2008/4/21

短気は損気  
ウィンズ氏からコメントを頂戴するのは、かなり久しぶりのことだと思う。それにしても奇妙である。おそらく、ウィンズ氏の思っている「のび太氏」と、わたくしの書いた「のび太氏」は、別人なのだろう。そうでなければ、ツジツマが合わないのだ。

確かウィンズ氏は携帯からの閲覧だったと思うので、正信掲示板を確認していないのだろう。

なぜ日顕宗と呼ぶのか? のび太 2008/04/18 23:32

日付を確認されたい。つい先日の投稿なのだ。まさか幽霊ではあるまいし、別人としなければ、他に説明がつかないと思う。ましてや内容が内容である。

創価学会員が、なぜ日顕宗と呼ぶかというと、平成3年7月31日に顕師と能化による次のような発言があった。

「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊授持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。
したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。」

この変節が法主信仰の始まりであった。


(中略)

要するに現在の宗門は、本門戒壇の大御本尊と血脈相承と歴代上人を一体と解釈する”三位一体説”の邪義が蔓延っている。

しかも最後には法華講員の樋田氏を皮肉る意味のことが書かれているくらいだから、明らかに別人である。

さて、ちょうど一週間前の拙稿では、顕正会がらみの裁判について憶測を述べた。すると昨夜遅くに、次のようなコメントが寄せられた。

もう一つの裁判とは借地にタワーを建てたことでもめてるんですか?

わたくし自身は何も知らないので、前述のごとく憶測を述べているだけに過ぎないのである。ゆえに、問われても困る、というのが正直なところだ。

この際、またしても勝手な憶測を書かせてもらうならば、タワーくらいで裁判になるとは思えない、ということである。

ご存じない人のために、簡単に説明しておこう。本部会館の隣接地に二十年契約で三階建てのビルを借りて、それを青年会館と称して使用していた。借りてから数年後、百万達成の折に、看板を立てたのだ。それは看板であると同時に記念碑も兼ねていた。ゆえに通常の看板とは違って、ずいぶんと立派なものだった。これを顕正会では大標識タワーと呼んでいたのである。
借りている間は、借りている側にある程度の裁量があると思う。ましてや長期であれば、なおさらである。ゆえに看板を立てたくらいで、それが裁判になるとは思えない。けれども、もしかしたらオーナーが何かしらの苦情を言った可能性はあると思う。たとえば、顕正会側が何の断わりもなしに看板を立ててしまったとか、そのような場合は確かに文句を言われても仕方がないだろう。しかし、それも話し合いであるとか、お金であるとか、解決方法はあるはずで、それが裁判になることは考え難いことである。

ここで大胆な想像を書けば、オーナーは相談なしに勝手に看板を立てられたことに腹を立て、断じて認められない、看板を撤去せよ、と言い続けていたのかもしれない。浅井先生はしばらく辛抱していたが、ついにキレてしまった。逆ギレである。そこで、看板だけ撤去するのは格好悪いので、いっそのこと契約を破棄してしまえ、ということになったのではないか・・・
いちおうは体裁を繕って、耐震強度の問題を理由にしているが、真相はこんなところかもしれない。

いかにも浅井先生らしいではないか?

仮に顕正会の抱えている裁判というのが旧青年会館がらみだとすると、二十年契約を一方的に破棄したことへの損害賠償ではないかと思われる。早い話が浅井先生の、逆ギレのツケということだ。

瞋るは地獄

折伏理論書にも出ているはずだ。

いずれにしても、今日の話はあくまで勝手な想像に過ぎないので、そこを誤解なきように願いたい。

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