2009/2/14

ミステリータッチの文章?  
このところ、山門入り口氏とわたくしとの間で、ちょっとした論争が起きている。簡略に言えば、現総合女子部長は傀儡か否かという議論であり、山門氏は傀儡であると主張しているのである。誰の傀儡かと言えば、前総合女子部長の傀儡なのだそうである。

わたくしは違うのではないかと思っているので、氏に根拠を提示するように求めた。これに対して、氏はこれまでいろいろと根拠らしきものを挙げてはいるものの、どうやら決定打を示すことはできなかったようである。
一方の、わたくしの言い分は簡明である。前総合女子部長は事実上の引退であり、おそらくは健康上の理由から引退せざるを得なかったのだと思われる。よって、もはや陰で人を操るような余裕はないのではないか、ということなのだ。
そもそもの言い出しっぺは山門入り口氏なのだから、氏には証明義務がある。けれども今までのコメントを読む限り、とてもじゃないが証明し切れているとは言えないだろう。

副総合女子部長が二人いて、現総合女子部長が二階級特進は不自然だと言えます。
加藤女史の発言力が有ったから可能だと見るのが妥当ではないでしょうかね。


これは単なる思い込みである。まず、二階級特進であるが、前例がないわけではないだろう。世間の事例を見ても、二階級の特進などはザラにあることだ。
ゆえに、これをもって加藤女史の発言力を云々するのは短絡である。おそらくは思い込みがそのような思考を生むのだろう。考えてみるがいい、よしんば二階級特進が顕正会では前例のないことだとしても、それが誰の後押しによって可能となったかは不明のことである。
さらに言えば、仮に加藤女史の後押しであることが判明したとしよう、はたしてそれが傀儡の根拠となるのかどうか、なのである。もちろん、幾分かは傍証の意味がないわけではないが、しかし、決定打とは言えないだろう。
わたくしの見解はすでに示してある。つまり、事実上の引退だということだ。ゆえに、たとえ彼女が二階級特進の後押しをしたのだとしても、それで彼女の仕事は終わりなのである。

もっとも、こうも引退を強調して、もし今後も加藤女史が頻繁に表舞台に登場するようであれば、わたくしの見通しは完全に間違いだったことになる。今回の議論では誰も指摘していないが、彼女は教学主任であると同時に今も理事職に就いているはずなのである。ゆえに女子部を引退したものの、今も顕正会の最高幹部の一人であることには変わりがないはずなのだ。

しかし、どうだろう、わたくしの直感ではもう出てこないのではないか、と思うのである。

さて、水無月氏のコメントであるが、これは貴重である。よって、以下にそのまま転載させていただく。

克衛さん、平成18年5月総幹まで壇上にいましたよ。
同年6月5日号顕正新聞1面写真で確認。
このときの席次(役職は当時のもの・これ以外は省略)。


  齋藤浩記元16隊長
  浅井克衛主任理事 神崎優子事務総長
  鈴木衛護隊長 加藤礼子総合女子部長
  浅井会長 浅井城衛男子部長 

前      【壇  上】
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     一 般 会 員 席

で、同年10月の男子部臨時幹部会には出席せず。
10月総幹では克衛氏のいた場所に女性がいました。


実はわたくしも同様の視点で拙文を草している。

http://white.ap.teacup.com/ganko/180.html

わたくしの目にした写真は水無月氏のそれとは異なる。すなわち平成十七年の十月度総幹部会がわたくしのそれであり、氏のほうはご覧のごとく翌年の五月度総幹部会の写真なのである。
漠然とした印象ではあるものの、この頃の顕正新聞はカメラのアングルを意識的に変えて、なるべく克衛を写さないようにしていたのではないかと思われる。おそらくはそれが一因なのだろう、いわゆる克衛失脚説が流れ始めたのはちょうどこの時期なのである。ゆえにわたくしはくだんの写真を見て驚いたのだ。
問題はいったい何年何月の総幹部会から席順が変わったのか、それがひじょうに気になるところである。これは当時の班長以上の幹部であれば知っているはずであるから、その証言が待たれるところである。
少なくとも現段階で確実なのは、平成十七年の十月からであり、それが翌年の五月まで続いたことになる。

これはある意味、克衛にとっては屈辱的なことではなかったか、と思う。すると最後は居たたまれなくなって、それでついに姿を消したのだろうか?

当然、最大の疑問は浅井先生と克衛との関係がどうなっていたか、そこがもっとも問われるところである。いったいこの父子の間に何があったのか、まさか我が息子を辱めるような仕打ちをするものだろうか、と思うのだ。もし、それほどまでに関係が悪化していたのだとしたら、その原因は何か、ひじょうに気になるところである。

 壮年部班長会は(中略)最後に浅井(克)主任理事が気迫をこめて指導した。

 集会の最後を締め括った各部長そして主任理事は、(以下略)

わざわざ古い新聞を引っ張り出して調べてみた。これは顕正新聞第974号であり、平成十六年の七月度班長会を伝える記事である。続いて第979号をご覧に入れよう。

 九月度総幹部会の席上、本部機構の一環として「教学室」が設けられ、初の教学室長には浅井克衛主任理事が、(中略)任命された。
 この教学室は、今後巻き起こるであろう邪宗との論争にそなえ、さまざまな邪教の教義・実態等の研究機関として設置されたものである。


当時の主任理事はいわば壮年部担当であり、毎月の班長会で熱弁を振るっていた。これまた壮年部員の証言が待たれるところであるが、壮年部から離れたのはいつなのか、そこがひじょうに気になるところである。
わたくしの確認した範囲では、前掲の記事が壮年部班長会における克衛の存在を示す最後の資料である。そしてご覧のごとく、九月度総幹部会では教学室長に任命されている。どうもこの時期に壮年部から離れた様子なのである。
もし、そのとおりだとしたら、克衛は教学室のほうで何かの研究に専念しているのだろうと、おそらくは誰もが想像したことだろうと思う。翌年にはあの「対決申し入れ」があった。あるいはこのお膳立てというか下準備に労力を費やしていたのだろうかとの想像もできなくはない。

ちなみに顕正新聞第988号には、次のごとくある。

新生壮年部 年末に幹部会開く

すなわち平成十六年の十二月二十六日である。ここに克衛の姿はない。
そして話を最初のほうに戻すが、平成十七年十月ないし平成十八年五月の総幹部会においては、誰もが降格を想像せざるを得ないような席順に変わっているわけである。
これでおおむね材料が出揃ったと思う。

もしかしたら教学室長は単なるポーズであって、すでにこの時点で第一線から退かざるを得ない事情があったのではないか、と思えてならないのである。しかし、影響力を鑑みて、徐々にフェイドアウトしていくような措置を講じた、それが教学室長ではなかったか、というのがわたくしの考えである。

それともこの時期まではまったく問題がなくて、その後に何かしら重大な問題が発生したのだろうか?

いちおう、話をまとめよう。わたくしは現在のところ前者が有力ではないかと思っている。それで加藤女史の教学主任も、単なる名目上のことであって事実上は引退だろうと考えたのだ。

2009/2/15  0:15

投稿者:水無月
>よしんば二階級特進が顕正会では前例のないことだとしても、

確かに二階級特進は調べる限りでは現在の階級制になってから、四者中央幹部では皆無ですね。
たとえば男子部の支隊長補が隊長に昇格するのは、厳密に言えば二階級特進と言えるでしょうが、これは中身の無い、見かけ増強のためには無理やり人材不足の中を探すわけですから仕方ないのかもしれません。
しかし中央幹部ともなるとほぼ例外なく順番に昇格していくわけですし、今回小峰昌子さんが副総合婦人部長に昇格したのも順送りで次の総合婦人部長となる布石ですから。
逆に成果を出せずに二階級降格なんてのは中央幹部でさえザラですがw。

2009/2/14  20:15

投稿者:山門入り口
残念かがら、これ以上公開できる情報を出せないので、立証が不可能です。

>それほどまでに関係が悪化していたのだとしたら、その原因は何か、ひじょうに気になるところである。

メールアドレスでも公開すれば、教えてくれる方もいるかも知れませんよ。
公には話したくない、話せない方もいます。


諸々の事情を知るには、管理人さん自身が会合に参加して、周りの方と話をすれば、見えてくる物も有ると思いますが、ぜひ、現在の顕正会を中から見てどのように感じたか、教えてもらいたいですね。


http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77

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