこで私が
と伝えると


ここだけインデントがなされていない。これも原文通りに書き写した。

どうも最近は文章の乱れが激しい。いや、顕正新聞の話ではなく、ネット上の話である。若い人たちはむしろそれが当たり前のようになりつつある。総支隊長補殿もそうした若い人たちの部類なのだろう。それが今回の登壇記事に少し反映された格好である。

2019/11/6

カタクナ  
沖浦氏のコメントの中に、本職はロック、とあった。ジャズもブルースもやるが本職はロックなのだそうである。わたくしのような音楽オンチにはそうしたジャンルの違いがわからない。わかるのは沖浦氏のモチベーションの高さである。

それはさておき、次のコメントに注目である。

2019/11/1 13:55
投稿者:一学会員
創価学会の男子部女子部に 区長と言う役職はありません 区男子部長か区女子部長です また教学試験で毎年のように行われるのは任用試験位で 教授助教授試験は10年位行われない事もあり めったにはありません。


つまり、顕正新聞の記事は真っ赤なウソであると、そう言っているわけなのだろう。もし登壇者にウソを吐いている自覚がないとすれば、いわゆる記憶違いということになるわけだが、別の観点から言うと、相変わらず編集部はやる気がないようである。普通、記事の内容を確認し、かつまた文章の不具合などを修正して、そこでようやく掲載されるはずなのだ。そうした作業を完全に放棄して、ただ単にテキストをり付けているだけの実態が窺えるところである。いつからこんなテイタラクになってしまったのか、もともとそうだったのか、昔はもう少しマシだったと思うのだが・・・

もはや顕正新聞の検証もバカらしくなってきた。そろそろ拙ブログも店じまいすべきかもしれない。

「経行寺」住職、顕正会の正しさ認める

と言いつつ、今日も顕正新聞の続きを見て行こう。男子部第百五十五隊長の記事の見出しにはご覧のように書かれている。実際、本文を読んでも、くだんの住職が顕正会をかなり好意的に見ていることがわかる。いちばん象徴的なのは次のセリフだろう。

「これだけ戒壇の大御本尊様を信じている人たちなんだから、何とか解決策・妥協策を見いだせないだろうか」

どちらかと言うと顕正会のほうが頑なであり、それが解決を阻んでいるのだとわたくしは思う。御相承の断絶を言ってしまった以上、もはや後戻りはできないのかもしれない。その延長線上にあるのが日達上人の御臨終に関する話題である。そして最近ではなんと日顕上人の御臨終についても悪宣伝を始めたごとくである。顕正会の副理事長という重職にある者が、いわゆるクチコミ指導において上人の臨終を云々しているのだ。

たぶん当日参加した男子部員の誰かが録音したものなのだろう。それがネット上に出回っているのである。本人はよかれと思ってやったことなのだろうが、これが顕正会にとってどれほどマイナスになるか、いずれは本人もわかる時が来るだろう。

経行寺の御住職は人格者であり、顕正会員に対しても紳士的な応接をしている。しかし、現実的には今書いた通りであり、とてもじゃないが解決は無理である。

ところで次のようなセリフがある。

 「ある老僧が『広宣流布ができた時、五千人しか収容できない建物で間に合うのか?』と言っていた」

正本堂の話である。わたくしの記憶では六千人収容ではなかったかと思う。

それはさておき、「五千人しか」が気になるところである。もちろん「六千人しか」に直しても同じことである。つまり、広宣流布の時にはそれを遥かに凌駕する大殿堂を建てるべきだと言っていることになる。老僧の発言ではあるものの、現今の顕正会の思想とは相容れないような気がしてならない。このことに、彼らは気がついているのだろうか?

ようするに土足の問題である。

前々回の拙稿では、戒壇の大御本尊安置の堂宇は畳敷きでなければいけない、という意味の発言を紹介した。何を寝ぼけたことを言っておるものかと思う。とりわけ上掲との齟齬を思えば、もはや支離滅裂と言う以外にはないだろう。

教学委員・男子部第七十八隊支隊長

法務部次長の別の肩書きである。忙しい人である。記事の内容は省略する。

群馬の「上毛新聞」に掲載された判決記事

これも前々回の拙稿で紹介した話題である。公立公民館使用拒否問題の当事者と思しき、婦人部渋川支区総班長の登壇記事である。そこに上毛新聞に掲載された判決記事が写真で紹介されている。詳細は省く。

女子部第三百二十一区長

アメリカ初の区だそうである。これまた詳細は省くが、移動が大変である。カリフォルニア州からジョージア州へ、とか、ニューヨークの自宅拠点がどうのこうの、といった感じである。

婦人部大宮支区総班長は父親の臨終について書いている。

当時住んでいた朝霞台から、ときわ台の東京会館へ、自転車で半日かけて毎日参詣に通いました。

これは生前の父親のけなげな信心を描写しているくだりである。土地勘がないので何とも言えないが、半日掛かりは大変なことである。電車なら一本で行けるところなのに、なぜに自転車なのかが気になるところではある。

 荼毘に付すまでの二日間は、面会のできない霊安室に安置されていましたが・・・

ここがわからなかった。面会のできない霊安室とは具体的にどのようなものなのだろうか?

正信会座談会で「日達の悪臨終」聞く

婦人部日南支区の平会員は正信会・本照寺に四十年以上所属していたそうで、その時に住職夫妻から日達上人の臨終について聞いたという。ようするに又聞きである。こんな不確かな証言ばかりを集めてどうするつもりなのだろうか?

二年ぶりのモンゴル集会 大歓喜漲る

二年ぶりが悩ましい。もっと悩ましいのがネパールだろう。かつて、日本で入信したネパール人たちが帰国して、現地に潮流が起きたというような報道があったはずである。それからどれくらいの年月が過ぎたのか定かではないが、モンゴルよりも先行していたはずであるから、今では相当の大組織が構築されていてもおかしくはないだろう。まあ、しかし、逆に壊滅状態の可能性も否定できない。台湾にしてもしかりである。

そもそもが日本国内においても、ややもすれば大幹部が離脱してしまうようなテイタラクなのだ。その後の消息がまったく聞かれないものの、最近では総合女子部長の例がある。それを考えれば海外組織などは、いとも簡単に崩壊してしまうことだろう。


十一月七日追記:誤字を修正した。

2019/10/31

ヒトカド  
顕正新聞第1486号を見て行こう。

その場にいた僧侶の誰一人逆らえなかった異様な光景・・・

副総男子部長の筆頭と思しき人物の発言である。これは正本堂建設委員会で池田大作氏が当時の日蓮正宗の総監を二時間にわたり罵倒したことを言っている。総監は宗門におけるナンバーツーなのだそうである。ゆえにパワーバランスから言えば、池田氏を制止できるのは日達上人だけだった。しかし、後年のことながら大勢の信徒が見ている前で池田氏が日達上人を恫喝するという事件があった。ここから類推するに、すでに上人はかなり早い時期から池田氏に逆らえない状態に陥っていたのだろう。

確かにこうした状況下において、池田氏に真っ向から勝負を挑んだ浅井先生は、ヒトカドの人物と言えるだろう。ただし、老いては駑馬に劣る、という。先生も例外ではない。

例えば五面上段に期を画する大人事とあって、次のような説明が付されている。

いよいよ明年から突入する広布の決戦場を見つめての・・・

ひじょうに微妙なところを指摘することになるが、ここでの「から」がやや不適切のように思う。通常、「から」は「まで」とセットになるはずなので、まるで突入する期間が数年にわたるかのように読めてしまうのだ。

例題を示そう。

来月から始まる九州場所

これはおかしな文章だ。大相撲は十五日間の興行であり、月を跨ぐことはない。つまり、十一月場所は十一月に終わるのである。ゆえに、「から」は不適切なのだ。

さて、そこで二面に戻りたい。次は男子部第十三総部長の発言である。

明年、決戦場に到達する顕正会・・・

あらら、到達と言っちゃっている。到達と突入ではずいぶんとニュアンスが異なる。おそらく先生としては到達では困るのだろう。ゆえに突入で誤魔化したいのだ。そうしたヨコシマな思考が、明年から突入する云々の珍妙な表現になるのだ。

そしていつも言っているように、そこには大聖人御馬前という概念も加わって来る。もはやゴチャマゼ状態なのだ。

以上、かつての浅井先生は称賛に値する。しかし、今はさまざまの矛盾が生じてきて収拾がつかない状態なのだ。そこをひたすら誤魔化そうとしているところがいかにも見苦しい。まさに過去の栄光を台無しにするような愚行と言わざるを得ない。

大師子吼

これもそうだ。こんなことを言わせている時点で終わっているのである。今回は総合婦人部長と第二十六婦人部長が言っている。

正系門家の御遺命破壊のたばかりの完結が一日も早まることを切に願い・・・

この副総合婦人部長の発言もどうかと思う。もちろんアゲアシ取りのレベルではあるわけだが、それにしてもヘボな文章である。これがインタビュー記事などであれば発言がこうであっても斟酌して書き直すのが普通であろう。それがインタビュアーの仕事である。ところがこれは登壇記事であるからして、登壇原稿を書いた本人の責任である。もしくは編集部の責任となるだろう。

意味がわからない人のために、もう少し説明しよう。

かつて御遺命守護の完結を目指していた。すると上掲は正反対の意味になる。いわば正義の完結ではなく、悪の完結を目指していることになるのだ。

ところが彼女は御遺命守護の完結とは言えないのだろう。なぜならば、すでに二十年以上も前に完結していることになっているからだ。

これで前述の矛盾の意味が、よりいっそう明瞭になったはずである。

 このような大悪人を相手に、六十年以上戦ってこられた先生の激闘に・・・

副総合女子部長の発言である。これもアゲアシ取りの気味があるものの、いちおう書いておきたい。例の五悪人を相手に六十年以上戦ってきたとするならば大間違いである。特に大草一男氏などはまったく当てはまらない。氏が台頭し始めたのは昭和末期であり、実質的には平成以降だろう。すると三十年もサバを読んでいることになる。また、御遺命守護の歴史の上から考えても、その起点は昭和四十五年であるからして、六十年云々はまったくのサバ読みである。正本堂問題という意味では昭和三十九年を起点とすべきだろう。つまり、彼女の言い様だと日淳上人の時代からすでに悪人だらけだったと言っているに等しくなるのだ。

正系門家の「空位」に加え、先生の直諫を無視する失により、風雲急を告げる客観情勢を見ては・・・

女子部第二総部長の発言はそのベースに浅井先生の指導がある。ゆえに彼女を責めるのは筋違いかもしれない。

まことに恐れ多い限りであるが、わたくしはここで日如上人の御気持ちになって言いたいことがある。空位なんだろ? だったらオレに言うなよ、めんどくせーなー、と。

これも一種の矛盾なのだろう。

わたくしは日如上人の厳然たる在位を主張したい。それでこその直諫だろう。直諫などと格好いいことを言っているわりには、在位を否定するのである。これほどの矛盾もあるまい。

毎回、ツッコミどころ満載の顕正新聞である。

2019/10/29

キョウジュ  
沖浦氏がめずらしく父親のことを書いている。ここまで詳しく書いたのは初めてのことかもしれない。

ところで誰だかわからない人物が法体相承と法門相承について云々している。しかし、もしかしたらどこかから勝手にコピペしてきた文章なのかもしれない。自分の言葉で発言できるようになりたいものだ。

さて、顕正新聞の続きであるが、一気に終わらせてしまおう。

大信寺住職上田、論に詰まりボールペンを投げつける!

第十五男子部長の登壇である。細かい話は抜きにして、ボールペンはよろしくないだろう。もし目にでも刺さってしまったら大変なことになる。物を投げつける場合、その辺を考えてからにしないといけない。

ただ言えることは、それほどに顕正会員の発言ないし態度がムカツクのである。この点に本人たちが気づいていればいいのだが、もし気づかずに誰彼構わずに不快な思いをさせているとしたら、もうそれだけでダメである。一般人からも反発を食らうことになる。理想は悪人に対してだけそのような態度を取れればいいのだが、なかなかそのような器用な人間はいないものである。

「国立戒壇が正しい」正信会住職が吐露

この第二十七男子部長の記事には重大な欠陥がある。いわく東海方面の全末寺に赴いたと。実際にその方面に寺院がいくつ存在するのか知らないが、ここでは寺院名が四つほど紹介されている。それはいいのだ。問題は正信会の寺院である。なんと上掲のような立派な見出しがあるにもかかわらず、本文中にはその具体的な寺院名が記されていないのである。これではダメだろう。

「公立公民館による使用拒否は違法」

法務部長・藤村雄大氏の記事はきわめて常識的である。そもそも今頃になってなぜにこのような問題が起きたのかが不思議である。公民館側の独自の判断なのか、顕正会に批判的な勢力が圧力を掛けたのか、そこが気になるところである。

わたくしは顕正会の会館がほとんど存在しない頃のことを知っている。当然、その頃は公共施設を借りて集会を行なっていた。いわゆるビデオ放映であれば全国各地でそのような形で行なわれていたのである。
ただ当時、それを妨害するような動きがあったのも事実で、施設のほうに顕正会へは貸すなという匿名者からの働き掛けがなされていた。これを顕正会では創価学会の謀略だと言っていたわけである。
では今もなお創価学会の謀略が行なわれているのだろうかと考えると、やや疑問に思えるところである。あるいは組織的な謀略ではなく、地域の創価学会員による妨害工作なのだろうか?

ここで皮肉な話をすると、もし創価学会がそのような工作を行なっていたとすれば、それが顕正会の会館を増やすキッカケになったのも事実である。今現在、ビデオ放映などのスケジュール表を見ると、そのほとんどが会館で行なわれるように設定されている。ようはそのほうが会場を貸す貸さないのツマラヌ悶着に煩わされることがないからである。

翻って言えることは、そうした会場の問題は昔から今に至るまで潜在的にあるのだろう。以前は弁護士を外注しないといけないので一々提訴することはしなかった。それだけの話なのかもしれない。

戒壇の大御本尊在す奉安堂に土足で

婦人部大宮支区の平会員である。まったく何を言っておるものかと思う。

 奉安堂に入室する前の休憩所や他の建物は、すべて畳の部屋でしたが、戒壇の大御本尊様まします奉安堂がどうして土足なのか、戒壇の大御本尊様まします処こそ畳でなくてはおかしいと、衝撃でいっぱいになりました。

本部首脳は真面目に考えるべきだろう。国立戒壇を本気で建てるつもりがあるのならば、まずは収容人数をどうするかである。まさか少人数での御開扉を想定しているわけではあるまい。何しろ全世界の人々が参詣する堂宇なのである。わたくしは何も外国人向けにイス席にしろと言っているのではない。もし畳敷きの場合、下駄箱をどうするかである。大人数になればなるほど、現実的にはかなり難しい問題となるはずで、そんなことも想像できないのかと逆に心配になる。早い話が国立戒壇を本気で考えてはいないのだろう。

大師子吼

第十七婦人部長である。婦人部はかなり重症のようだ。

最後は女性男子部員の記事である。

 昭和三十二年、母の縁で学会に入信した私は、十九歳で「区長」と「教授」になり・・・

創価学会における区長がどれほどの役職なのか知らないが、顕正会の女子部で言えば相当の出世頭であろう。成人式の登壇記事を見ると、総班長の場合が圧倒的に多く、ごくマレに区長の登壇もあったように記憶している。ゆえに上掲の十九歳で区長は凄いことだ。

問題は教授のほうで、これが事実だとしたらどういうことになるのだろうか?

これまでにも創価学会から入会してきた人が無数に登壇しているものの、そのほとんどが教授補止まりなのである。今調べてみたら本年の七月十七日付の拙稿でこの問題を取り上げている。やはり教授の例は希少である。しかも十九歳で教授が本当ならば驚異的である。

2019/10/22

クウイ  
顕正新聞の続きを見て行こう。八月度総幹部会の目玉は総合女子部長人事であり、そのことは前回のブログに詳しく書いた。今回は会長講演である。

御遺命破壊に加わった五人を見よ

今回もまた特集号と銘打っているだけあって、紙数も相当である。第二面から三ページ半にわたって掲載されている。そして上掲は御遺命破壊の犯人たち(?)についての記述である。

池田大作

細井日達、阿部日顕

山崎正友、大草一男


これは当該講演の記述から抽出したものである。

かつて浅井先生は池田大作氏を主犯とし、日達上人ないし日顕上人を共犯としていた。その都度、表現を工夫して、新鮮味を持たせることに腐心しているのか、もしくは過去の発言をすっかり忘れてしまって新たに書いているので表現が異なるのか、その辺は定かではないが、ともかく今回は五人という括りにしている点が新しい。

 この五人のうち、池田大作こそまさしく第六天の魔王その身に入った御遺命破壊の元凶であり、あとの四人は魔の眷属です。

それにしても大草一男氏も出世したものである。

浅井先生に自覚はないのかもしれないが、これは相手にしてみれば大変名誉なことであり、妙観講員は喜んでいいと思う。
かつて二人は電話でやり取りをしている。この時の音声は今もネット上のどこかで確認できるだろう。また当時、顕正会には冨士という月刊誌があって、そこで妙観講のことを話題にしたりもしていた。その頃のわたくしの印象では、大草氏はどこの馬の骨ともわからぬ若造であり、浅井先生とは格が違い過ぎる、という感じだった。実際、くだんの電話でのやり取りでは浅井先生に相手を見下すような言動があったし、冨士の記述もそうだった。
ところがここに来て、大草氏はとうとう御遺命破壊の当事者に祭り上げられたのである。これは名誉なことだろう。何しろ昭和四十年代当時、大草氏は何者でもなかったのである。それが今では無視できない存在になったということなのだ。

細井日達に取り入る

阿部日顕に取り入る


これまた浅井先生に自覚はないのかもしれないが、この記述がいかに非常識であるかを顕正会員たちは考えるべきである。具体的には次のくだりをご覧に入れたい。

 その翌年、細井日達は急死し、阿部日顕が登座した。
 すると大草はこんどは日顕に取り入るようになる。


浅井先生は宗門の外にいて、歪んだ目で見ているから、こんな書き方をするのだろう。

今の段階でハッキリしていることは、顕正会の認識としてはいわゆる無相承ということなのだろう。後年の創価学会の言い方を使えば、ニセ法主ということになる。ニセ法主に取り入ってどうするのか、というのが浅井先生の言わんとしていることだ。

しかし、それは大間違いであって、大草氏は今も昔も一貫して御相承を拝信しているのだから、取り入るも何もないのである。時の猊下を拝信して何がいけないのだろうか?

ちなみに、山崎正友氏に関しては、次の二つをどのように受け取るかが問われている。

法主を僭称する阿部日顕上人の素顔

私が御相承≠拝信するに至るまで


これもまた、歪んだ目で見ている人とそうでない人とでは、見解が分かれるのだろう。

いわゆる一貫不変である必要はない。自分が間違っていたと思えば訂正する。それが人間としてマトモな振る舞いである。山崎氏はそれを実行しただけの話である。

浅井先生は気づいていないかもしれないので、ここに書いておこう。

御相承について最初に疑義を呈したのは正信会である。それに続いたのはかなり時間が経ってからの創価学会である。そのさらに後年、顕正会が言い出した。早い話が、顕正会は後出しジャンケン的に言い出したに過ぎない。ぜんぜん一貫不変ではないのである。

だったら逆もアリだろう。最初は御相承を疑っていた山崎氏が、後に拝信したとして何がいけないのだろうか?

今回の会長講演はこんなテイタラクである。よって以下はオマケとして書いておこう。

 「日蓮門下の集まりに始めて参加させて頂き、光栄に思っております」

山崎氏の発言とのことだ。わたくしがいつも気にしている、初めてと始めての使い分けの問題だが、この記述は原文通りなのだろうか?

妙光寺事件

これは試練と忍従の歴史にも出てくる話なので知ってはいたが、もしかしたら今回は新事実が書かれているのかもしれない。

 この席で池田大作は、管長に次ぐ第二位の地位にあり、妙光寺の住職でもあった柿沼広澄・宗務院総監に対し、なんと二時間にわたり罵倒を繰り返した。

二時間? これは初耳である。それともわたくしが単に失念しているだけなのだろうか?

 前々から池田大作にへつらっていた阿部日顕などは、京都平安寺の住職で教学部長だったころ、平安寺前の大通りを池田大作が車で通ることを知るや、門前に立って待ち、頭を下げていたという。また池田が平安寺に来るときには、門前から本堂までの道に、赤絨毯を敷いて迎えたという。

ここまで詳しい記述は初めて読んだ。それにしても、〜いう。〜いう。という表現からもわかるように、浅井先生がそれを目の当たりにしたわけではないのは明らかである。では、いったいどこから得た情報なのか、そこが気になるところである。

大事なところを見逃していた。

 さて、細井日達は、池田大作との大抗争の最中の昭和五十四年七月二十二日、心臓発作で急死を遂げた。それは、大事な「御相承」もなし得ずの急死であった。
 しかし先般も申し述べたごとく、いかなることがあっても、下種仏法の血脈は断絶するものではないのです。もし国立戒壇の御遺命を堅持あそばす貫首上人が御出現になれば、忽ちに血脈は蘇る。それまで「空位」が続くというだけのことです。


相変わらずの支離滅裂さである。

はたしてこんな顕正会にも御相承を拝信する日が来るのだろうか?

この「空位」は国家に重大な影響をもたらす。ゆえに令和は大変な時代になると思われる。

わたくしは昭和時代からの顕正会経験者である。ゆえに昭和末期における浅井発言、平成を迎えた頃の浅井発言を知っている。同じようなことを繰り返し言っているに過ぎない。

 二〇年代こそ、広宣流布の決戦場であります。

ややアゲアシ取りとは承知しつつも言いたい。上掲はいわゆる西暦である。前掲は日本特有のいわゆる元号である。

行き当たりばったり感が否めない。


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