2019/12/15

ブツグ  
まず、今朝の沖浦氏のコメントは少し前の拙稿に付けられたものであることを書いておこう。黙っているとそのまま埋もれてしまうからだ。

 極めて基本中の基本ですが、曼荼羅本尊本懐思想は大聖人仏法には存在致しません。

それにしても興味深いのは、いつもならば戒壇本尊本懐思想と書きそうなところをご覧のように書いている。

通常、曼荼羅本懐か仏像本懐かで議論がなされることが多いわけだが、沖浦氏は仏像本懐にも与しないはずなので、いわば得意の沖浦流法門を展開しているのだろうと思われる。この件に関しては過去に繰り返し取り上げてきたごとく、沖浦氏のそれは換言すれば曼荼羅道具論であり、摧尊入卑の最たるものと言わざるを得ないところである。仏壇仏具という表現がある。一般的にも多用されている表現だ。ようするに沖浦氏の考えでは曼荼羅は仏具の一つに過ぎないことになるわけで、これでは一般の信仰心のない人たちの認識とさほど変わらないことになってしまう。そこをよく考えるべきだろう。

さて、大沢氏である。

氏はここ一年ばかり鳴りを潜めていた。理由は不明だが、ともかく拙ブログへの投稿を自粛したいたのは事実である。しかし、ここに来てかなりの高頻度でコメントを寄せるようになった。特に前回のコメント欄は氏の独壇場と化しており、わたくしとしても対応に苦慮せざるを得ない状況である。

此の本門の戒壇に事の戒壇と道理の戒壇と云う事あり。
事の戒壇とは、直ちに本門の御本尊の住処の事なり。
(総本山第三十二世日教上人)

此の一大秘法を開て三大秘法とし、此を開して六代(
大)秘法とす。

人の本尊
法の本尊
信の題目
行の題目
事の戒旦 一幅の板御本尊を掛け奉る所を云う
道理の戒旦 御代々御書写の御本尊を掛け奉る所を云う
(総本山第三十六世日堅上人)

未だ広布の時至らず事相の戒壇御建立なしといへども
此の道場即是れ事の戒壇真の霊山事の寂光にして、一
度も此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅して三
業の悪転じて三徳を成ぜんこと毛頭疑あるべからず
(総本山第五十二世日霑上人)


不勉強のわたくしはこれらの御指南を存じ上げなかった。いや、もしかしたら一度くらいはどこかで目にしているのかもしれないが、書籍としてそれらの史資料を持ち合わせていないこともあって、馬耳東風のテイタラクだった。よって、ここに記録として残しておきたいと思う。

日相上人と日開上人の御指南は顕正会の書籍に出てくることもあって、よく承知している。

逆に言うと、それ以外の御指南はなぜに秘匿されてきたのか、むしろそれが気になるところである。あるいは浅井先生は承知していたものの都合が悪いので会員に知らせなかっただけの話なのだろうか?

しかし、わたくしの印象としては、日達上人の時代に提示されたのは日開上人の御指南であり、後年、日相上人の文書が加わったという感じであって、それ以外の御指南は提示されなかったように思う。なぜならばもしあの段階で立て続けに五人の上人方の御指南を突き付けられれば、さすがの浅井先生も反論に苦慮したはずなのだ。

それはさておき、である。

当然ながらわたくしの立場は、顕正会に与するものでもなければ、宗門に与するものでもない。いつも言っているように宗門の戒壇論はデタラメである。さりとて顕正会も相当にデタラメなのだ。

今回、大沢氏は日達上人の訓諭を引用されているわけだが、改めて訓諭を拝して感じたことがある。

但し、現時にあっは、

まず、どうでもいいことを書くと、上掲は明らかな誤入力である。これが何を意味するのか興味深いところで、大沢氏が誤入力をしたのか、あるいはコピペ元が間違っているのか、どちらであろうか?

それはともかく話を進めよう。

正本堂の意義

一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む

此の意義を体し


文脈上、それぞれの意義がどのような意味なのかを論ずるのは、いわゆる解釈論の範疇であって議論百出となることだろう。ヒマな人はそれに挑戦するのもアリだと思う。

わたくしの結論は単純明快だ。

日達上人の仰せは正本堂を義の戒壇と定義せられているのである。

これに文句のあるヤツは大馬鹿野郎である。

 正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む、現時における事の戒壇なり。

ここに事の戒壇とあるから事の戒壇なのだと言い張る人間は頭の悪い人である。ようするに「現時における事の戒壇」なのである。これを日寛上人は「義理、事の戒壇に当たる」と仰せになっている。

つまり、日寛上人と日達上人の仰せを矛盾なく拝するためには、上述の二つのカギカッコを結合させる必要がある。現在の宗門はそれがわかっておらないから、根源の法体がどうのこうのと屁理屈をこね回すことになるのだ。

繰り返しになるが、日達上人が訓諭において三度にわたって「意義」を用いられているごとく、正本堂は義の戒壇である。

ちなみに顕正会では正本堂を偽戒壇と言ってしまっている。もはや取り返しのつかない失言である。顕正会の戒壇論はそこそこ筋が通ってはいるものの、もしかしたら偽戒壇云々がすべてをご破算にしてしまうことにもなりかねないのだ。いや、すでにそうなっているかもしれないというのが客観的な見方かもしれない。

単純に言うと、妙信講は正本堂の意義について異議を述べた。ゆえにその一点において自分たちの正義が証明されればそれでよかった。ところがいつまで経っても成果が上がらなかった。結果としてヤケを起こしてしまった。つまりは自爆である。

一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む・・・

意義を含むか否かについても書いておこう。

わたくしの結論は単純明快である。もちろん含むのである。だから義の戒壇なのだ。こんなこともわからない人がいるとすれば、それが法華講員であっても顕正会員であっても大馬鹿野郎である。

これで先ほどの取り返しのつかない云々も、その意味がよくわかっただろう。顕正会では正本堂を偽戒壇と言っちゃっている。ゆえに含むわけには行かないのである。ようするに全否定するしか道がないのだ。自爆である。

さて、そうすると残るところはくだんの三上人の御指南についてどのように拝するかであるが、不勉強のわたくしは保留とさせていただきたい。少なくとも前後の文脈からしっかりと拝させていただかないことには、申し上げられないところである。

いつも言っているように、この問題は最終的には御書に帰結するべきなのである。

戒壇の大御本尊まします処は事の戒壇であることを、大聖人の御指南から導き出さなければいけないのだ。この件に関してわたくしが自信を持っている理由もまた単純明快である。何しろ三大秘法抄や一期弘法抄には戒壇建立の御遺命がある。それこそが事の戒壇なのだから、それを否定するような御指南が存在したらおかしいだろう。

今回はこんなところで終わりにしたい。

2019/12/10

カイム  
気がつけば今月も中旬を迎える。柄にもなく多忙でブログの更新が滞ってしまい、顕正新聞も溜まりに溜まっている。このペースだと、消化し切れずに年越しすることになるだろう。

成功の三大秘訣‼️

大声、ハッタリ、空元気‼️


沖浦氏らしい秘訣ではある。ただ注意すべきことは、ウツ病の人は無理に元気を出そうとしてはいけないらしいのだ。時には励ましが逆効果になる場合もあるそうで、その意味では沖浦氏の秘訣は万人に当てはまるものではないことになるだろう。難しいものである。

克衛の消息はまったくの不明であり、ミカン氏のおっしゃる謗法ないし洗脳云々が的を射ているのかどうかもわからない。顕正会は会員たちが思っているほどにはメジャーではなく、マスコミなどからもまったく注目されていない。また、顕正会を研究しているようなジャーナリストもいないくらいである。そんな状況であるからして、なおさら克衛のことなど誰も気にしていないだろう。ある意味、それが顕正会の未来を象徴しているのかもしれない。

「御戒壇様と血脈」を蔑ろにして、正体不明の本尊を是とする人々は、本門寺の戒壇を論じる資格すら失っていると言えましょう。

そういう人々が、正本堂論または戒壇(建物)論を語ったところで、何の意味があるのでしょうか?


まあ、しかし、先ほどとは矛盾するようなことを言うわけだが、現時点では顕正会にも存在意義があって、宗門に対するイチャモンにしても資格のあるなしにかかわらず言う権利を奪うことは誰にもできないという現実がある。

今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。(三大秘法抄)

三大秘法は宗祖日蓮大聖人の御一身に具わりますので独一本門戒壇の大御本尊の在すところ、事の戒壇であることは、言うまでもありません。(無論、広布の暁の、本門寺の戒壇の御遺命は存する)


これはある意味、間接的ながらもわたくしに対する反論なのだと思われる。何しろ拙ブログでは、宗門の戒壇論はデタラメである、と繰り返し言い続けているからである。

大沢氏もよくご存知のように、一年ほど前にトチロ〜氏とわたくしとで、少し法論っぽいことがやり取りされた。もちろん拙ブログにはすべて記録が残っているし、先方のブログにもそれがある。ただ、あの時は長期戦にはならず、すぐに休戦状態になった。先方が休戦を申し出たのである。その真の理由は不明であるが、わたくし自身は勝手に以下のようなことを思っていた。

本尊所住の処、義の戒壇

これはトチロ〜氏が自らの文章に付けたタイトルである。いかがだろう、一年後の今日、大沢氏はさらに一歩踏み込んで、いわば次のように言っているわけである。

本尊所住の処、事の戒壇

もし一年前の議論が長期戦に突入していたとしたら、当然の成り行きとして上掲の論証が求められることになっただろう。しかし、トチロ〜氏としては義の戒壇の論証が精一杯であって事の戒壇までは無理だと考えた。だからこその休戦だったのではあるまいかと、わたくしはそのように想像したわけである。

いや、もちろん、別の可能性もあって、巌虎などというオチブレの元会員を相手にぜんぶをさらけ出すのは得策ではない、将来、顕正会のしかるべき大幹部と法論する時まで秘策は温存しておくべきだ、という考え方もあり得ると思う。

確かにそれはその通りだろう。

浅井先生にしても大草氏に対し、資格のないものが何を言うか、みたいなことを言っていた。その意味ではわたくしなどは無資格者の最たるものである。

ただし、ややこしいことを言うようだが、先ほども書いたように、顕正会が宗門に対してイチャモンをつけるのと同様、わたくしがここで好き勝手なことを言う権利は誰にも奪えないのである。

事の三大事=事の本尊・事の題目・事の戒壇

これは大沢氏が言わんとしているであろうことを勝手に解釈させてもらったものである。氏としては、いや、違う、そうではない、と思うかもしれないが、単純化すればこんな感じになるはずである。まあ、しかし、こんな簡単な論証で話が済んでしまうのであれば、そもそも妙信講問題などは存在し得なかっただろう。

顕正会員は、正本堂を「偽戒壇」と称していますが、これは誤りです。
大御本尊様の在すところ、正本堂は紛れもなく戒壇でした。


これはおっしゃる通りであり、かつての浅井先生ならば正論であると言ったかもしれない。ようするに今の浅井先生はかつての浅井先生ではないのだ。

ただ、正確を期すと、正本堂は紛れもなく義の戒壇でした、となるだろう。イヤラシイことを言うようだが、大沢氏もその辺の事情を考慮して、正本堂は紛れもなく事の戒壇でした、とは書かなかったのだと思う。そこが今の宗門の戒壇論の問題点を象徴しているような気がしてならない。

かつて大沢氏は、巌虎は巌虎派を立ち上げるまで教義を温存している、みたいなことを言っていた。しかし、それはまったくの誤解で、そんなに難しい話をしているわけではないのだ。将来、本門寺の戒壇が建つ、これこそが事の戒壇であって、その本門寺の戒壇に安置すべき御本尊がまします処はまだ戒壇が建たなくてもすでに戒壇の義が存する、というのが古来から言われてきたことなのである。こんな当たり前のことがわからなくなってしまっているとしたら、もはやオシマイだろう。現宗門としては行き掛かり上、自分たちの言ってきたことを正当化したいのだろうけれども、そこはどこまで行っても間違いは間違いなのだから、改めるべきである。

現状、拙ブログもオワコン化しつつあって注目度が低下しているけれども、当然、顕正会員だけでなく法華講員や創価学会員もチェックしていることだろう。いつも言っているように言論の世界は言っていることが正しいか間違っているか、差し当たってはそこが問われるわけである。わたくしの言っていることが間違っていると思うならば反論すればいい。しかし、反論のコメントが寄せられることは皆無に等しい。それが一つの結論である。

顕正新聞の話題を書くつもりだったが、今日はここで打ち止めにしたい。

2019/11/28

ノドカナ  
ミカン氏のコメントに感心した。

幹部の人達は役職に沿った忖度記事しか書かない。

忖度記事がうまい表現であり、顕正会員の心理状態を的確に捉えている。もちろん忖度は顕正会に限った話ではなく、ありとあらゆる組織に蔓延している病理ではあるのだが、ある意味、仕事でそれをやっている人は仕方がない面がある。ようは生きていくためには仕方がない、収入を得るためには仕方がない、ということなのだ。ところが顕正会の場合はその大半が非職業幹部であり、その意味ではもっと自由な発言が可能なはずにもかかわらず、それが許されない現実がある。これも当然と言えば当然なのかもしれないが、ともかくハタから見れば窮屈でありそんな組織はご免被ると思う人がたくさんいるであろうことは確実である。

沖浦氏からは久々にワックスの話が聞けた。いわく、フッ素系のワックスが禁止になった、と。氏は早くから非フッ素系ワックスの研究に取り組んでおり、現在は世界一のワックスとの自負があるそうである。まさに沖浦節健在を思わせるコメントだった。

身延僧の話は知りませんが、破門後の創価学会が、総本山第五十五世日布上人が、国柱会の幹部に御開扉を賜ったことを指して、謗法与同などと言っています。

大沢氏のコメントから引用した。破門後の創価学会が総力を挙げて日蓮正宗批判を展開した結果、今まで埋もれていた史資料が脚光を浴びるようになった。不勉強のわたくしはそうした事案について、正宗側がどのように反論しているのかをまったく承知していない。ただ上掲に関して思うことは、もしかしたら間接的ながらも顕正会のことを含めて批判しているのかもしれない、ということである。何しろ顕正会の地方会館には日布上人の御本尊が安置されているからである。

例のカエリタマエ問題については、とりあえず今後の展開を見守りたいと思う。

さて、そこで顕正新聞の第1490号であるが、当該号はいつものごとく登壇原稿の羅列であり、基本的には退屈な紙面である。ただ不幸中の幸いと書くのは不謹慎と承知しつつも、例の台風被害の報道が第一面を飾っていることで少しは格好がついている感じである。

千曲川の堤防決壊で、長野市は広範な地域が泥水の海と化した

この共同通信社提供の写真が一面の上段にデカデカと掲げられている。

余分なことを書くと、台風十九号直後に自民党の幹事長が失言をして後に撤回した。何を言ったかというと、大したことなかった、というような意味だった。実際には大したことがあったわけだが、それにもかかわらずなぜにそのようなウカツな発言をしたのか、わたくしには手に取るようにわかる。

十五号の被害も相当なものだった。しかし、その時には予報が甘かったためか、後から被害の深刻さがクローズアップされる格好となった。

気象庁としても忸怩たるものがあったのかもしれない。それゆえに十九号の時には来る前から大騒ぎをしていた。過剰過ぎるくらいの報道がなされていた。いわく、史上最大級の台風が首都圏を直撃する、と。

横浜在住のわたくしの感想を言うと、大したことなかったのは事実である。午後の八時くらいには風が弱まり、雨もそれほど強くはなかった。そのまま夜が明けた感じだった。
逆に十五号の時は街が寝静まった頃から暴風雨となり、なんと午前三時には拙宅も停電してしまったのである。停電は十三時間に及んだ。もちろん千葉県下の長期停電に比べるべくもないが、それでも自分の人生において最長の停電だった。
つまり、十五号に比べると首都圏そのものはわりと静穏だったし、わりと早い時間に通過してしまったこともあって、余計に大したことなかった感が強かったのである。

ただし、後出しジャンケン的で恐縮であるが、わたくしは自民党の幹事長のようなことは思わなかった。ようするに自分のところは大したことなかっただけであって、今回もまたどこかで甚大な被害が出ているのだろうと想像していた。事実そうだった。

東日本大震災の時もそうである。あの時は横浜も相当に揺れた。ただ被害的には大したことなかった。けれどもわたくしは前述のごとく、どこかで甚大な被害が起こっているのかもしれない、というふうには思っていた。事実そうだった。

話を顕正新聞に戻そう。

神奈川県箱根町

中段には毎日新聞社提供の写真があって、おそらくは湯本付近だろう、川が濁流と化している様子が凄まじい。

福島県南相馬市

朝日新聞社提供の写真には、家が土砂に埋まっていて辛うじて屋根だけが見えている凄まじいものがある。

千葉県市原市

これも朝日新聞社だが、車が逆さまになっているその先には、いったい何が起こったのか、まったく想像できないような光景が写し出されている。確か竜巻が発生したと報道されていたような気がする。台風と竜巻と同時期に発生するのかどうかよくわからないが、見た感じは竜巻の被害そのものである。

宮城県角田市

共同通信社提供である。道路が崩壊して車が落ちかけている。より正確に言えば、もはや自力では脱出できないレベルまで落ちてしまっている。

茨城県水戸市(牛舎から流されて来た牛)

この写真はのどかな雰囲気のところに牛が一頭たたずんでいる。もう少し説明すると、普段なら人が散歩したりランニングしたりするであろう土手の遊歩道に、牛がたたずんでいる不思議な写真である。ようは上掲の説明通りなのだろう。唯一、これだけが提供先の表示がない写真である。

逆に言うと、写真の提供を受けなければ紙面を作れない、それが顕正新聞社の実力なのである。

2019/11/24

カマビス  
引き続き顕正新聞から目ぼしい記事を拾って行こう。

身延僧云く「戒壇の御本尊拝見した」

男子部第十一総部長の記事にはご覧のような見出しが付いている。もしこれが事実だとしたら大変なことである。顕正会で主張する不敬の御開扉そのものだからだ。

さらに信じがたい発言ではありますが「戒壇の大御本尊を拝見した」とハッキリ言っていた身延僧がいたことを記憶しております。

これが本文である。何やらアヤシゲな文章だ。いったい誰が記憶しているのか、俄かには判読できないものの、おそらくは第二十九隊の支隊長が聞いた話なのだろう。ようするにいつもの又聞きである。総部長自らが聞いたわけではなく、また記憶しているわけでもなく、ようは他人の話をそのまま垂れ流しているだけなのだ。

かつては大石寺に参拝に行くようなことがあったかもしれないが・・・

身延の複数の寺では上掲のように言っているそうである。かもしれない? ここがおかしな点だろう。ただ、全体の文脈としては、かつては身延と大石寺には交流があったけれども今は交流がなくなった、という意味を言っており、続く総部長の発言が注目されるところである。

これこそ、平成十七年に先生が「最後に申すべき事」で三大謗法に止どめを刺し、謗法与同を呵責されたことで、身延との交流ができなくなったものと大確信したものであります。

これは半分くらいは正解と言えると思う。逆に言うと半分は不正解である。

大石寺の謗法与同を責めていたのは顕正会だけではない。実は創価学会もそうだったのだ。創価新報であるとか、その他の謀略情報紙などで、強烈に責めていた。ある意味、浅井先生はそれらの情報をパクって、後出しジャンケン的にいろいろと言っているような感じなのである。

そこで重要なことは、あまりにも外野がうるさいものだから、大石寺は謗法チックなことをしづらくなってしまい、結果的に清浄化されたのである。

対する創価学会は邪教化の一途をだどっている。これはわたくしが言うのではなく顕正会が言っていることである。そして当の顕正会は前々回の拙稿で紹介したキリシタンの例を見ればわかるように、本来の大石寺信仰から遊離して独自の信仰へと変化していくであろうことが想像されるのである。

さて、女子部第六総部長は台風十五号の話題を書いている。

今回の災害も未だ序分であれば、決戦場の前に・・・

結果論ながら彼女の言っていることは当たっていた。十五号を序分とするならば十九号こそが正宗分だろう。

ただし、彼女の認識はそうではない。ご覧のように決戦場云々と続くからである。つまり、来年以降、さらに災害が激化すると見ているのだ。いかにも顕正会員らしい思考であるが、わたくしはどうかと思うところである。このことはいずれ地震関連で再論することになるだろう。

音声データは一度他のメディアにコピーした時点で「未編集データ」とは言えない・・・

男子部第百二十四隊支隊副長の記事である。例のカエリタマエ問題は泥沼化しつつある。何しろ副長クラスが活動報告の中で話題にするほどなので、ようは妙観講員と顕正会員が現場で対峙した時にもカマビスシク議論しているわけなのだろう。それにしても上掲はさすがにどうかと思うところである。

データの消失は命取りである。ゆえに大事なデータはバックアップを取る。当然、相手に渡すデータも原本ではなくコピーが普通なのではないかと思うのだが、違うのだろうか?

葬儀の数時間前に主治医が葬儀場に現われ・・・

女子部第十五総部長が語っているのは三十五歳で生涯を閉じた組長の話である。その葬儀場に主治医が診察の合間を縫って駆け付けたという。

わたくしの拙い人生経験からすると、医者が亡くなった患者を弔うことはあまりないように思う。極端な話、終末医療を専門にやっているようなところの医師は、それこそ数えきれないほど死に立ち会っている。ゆえに死後の弔いにまで立ち会っていたら、身体がいくつあっても足りないだろう。もっとも上掲の三十五歳で亡くなるケースは医師の立場から見てもそう多くはないのかもしれず、また、彼女が顕正会の熱心な信仰をしていることを知っており、成仏の相のことも聞かされていたようなので、ゆえに興味関心があって葬儀場を訪れたのかもしれない。

さて、婦人部松阪支区組長は娘さんを四十八歳で亡くしている。前述の三十五歳にしても四十八歳にしても、現代感覚からすると相当の若死にである。いつも言っているように、これが創価学会員だったり法華講員だったりすると罰のレッテルが貼られるわけだ。それはともかく、この記事では総班長の唱導で葬儀が行なわれたと書かれている。儀礼室はどうしたのだろうか?

女子部第百九十七区総班副長の記事でも、父親の葬儀を区長の唱導で行なったと書かれている。

「PSS(系統安定化装置)」の研究開発に成功!

最後に男子部第百六隊班長の記事を取り上げて終わりにしよう。彼は父親の経営する水力発電会社の専務をしているそうである。電力会社は大手がほぼ独占しているのが現状である。そうした中で、くだんの水力発電会社がどれだけの地位を占めているのか興味深いところだが、それと同時に彼自身が会社の中でどれだけの存在感を持っているか、そこも気になるところである。失礼ながら社長の息子であれば、名前だけの専務である可能性も否定できない。

ところがである。上掲に書かれていることは、けっこうな功績のようである。

日本国内では、「日立」「東芝」「三菱電機」「富士電機」「明電舎」という、国内の電機産業を牽引する有名メーカーのわずか五社しか開発しておらず・・・

専門的な話なので詳細はわからないが、ともかく凄いことのようである。どうやら地方の一零細企業が一流メーカーと肩を並べるようなレベルの話らしいのだ。

顕正会もこのような社会貢献のできる人材をたくさん輩出できるようになれば一流なのだが・・・

2019/11/23

モウトウ  
沖浦氏の書き込みで興味深いのは、世界聖教会館、だろう。ちょっと見にはキリスト教系の施設のようにも思えてしまう。ともかくあの一帯は創価学会関連の施設が密集しており、知らない人が訪れれば異様な雰囲気を感じるのではないかと想像する。今は同様のことが顕正会の本部会館一帯にも当てはまるかもしれない。

改めて再治を賜った御師範上人猊下・・・

大沢氏はわたくしの認識が間違っていることを指摘しているごとくである。

日淳上人、日達上人、日顯上人とも御遷化まで御身体は老いても、御心は明晰であらせられました。

なるほど、わたくしの言い様だと、池田氏だってボケちゃっているのだから日顕上人も同様だろう、というような意味にも受け取れる。ゆえに明晰云々と訂正しているわけなのだろう。

自説に執着するつもりは毛頭ないけれども、再治を賜った云々が難しい表現であって、わたくしの印象では日顕上人御自らが積極的に出版に関わったのではなく、出版にあたり御隠尊に監修をお願いしたというような意味にも解することができると思う。

まあ、いずれにしてもこれが現宗門における公式見解であることに変わりはないわけで、それゆえに顕正会としても看過するわけには行かなかったのだろう。

御師範上人猊下

ところでこの表記が気になった。わたくしは御隠尊猊下とお呼びするのが一般と思っているわけだが、御師範上人猊下が普通なのだろうか?

さて、顕正新聞の続きである。

さらに横浜アリーナ大総会における先生の大師子吼に・・・

出た。またしても総合婦人部長である。そして後半には次のごとくある。

 このとき
 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
 の大師子吼を叫ぶのは・・・


このカギカッコは大聖人の御言葉そのままである。つまり、ここでの大師子吼は大聖人の御発言を意味することになる。せめて浅井先生の発言を師子吼にしておけば分相応だったのではないかと思う。ようするに総合婦人部長は、大聖人=浅井先生の、いわゆる会長本仏論を言いたいわけなのだろう。

・・・急ぎ「空位」解消を願うものであります。

御当代猊下を蔑ろにする発言である。

次は副総合婦人部長であるが、めずらしく大獅子吼を使っていない。ただ、自分の父親をどれだけ持ち上げれば気が済むのか、それがわたくしのいつも思うことである。

国家に対しても、ただお一人で全責任を担われ・・・

あくまで彼女の主観ということなのだろう。

宗門の寄生虫・大草一男いよいよ窮地に

五面には法務部長による例のカエリタマエ発言に関する記事が全面に掲載されている。ひじょうに面倒臭い議論であり、われわれヤジウマの立場からすれば、細かい話は抜きにして、結論だけを知りたいところである。上掲に窮地と書かれているけれども、最終的には法的手段を取らないことには埒が明かないのではないかと思う。なぜ、そうしないのだろうか?

この声紋という言葉を初めて考案したのも鈴木松美氏である。

ああ、やっぱり弁護士だけのことはある。ここで初めてではなく始めてを使えば、完全にイカレテいることになるだろう。彼も顕正会で好んで使う始めてが、現代国語的に不適切であることを承知しているわけなのだ。

「周波数特性および当日の録画との検証から、浅井昭衛氏のインターフォン越しの音声を録音したものではないと推定する」と断じた・・・

この部分、ややアゲアシ取りとは思うものの、どうしても取り上げたかった。

推定すると断じた? おかしな日本語である。ようはカギカッコ内が鈴木氏の鑑定書であり、その後ろの文章は法務部長が書いているわけである。鈴木氏は断定していない。あくまで推定なのである。その推定に対して「断じた」という言葉を加えているところが、いかにもヘンなのである。

 鈴木氏は、次のように断じている。

これは後段に出てくる文章で、これ以降はやや長いので部分的に紹介させていただく。

・・・本件音声は、浅井昭衛氏が録音当日に発した音声ではなく、事後的に合成されたものであると推定する」

法務部長ほどの人間が断定と推定の違いを知らないわけがない。おそらくは本人も危ない橋を渡っていることを自覚しつつ書いているのだろう。

事後的に合成された・・・

今はあらゆる技術を駆使すれば可能なのかもしれない。しかし、素人目には相当に高度なスキルが必要であって、もし妙観講がそこまでして捏造をしているとしたら大変なことである。何が大変かというと、とんでもない悪党だということである。

ちなみに本人がアフレコを入れるのであれば、わりと容易にできることである。

今は証拠を示せないのでその点は恐縮だが、実は顕正会でもやっていることなのである。ご存知の人も多いはずだ。具体的に言うと、浅井先生はしばしば言い間違いをする。以前、重要な集会でそれをやらかしたのだ。ところがである。後日のビデオ放映では、その言い間違えた部分が直っていた。当然、アフレコを入れたわけなのだろう。

もし元顕正会員ないし現役顕正会員で会長講演の生音声をたくさん所持している人がいれば、照合するのも面白いかもしれない。

 このことは、他でもない「日本音響研究所」の設立者であり、前所長でもある鈴木松美氏が、次のように明言している(なお、現所長である鈴木創氏は、松美氏の御子息である)。

前々回の拙稿で書いたごとく、実にわけのわからない話である。ごく単純に、松美氏はなぜに前職を辞して別法人を立ち上げたのか、通常、子息に後を譲ったのであれば事実上の引退であるはずなのだ。それにもかかわらず新たに別の研究所を設立する理由がわからない。

当該記事についてはこんなところで終わりにするが、最後に一つだけ引用しておこう。

 いま「学会崩れ」の大草は・・・

法務部長は親が顕正会員の、いわば純粋培養の二世会員である。ゆえに気がついていないのかもしれないが、この学会崩れは創価学会から顕正会へ移籍してきたであろう相当数の人たちを傷つける言葉である。もちろん気にしない人もいるだろう。だが、気にする人も少なくないはずである。ああ、自分はそのように見られているのか、ガッカリだな、と。

こうした点に配慮が至らないところが、顕正会の未熟なところである。いわば浅井先生が未熟なのだ。人間、死ぬまで修行ということなのだろう。

2019/11/21

ザントウ  
前々回のコメント欄には浅井先生と大草氏の電話でのやり取りが克明に記されている。労を厭わず書き起こし作業をされた大沢氏には感謝申し上げたい。

平成元年の電話会談は当時妙観講が作成したビデオに収録されており、わたくしもネット上の動画サイトで拝見していた。このことは過去の拙稿でも取り上げているわけだが、今回はいわばリメイク版のような形で新しい動画が発表されたのである。しかもそれは増補版だった。

今回の動画でわかったことは、あの電話会談がかなりの長電話だったことである。

かつてのビデオに比べると何倍もの長さになっている。しかも告訴云々のやり取りが今回の動画には含まれていないことから推測すると、実際にはもう少し長い電話だったことになりそうである。

さて、これを顕正会員たちはどのように受け取るだろうか?

大沢氏も音響研究所のことに触れているが、かつての電話会談は今現在問題となっているカエリタマエ発言の真偽にも通ずる話である。わたくしの勝手な印象だけで言わせてもらうと、妙観講側には捏造する動機がないと思う。例の電話会談を聴けば、わざわざ捏造する必要などあるはずもないのだ。それとも電話会談すらも捏造と言うつもりだろうか?

そこで顕正新聞第1489号の話題に入るわけだが、第一面の総男子部長の記事から取り上げよう。

 このような反社会的行為を平然と行う「法華講大講頭」を跋扈跳梁させていること自体、宗門の不見識・非常識を物語る・・・

前回も言わせてもらったが、こんなことを顕正新聞紙上で繰り返したところで意味はないだろう。もしそれが反社会的行為であるならば断固とした手段を講ずるべきである。そのために法務部があるのだろう。

これより残党処理が一気に進む・・・

やや余談めいた話になることをお許しいただきたい。ジャフメイトという雑誌がある。その最新号の冒頭に興味深い記事があった。

・・・幕府の禁教令により宣教師不在となった後も、約250年間、自ら信仰を継続。彼ら潜伏キリシタンは、1865年、開国後に来日した宣教師に信仰を告白したことで“発見”され、再び宣教師の指導下に入る者、禁教時代の独自信仰を継続する者(かくれキリシタン)などに分岐・・・

いつもながら不勉強のわたくしは潜伏キリシタンという言葉を知らなかった。この記事の説明では独自の信仰を継続する人たちをかくれキリシタンと呼ぶごとくである。わたくしは潜伏キリシタンを隠れキリシタンと認識していた。

それはさておき、ひじょうに興味深い話である。まさに今の顕正会が禁教時代の独自信仰に相当するわけで、このまま数百年も経てばまったく異質の信仰になってしまうだろうことが想像されるわけである。やはり戻るならば急いだほうがいいだろう。

新仙台会館いよいよ竣工

二面に立派な写真が掲載されている。十一月三日にオープンと書かれているので、すでに運用されているのだろう。

さて、同じく二面には三人の記事がある。いずれも副総男子部長の肩書きが付いているので、誰が誰だかわからない。

二万人の大総会における先生の大師子吼・・・

これは男子部のナンバーツーと思しき人物の発言である。平成二年、横浜アリーナで開催された大総会のことを云々しているわけだが、そこでの浅井発言を例のごとく誇張表現している。まったくケシカランことである。

ちなみに彼はまだ当時、顕正会員ではなかった。それがここまで出世したわけである。それだけの実力があるということなのだろう。

 何より本年二月、「国立戒壇」を否定する悪言が掲載された講義本を「日顕上人御指南編集委員会」の名義で発刊させるという魔の執念・・・

上掲の発言は壮年部出身の副総男子部長である。もちろん彼だって男子部時代があったはずであるが、わたくしの記憶には残っていない。かなり若い時から壮年部員だった印象なのだ。

それはさておき、上掲が気になるところである。もちろん日顕上人の講義であるから、上人に責任がある。ただし、くだんの書物が日顕上人の指示・意向で出版されたのかどうか、わたくしはそこに疑問を感じている。
なぜこのようなことを書くのか説明すると、ようは池田大作氏に対する顕正会の態度に似ているからである。最近はあまり言わなくなったが、少し前までは何か謀略めいたことがあると、すべて池田氏のシワザのごとく言っていたのである。ところが氏は今現在、病気のゆえかまったく表舞台には出ておらず、物事の判断・決済をするだけの認知能力にも欠ける状態と見られているのである。ゆえに顕正会では生ける屍と言っているわけなのだろう。
同様のことが日顕上人にも当てはまるのではないかと思う。生ける屍かどうかはわからないが、結果的には御遷化のおよそ半年前に相当する時期なのである。ゆえに上人が直接的に出版に関わったとは考え難いのではないか?

もう一文引用しておこう。

先生の大師子吼に、諸天の働きの急なるを感じては・・・

あらまあ、アンタもかよ!

そして残る副総男子部長だが、彼は顕正新聞の発行人である。その意味では上述の二人の記事を含めて、紙面全体の責任を背負っていることになるだろう。彼の記事そのものは、今回はとくにメボシイところはなかった。

総合女子部長のオトボケぶりも紹介しておこう。

 と明かされたその瞬間、大衝撃が五体を貫き・・・

ようするに九月度総幹部会の会長講演の中に日顕上人の御遷化を云々するくだりがある。そのことを言っているわけである。本当にそれまで知らなかったとすれば逆に驚きである。総合女子部長がこのテイタラクでは女子部員のほとんどが知らなかったことになるかもしれない。実に盲目的である。

無言を貫く早瀬管長の頭越しに、大聖人様が厳たる御裁断を下されたこと・・・

まず、九十六歳の年齢からすれば、そこに何の不審もないわけであって、厳たる御裁断は言い過ぎだろう。それから御当代猊下が無言を貫く云々は、ある意味では一貫不変のことである。ようは顕正会のことを無視している、無視し続けている。黙殺していると言い換えてもいいだろう。

すると、実は何の進展もないことに気がつかねばならないのだ。

御隠尊が御遷化あそばされたことは年齢的に不審はない。顕正会が勝手に都合よく解釈しているに過ぎない。ゆえに今回の直諫なるものの本命は、日如上人が国立戒壇を言うか言わないかなのである。それが成就しなければ直諫は失敗だったことになる。そこが顕正会員たちはわかっていないのだ。

・・・阿部日顕が「入阿鼻獄」の悪相を現じたことは疑いなしと、思わずにはいられませんでした。

思うのは勝手だが、口にしちゃダメだろう。

しかし、彼女はまだカワイイほうなのかもしれない。何しろ動画サイトに音声が出てしまっている男子部幹部の指導なるものは、思うとか思わないのレベルを遥かに超えてしまって、オオボラを吹いているからである。

前にも同じことを書いたはずだが、彼のオオボラを顕正新聞紙上に載せられるかどうか、そこが最大のポイントだろう。わたくし自身は今こうしてオオボラと書いてしまっているが、実際にはそれがウソかマコトか知っているわけではない。ただ単純に、裏でオフレコ的にあることないこと言っている点がすでにしてウサンクサイわけであり、ゆえにしょせんはホラ話なのだろうと高を括っているわけである。

今日はこんなところで終わりにしたい。

2019/11/19

タマムシイロ  
沖浦氏からさっそくの返信があった。多忙の中、わざわざ時間を割いてくれたようで、かえって恐縮である。今まで通り、時間に余裕のある時にでも、ゆっくり投稿していただければと思う。

さて、顕正新聞の続きである。

大草一男、先生の音声を捏造して公開
 「音響研究所」鈴木所長の分析で「合成」判明


「寄生虫」の断末魔見て「最終章」実感

法務部長の藤村雄大氏が「宗門の寄生虫・大草一男の最近の謀略」と題して登壇している。その見出しが上掲である。

 しかし、この「日本音響研究所」の設立者であり、前所長でもある鈴木松美氏によれば・・・

世間知らずのわたくしは読んでいてわけがわからなかった。

ようするに日本音響研究所と音響研究所があるのだ。妙観講では前者に音声分析を依頼し、顕正会では後者にそれを依頼した。では二つの研究所の関係はどうなっているのか、そこがひじょうに興味深いところだが、ご覧のごとく、音響研究所の所長は日本音響研究所の前所長らしいのである。しかも後の顕正新聞にその旨の記述が出てくるわけだが、日本音響研究所の現在の所長は鈴木創氏であり、名前の示すごとく、二人は親子なのである。当然、ネット上では親子の確執みたいなことが書かれていたり、あることないこと、いろいろなことが書かれている。ゆえに少しばかり読みかじったくらいでは何とも言えないところである。

そこでわたくしはまったく別の視点から意見を言っておきたいと思う。

法務部長はなぜに法的手段を講じないのか、である。結局、この後の顕正新聞を読んでいても、ようは紙面においてああだこうだ言っているだけなのである。この件はどちらかがウソを吐いていることになるので、基本的に玉虫色の決着はあり得ない。必ず白黒がハッキリする話なのだ。

例えば、である。

当日、その時間に浅井先生は不在だった。ゆえにカエリタマエ発言はあり得ないし、だとすれば妙観講側が捏造したとしか考えられない、というのが顕正会側の主張である。
ならば、いちばん手っ取り早い話は、浅井先生がどこへ出掛けていたかを開示すればいいのである。常識的に考えると、浅井先生が行く先はほぼほぼ限定される。世間一般の人のように、買い物に出掛けることは考え難い。わたくしが思いつくのは病院くらいである。
いや、病院にしても普段は行かないのだろう。来てもらうのだ。ようは往診である。しかし、往診だけでは間に合わない場合もあるわけで、精密検査であるとか、手術であるとか、そのような場合はまさか自宅でやるわけには行かないだろうから、どこかの病院へ出掛けるはずなのだ。

以上、病院は勝手な想像に過ぎないけれども、病院に行っていたという事実を公表するだけでも相当なものだろう。

さて、次は第十八男子部長の記事である。

残る阿部日顕・大草一男の亡びも近づいていること・・・

おわかりだろうか、九月度総幹部会は九月二十五日に行なわれているので、日顕上人の御遷化についてはすでに既知のはずなのだ。あるいは顕正会員は世間一般の情報には疎いので、知らなかった可能性もなくはないが、まあ、知らないわけがあるまい。ようは一種の忖度である。この後、会長講演で言及されることを見越して、自分が先に言ってしまったらマズイというふうに幹部たちは考えるわけである。

しかし、マヌケな話である。窮屈な組織と言ってもいいだろう。引用は控えるが、男子部第十二総部長の記事も同様である。

正信会明行寺高合住職が率直に胸の内を吐露
「宗門は早く浅井さんと話し合い一体になるべき」


第十男子部長の記事に付された見出しである。ことに下段はすぐにでもツッコミを入れたくなるセリフである。オマエはどうなのかと。

残念ながら正信会僧侶の発言は説得力に欠ける。ゆえに現役の正宗僧侶の発言が求められるところである。

日達猊下も『阿部や早瀬はダメだ』とボヤいていたと聞いている。

このセリフがまさにそうである。高合住職が直接聞いたのではなく、誰かから聞いた話なのだろう。それを第十男子部長がしゃべっているのである。

ことに阿部においては、日達猊下が亡くなる一・二年前になると明け透けに管長の座を狙っているかのごとく、日達猊下に取り入っていたと聞く。

これも同じである。自分が直接目撃したのではなく、間接的に聞いた話に過ぎないのだ。

しかし、逆に考えるとひじょうに重要な証言かもしれない。まず、日達上人が御遷化されるかどうかなど、凡夫には誰にもわからない。ゆえに亡くなる一二年前云々は結果論に過ぎない。むしろこの時期は両者の関係が険悪になっていたとの見方があって、ゆえに相承などあり得ないと顕正会でも言っているわけなのだ。ならば高合住職の証言は、むしろ御相承を立証する材料にもなり得る性質を持っていると言えるだろう。

阿部は苦労知らずでバカだから、周りが全く見えていない

これも重要な証言だ。

顕正会員たちはバカだから、この文面をそのまま読むわけなのだろう。しかし、まったく逆である。もし周りが見えず、明け透けに日達上人に取り入っていたとすれば、池田大作氏の心証を悪くすることは必定である。つまり、これは今現在の顕正会の見解を覆す話なのである。当時、宗門内では日達上人の後を継がれるのは阿部信雄師だろうとの見方が一般だった。ならば宗門と創価学会の関係がこじれてしまってどうしようもない状況の時、真っ先に猊下をお守り申し上げる姿勢を示すことは至極当然のことだろう。また、同時に創価学会との関係修復のために水面下で尽力されたとしても、不思議はないだろう。それを悪意のある人物たちは、裏で通じている、というような解釈をするわけである。

 「誰とは言えないが、この寺にたまに来る宗門僧侶が、『やはり今の宗門はおかしい』と言っていた」

そもそも正宗僧侶が正信会寺院に何をしに行くのか、そこが問題である。ゆえにまったくのホラ話の可能性もある。いずれにしても、日達上人時代の「聞いている」や「聞く」にかなり雰囲気が近くて、ここは信憑性に欠ける部分かもしれない。ただ、正宗僧侶の中に現宗門に不平不満を懐く人間がいても不思議はないので、具体的にどこがどうおかしいのか知らないが、宗門の首脳部は真摯に受け止めるべきだろう。

他にも興味深い記事がいくつかあるけれども、やめておこう。最後に婦人部岡山支区班長の記事から、ちょっとだけ引用して終わりたい。

二〇年代の決戦場までに・・・

思えばここ一年くらい、このキーワードばかりに注目してきた。例えば、明日の正午までに、と書けばアイマイさはない。お昼を過ぎたらタイムアウトである。ところが上掲の場合、ひじょうにアイマイであり、具体的な年月日がまったく不明なのである。

そこで浅井先生にプレッシャーを掛けておこう。

さて、来年からは何をどのように表現するつもりなのだろうかと。まさか二十年代に突入して、そこでもまったく同じフレーズを使い続けるわけには行かないだろう。

2019/11/18

サンバイ  
このところの沖浦氏は元気がない。もちろんわたくしの勝手な印象に過ぎないが、そんな気がしてならない。以前のような覇気のある沖浦氏を見たいものである。

池田氏の消息を伝えるコメントが寄せられた。九月二十八日付の聖教新聞に写真が掲載されているらしい。問題は自力で歩けるのか、しゃべれるのか、というようなことどもだろう。その意味で動画が公開されるといいのだが、それはたぶん無理なのだろう。

久々に大沢氏からコメントが寄せられた。かなりの長文であるが、そこから一文だけ抜き取らせていただく。

さて、顕正会が把握しているという、いくつかの業者に死に化粧を依頼し・・・という情報の真偽は如何?

まさに悪質なクチコミ指導である。これは顕正会男子部のナンバーツーと思しき人物が内部で触れ回っているネタであるが、わたくしの思うに、真相云々の問題以前にいわば陰口をたたいているという姿勢そのものが大問題と言わざるを得ないところである。

かつてバケツ三杯のオオボラを吹いた人物がいた。わたくしの記憶が確かならば顕正新聞や冨士にはそうした記述はまったく存在しないはずである。つまりは悪質なデマである。

こうした悪しき体質は今も昔も変わっていない。それが顕正会の実態ということになるだろう。

さて、九月度総幹部会における会長講演の続きである。今日は気になった箇所を順番に拾って行きたい。

誓願比で五四%です。

会長自らがノルマを云々しているところがイヤラシイ。

 「誑惑久しからず」

この小見出しから始まる一段、アゲアシ取りながらも言いたいことがある。

 さて、昭和三十九年以来五十余年の長きにわたった「御遺命破壊のたばかり」も、いよいよ最終章になってまいりました。

何となく矛盾しているような気がしてならない。ようするに誑惑は責めるものがあれば忽ちに崩れるはずなのだ。それにもかかわらず半世紀以上もの歳月を費やして今頃になってようやく最終章を迎えたと言うのだ。ぜんぜんダメじゃん、ということである。

三日後の御虫払法会において正義を述べる旨を約束し、その約束を守られた。

これが不審である。わたくしの記憶が確かならば約束云々はこれまで一度も明かされていない新事実ということになる。ゆえにこの件は単に浅井先生の記憶違いと思われるが、いかがだろうか?

 阿部はここで池田大作の寵愛を得て将来の出世を=\―と夢見ていたのでしょう、

悪意丸出しの文章である。

ようするに日顕上人が教学部長時代に書いた二書について云々しているわけなのだが、確かにその内容には問題がたくさんあって、後年、上人自らが反省の意味を述べておられる。しかし、寵愛云々はどうかと思うところで、当時は日達上人自体が国立戒壇否定の方向性を打ち出していたわけだから、その意味では何の不審もないことになるのだ。早い話が猊下の意向に従っただけのことであり、池田云々は関係ないのである。いや、もちろん、まったく無関係と言い切るわけには行かないのだが、浅井先生の場合はそちらをメインのように書いてしまっている。まさにそこが問題なのである。

彼は池田大作のお庭番だったのです。

これも日顕上人のことを言っているわけだが、話はそんなに単純ではないだろう。

昭和四十年代、宗務院の総監だったのが御当代猊下の御尊父であり、日顕上人は教学部長だった。いわばこの二人が宗門と創価学会のパイプ役だった。創価学会側にも同様の人物がいて、その一人が山崎正友氏だった。つまり、彼らは水面下でさまざまの交渉をしてきたわけであり、その一部始終を知ることは不可能である。その後、日顕上人と山崎氏とが相反し、さらに後年、二人は和解することになるわけだが、そうした表面上のことは知ることができても、その深層部分はまったくわからない。ゆえにそれぞれが自分たちに都合のいいように話を組み立てている。しょせんは浅井先生のやっていることもその範疇に過ぎないのである。

それまで、「空位」が続くというだけのことです。

まったく何を言っておるものかと思う。御当代猊下を否定するような発言である。以前には優柔不断などと言っていた。単に相手にされていないだけの話である。逆に言うと、相手にしてもらえないので過激なことを言って注意を惹こうとしているのかもしれない。

 察するに、このとき阿部は「このまま池田にへつらっていたら、自分の将来が保たなくなる」と思い詰めたと思われる。

下衆の勘繰りも甚だしい。

いや、正確にはやはり悪意丸出しと言わざるを得ないところで、かつての浅井先生ならばもう少し違った書き方をしたはずなのである。ようするにポジティブな解釈をするならば、浅井先生の諫暁書に触発されてわずかならも正義に傾きつつあった、というような感じになるはずなのだ。ところがそうは書かず、あくまで自己保身に汲々としている人物だと思わせたいがためなのだろう、自分の将来が云々、としているわけである。

    小生はただ謹んで・・・

この字下げが悩ましい。大聖人を持ち上げるために自分を下げている。その意図は読み取れるものの、はたしてそこまでする必要があるのかが疑問である。

 だが彼は、その後も隠然たる力を保って院政を企て、早瀬日如管長を監視するごとくであったという。

・・・ごとくであったという。

この書き方は何かしらの情報を元に書いていることになるだろう。その情報源を開示すべきである。勝手な想像で書いているとしたら最悪である。

 やがて中国は必ず台湾を制圧する。そのとき日本の尖閣諸島にも必ず侵略の手が伸びる。

よく言えば一貫不変である。しかし、委細に見れば問題発言だろう。今は記憶だけで書くが、過去にはいつまでに侵略するであろうみたいなことを繰り返し言っていた。ところがその予言めいた発言はことごとく外れているのである。

 この大聖人様の師子吼を・・・

これは幹部連中に言いたい。大聖人は師子吼で浅井先生は大師子吼? それでいいのかと。

2019/11/13

シュクシュ  
今日は顕正新聞第1488号すなわち特集号シリーズ第六弾を読んでいくが、その前に一学会員氏のコメントに触れておこう。

彼女はその日仕事でしたが池田先生が来る事を聞き 仕事を休んで会合の司会をしました 会合の途中その事を知った池田大作はその女子部に対し すぐに仕事に行くように叱りつけました

前回、仕事を蔑ろにする顕正会員の記事を紹介した。おそらくはそれを踏まえてのことなのだろう。上掲のようなコメントが寄せられた。しかし、ご覧の部分だけでもわかるように、池田先生と池田大作という二つの表記が混在している。創価学会員が池田氏を呼び捨てにすることは考えられない。すると一学会員氏はいわゆるナリスマシなのかもしれない。だとすると、わざわざ拙ブログへコメントすることの目的は何なのだろうか?

「国立戒壇」否定の謀りもついに最終章

大聖人は御遺命破壊を断じて許し給わず
偽戒壇・正本堂は崩壊、五悪人も相次ぎ亡ぶ


当該号は九月度総幹部会の模様を伝えている。上掲は第一面の見出しである。そして次が二面から始まる会長講演の見出しである。

大聖人は顕正会をして諫暁せしめ給う
諫暁のたびに宗門と学会の抗争起こる
阿部日顕追放は大聖人様があそばされた


浅井先生も最終章のようである。ここまで狂ってしまえば、もはや後戻りは不可能である。いや、正確にはとっくの昔に後戻りできなくなっているわけだが・・・

五悪人も相次ぎ亡ぶ

再掲であるが、これがすでにしておかしいのである。

一般的な感覚だとどうだろう。十年くらいの間に家族が次々に亡くなれば、まさしく相次ぎ亡くなるという表現が相応しいかもしれない。しかし、上掲の場合はあまりにもスパンが長過ぎるのである。相次ぎなどとはとうてい言えないだろう。

日達上人は七十七歳で御遷化である。これは当時の感覚からすると、それほど若死にでもない。むしろイチャモンをつけるほうがおかしいのである。

山崎正友氏は七十歳代の前半で亡くなった。確かに現代感覚ではやや若死にの印象が拭えないけれども、顕正会員だって病気事故などで早逝される人がいるわけだから、とやかく言えた義理ではないだろう。

そして問題は日顕上人のことである。

 その阿部日顕は、五日前の九月二十日早朝、死亡した。長きにわたって国立戒壇の御遺命に敵対し、猊座を退いたのちも院政を布いていたこの悪人が、いま命終したのです。
 私は、大聖人様が宗門追放して下さったのだと、深く拝しております。


もはや救いようのないバカである。

日顕上人は九十六歳で御遷化された。これは平均寿命の延びた現代においても相当の長寿であり、まったくケチのつけようのないことなのだ。しかもである。宗門追放などとウソを言ってしまっている。本人にウソの自覚がないとすれば、ようは狂っているのだろう。

わたくしは宗門の人間ではないので詳しくは知らないが、日顕上人の葬儀は総本山大石寺で行なわれたはずである。追放されたのが事実であれば、本山で葬儀が行なわれるわけがないのである。

むしろ宗門追放されたのは他ならぬ自分自身であることに気がつかねばなるまい。それも遥か昔のことである。

 また「寄生虫」たる大草などは、宿主を失えば自然消滅するだけです。


大草氏は六十代の半ばと思われる。浅井先生よりも遥かに若い。病気事故など、よほどのことがない限り、順番的には浅井先生が先に逝くことになるだろう。

ちなみに会長講演では当然ながら池田大作氏のことにも言及がある。いわく、生ける屍、と。まだ亡くなってはいないものの、死んだも同然であると、そういうニュアンスを言っているのだろう。

こうしてみると、浅井先生の言っていることがいかにデタラメであるか、よくわかるのではないかと思う。

日達上人の御遷化は当時の平均寿命からしてさほど問題を感じない。むしろ今も健在だったら驚異的である。山崎正友氏の場合は個人差の問題である。日顕上人は実に御長寿だったわけで、何の問題もない。追放されたわけではないのだ。
ところがである。大草一男氏に関しては死ぬ死なないではなく、事実として宗門から追放されることを云々しているような感じなのである。
その意味で言えば、池田大作氏が生ける屍かどうかは問題ではないはずだろう。すでに氏は宗門から追放されて久しいのである。

以上、五悪人を並列的に扱って、あたかも相次ぎ亡んだかのように言うのは、ただ単に都合よく解釈しているだけの話であって、事実は上述のごとくである。

今日はここまでにしたい。次回も会長講演を取り上げるつもりだ。

2019/11/9

シンカクカ  
顕正新聞の続きである。男子部第三十六隊支隊副長の記事には、妙観講員の次の発言が紹介されている。

 「日達猊下が御遺命を間違えたことは認める。だからあのような亡くなり方をされたのだ。因果の道理に裁かれたのだ」

これが事実かどうか、気になるところである。

婦人部山城支区部長の記事には、一組長の次のような発言がある。

 さらに、仕事中心であった一組長も、「こんなことをしている場合ではない」と、仕事を休んで・・・

相変わらずのバカさ加減である。

女子部第二百十九区長の記事には、かつて創価学会員だった人物の興味深い話が紹介されている。

今から四〇年ほど前、「学会の御本尊は偽物に変わった」と聞き、学会を脱会した・・・

わたくしもそのような話をどこかで聞いたか読んだかしたような記憶がある。丁度その頃のことだろう、宗門の許可もなく勝手に紙幅本尊を板本尊に作り替えたという事件があったので、あるいはそのことを言っているのかもしれない。

では、顕正会はどうか、である。

言うまでもなく、ここ十年から二十年、相当の人数が宗門へ移籍している。その最大の理由が本尊問題である。彼女はそれを知らないのだろうか?

衛護隊としては分隊長・・・

男子部第百六十八隊支隊副長の記事である。上掲を読んでいて思ったことがある。最近の顕正新聞は芙蓉茶寮の特集記事すらやらなくなった。会長講演を除けば、あとは各種の登壇記事をひたすら貼り付けるだけの単純作業に終始している。たまには変わったことをやるべきだろう。

その一つの提案として、顕正会全体の組織図を作ったらどうか、と思う。それを顕正新聞に掲載するのだ。これは壮観だろう。一面では収まらず、二面を使うことになるかもしれない。

まあ、しかし、やたらとポストが多いわりには兼任ばかりで、実態はスカスカということがわかってしまうかもしれない。イヤミが過ぎただろうか?

「まだか!間に合わなくなる!自分が全責任をとるから、すぐに手術を開始する!」

男性婦人部員が急性心筋梗塞で命を落としそうになった時の話である。まるでテレビドラマのシーンみたいだ。

手術の承諾書がないと執刀できないのは理解できる。ただ素朴な疑問は交通事故などの場合はどうなのかである。一刻を争う事態の時でも同意書がないと手術をしないのだろうか?

女子部第百三十九区総班長は父との確執があって、約七年間も車中生活を余儀なくされたという。

 その後、結婚し、マイホームを建て、娘も授かり、車中生活から一変・・・

早い話が家を追い出され、結婚するまでの間は車中生活をしていたわけである。しかし、素朴な疑問は、なぜにアパートなどを借りて生活しなかったのか、である。トイレだの風呂だの、現実的に不便極まりないはずなのに、である。

婦人部愛南支区の平会員はかつて創価学会員だった。

 学会女子部に移ってよりは、折伏・選挙活動、時には一ヶ月ほど仕事を休んでまで、高知県の学会員宅に滞在して活動したこともありました。

まず、一ヶ月の休職が不審である。そんなことが許されるのだろうか? さらに、愛媛県の創価学会員がわざわざ高知県に行って、一ヶ月もの間、何をするのだろうか?

男子部第七十隊支隊長は昭和五十六年の入信である。こうしたベテラン会員が残っているのは希少だろう。問題は次である。

 と大師子吼されました・・・

今となっては懐かしい第一回・武道館大総会であるが、彼はそこでの浅井発言をダイシシクと表現しているわけである。

ちなみにわたくしは第一回のそれには参加していない。第二回にも参加していない。顕正会との邂逅はその直後のことだからである。ゆえに参加はしていないものの、当時の先輩たちから話は聞いていた。ゆえに懐かしさを感じたりもするわけである。

その上でハッキリ言えることは、さすがに今ほど神格化されていなかった。ゆえに大獅子吼などという表現も当時は存在しなかった、ということである。


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