2008/4/25

大局的フォローの必要性  
今朝までに、種々の忌憚のない意見が寄せられた。

アキラ氏の短いコメントにはけっこう唸らされた。慰労の意味というのは、なるほど、そうかもしれないと思ったが、わたくしは別の意味もあるだろうと考えている。悪い言葉を使えば、洗脳の意味である。

音楽には不思議な力がある。若い頃にはミュージシャンになりたいと、そのように思っていた人も少なくないだろう。そこまで行かないにしても、音楽鑑賞が好きな人はたくさんいるに違いない。逆に音楽が嫌いな人はあまりいないと思う。
批判を恐れて今まで書いたことがなかったけれども、わたくしはゴスペルを聴いてもけっこう感動したりすることがある。
謗法だ、汚らわしい、などと思う人がいるのは承知している。ことに顕正会には多いだろう。
けれども、わたくしの場合、外国語で歌われていればまったく意味を解さないので、純粋にメロディだけを聴くことになる。すると、やたらと心地のよいメロディだったりする。素直にいい曲だと思う。
のちにそれがゴスペルであると判明すれば、一瞬はギョッとする。だが、それでもなお、それが心地のよいメロディであれば、わたくしの評価は変わらない。

おそらくキリスト教では音楽そのものが宗教に組み込まれてしまっているのだと思う。それが最初からなのか、あるいは途中からなのか、その辺の詳しいことは知らないけれども、人々を虜にするというか惹きつけるための有効な手段なのだろう。
これを利用しない手はない。誰もがそう思うはずである。ゆえに顕正会でも、わりと熱心に取り組んでいる。純和風のものから洋楽に至るまで、けっこう幅広いジャンルの音楽が採用されている。
確かに、山門入り口氏の指摘するように、創価学会のマネをしている面は否めない。だが、さらに大きく見れば、創価学会も既存の宗教のマネをしているのだ。

仏教にしても宗派によっては読経に節まわしをつけているわけで、そこには一種の音楽的効果があるのかもしれない。

いずれにしても、音楽には不思議な力がある。人を癒しもするし、勇気づけることもできるのだ。大聖人の御指南を拝する限り、それが謗法に相当することはなさそうなので、大いに楽しむべきであろう。

アキラ氏の書いた慰労の意味というのは、そのとおりなのだろう。ここではあえて「癒し」という言葉を使わせてもらうが、わたくしは思うのだ、音楽に癒しを求めることはけっこうなことである、それを否定するつもりはない、だが、そもそもは信仰そのものが究極の癒しではなかったのか、ということをである。

ところが顕正会では癒されない。むしろ、人によっては傷つき、ボロボロになって脱落していくのだ。ある意味では、これが最大の矛盾だとも言えるだろう。

いや、もちろん、

御義口伝に云はく、妙法蓮華経を安楽に行ぜん事、末法に於て今日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べきなり。

こうした御指南がある以上は、甘ったれたことばかりは言っていられないのだが・・・

けれども実態に即して考えるならば、本来は宗教的に癒されているからこそ、どのような大難が襲って来ようとも、泰然自若としていられるわけだろう。ところが顕正会の場合は、組織の内部においてさまざまの葛藤があり、苦悩している場合が少なくないのだ。
つまり、外に折伏に出れば、思いっきり反発を受けるし、それで成果が上がらなければ先輩たちから責められるのだ。踏んだり蹴ったりである。
もっとも、それでいて安楽の境地でいられるならば、それこそ本物なのだろう。

さて、

大局におけるフォロー

サイトウ氏からは貴重なご指摘をたまわったけれども、その肝要は上掲の言葉に尽きていると思う。結局、ねぎらいの言葉などというものは、口先ではいくらでも言えるのだ。もちろん、さしあたっては言葉でしか伝えることができないわけだが、それを繰り返しているだけでは、空しくなるだけである。

また、言葉を重んじるのであれば、先生はさまざまの問題について、説明責任をはたさなければならないだろう。

2008/4/26  12:18

投稿者:瑠璃堂
自分の現役時代の感覚でいうと、顕正会の演奏会や文化祭の類って、
“癒し”というより、御奉公の延長だったと思いますけどね。端から見てるだけ聴いてるだけならともかく、真面目な活動会員たちは、その日に折伏や指導がなければ半強制的に練習所に集まって、開催日当日を迎えるまで、毎日毎日、夜遅くまで練習、練習なワケですから。

当時の組織では、「演奏会や文化祭といえど大聖人様はそのすべてを御照覧である、顕正会の異体同心と信心の赤誠を浅井先生にご覧頂こう。」なんて指導もされてましたね。私も含め、当時はその指導を信じて自発的に励んだ会員がゴマンといたのですから、その意味では洗脳というより、マインドコントロールという解釈が近いのでは、と思います。

2008/4/25  23:35

投稿者:アキラ
確かに洗脳の意味も大きい。登壇よりも先に演奏を延々とやることで無条件に顕正会は正しいと思わせる力がある。要は現実から引き離す狙い。

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