2008/8/8

熱中症に、ご注意  
各方面より種々のコメントを頂戴して恐縮であるが、いつものことながら一々のご挨拶は省略させていただくことにする。

法華題目抄の解釈は、旦氏のコメントどおりだと思う。一日に題目を六万十万千万等も唱えていたら、念仏を唱える余裕などありやしないわけだから、実質的には念仏を否定しているに等しいのだ。六万遍から十万遍くらいならば可能かもしれないが、千万というのは物理的に不可能に違いない。こうして見ると、もはや完全否定と言っても差し支えないくらいである。

ところで、わたくしが御書に精通しているというのは誤解であって、どちらかと言えば、スリハンドク状態である。わりと御書を読んでいるほうだとは思うが、次から次へと忘れてしまうので、困っているのが真相である。そうした中で、たまたま運よく頭の片隅に残った御文をブログに載せているに過ぎず、ヘタをすると、過去に自分でブログに書き出した御書すら、すっかり忘れてしまっている場合もあるくらいなのだ。

ようは自転車操業みたいな感じで、常に拝読をしていないと、瞬く間に頭の中がカラッポになってしまう。だから、なるべく時間のある時には御書を開くように心掛けてはいるけれども、現実にはボケッとしている時間のほうが圧倒的に長いのである。

さて、今日は引き続き、顕正新聞の第1108号からである。四面には六月度班長会における登壇が載っているが、次の文章は男子部長である。

 また先生は、元公明党委員長の矢野絢也が創価学会と幹部七名を相手取って損害賠償請求の訴えを起こしたことを明かされました。

矢野氏を呼び捨てにしているのも気になるところだが、わたくしはまったく別のことが気になった。

明かされました・・・

なんだこりゃ、と思う。わたくしの言語感覚からすると、絶対にあり得ない表現である。この場合は、「・・・訴えを起こしたことについて、言及されました」くらいが妥当ではないかと思うのだが、いかがであろうか?
「明かされた」ということは、あたかも先生だけが知っていて、他は誰一人として知らなかったみたいに聞こえてしまうのだ。これはおかしいだろう。たとえば、御遺命守護の戦いの中で、浅井先生だけが知っていること、当時の妙信講員には言わなかったようなことがあるかもしれないが、そういうことをずっと後になってから発言すれば、まさしく「明かされた」ということになるのだと思う。
しかし、矢野氏のことは誰もが知ろうと思えば容易に知り得る情報なのだから、「明かされた」などという、そんなモッタイブッタ言い方をする必然性はどこにもないはずなのである。

つまり、こういう言葉の端々に、先生を偉く見せようとの意図が出てしまっているように思えるのである。

もし男子部長がこうした表現を意図的に使っているとしたら、ひじょうにマズイことである。逆に意図的ではなく、無意識に使ってしまっているとしたら、もっと勉強せよと言いたいところだ。さらには編集部にも責任があるに違いない。

この記事の直下には副総合女子部長の文章が載っている。これがまたヒドイのだ。本当に大丈夫なのかと心配になる。

 以来三年が経ち、先生の連々の諫暁により五月十二日、ついに大御本尊様の御裁断は下り、諸天は動き、学会に自界叛逆が起こった(以下、省略)

引用が長くなるといけないので、ごく一部に絞ったが、もはや、わたくしには詳細を説明するだけの気力が起きてこない。
ようするに副総合女子部長の言っていることは、浅井先生が三年前に宗門諫暁を行なった、すると、その現証として三年後に、創価学会に自界叛逆の罰があらわれた、ということなのである。
わたくしの読み間違いであればいいのだが、おそらくは誰が読んでも同じはずである。宗門と創価学会が仲たがいをする以前であればまだしも、今は完全に分裂しているわけだから、宗門諫暁の現証が創価学会にあらわれるのは、おかしな話であろう。まるで八つ当たりみたいなものだ。

幹部連中がこのテイタラクでは、どうしようもない。

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