2009/5/17

会員軽視の一端  
渡辺氏の分析はおおむね正しいのだろう。思いっ切り端折ってしまえば、戸田創価学会は好きだったけど池田創価学会は大嫌い、というのが浅井先生の姿である。しかし、具体的にはいつどのようにして嫌いになったのか、それがわからないし、ましてや最初から嫌いだったとするならば、その決定的な証拠は何か、それがまだ提示されていないのではないかと思うのである。

嫌いになるにはそれなりの原因がある。だが、どうもその辺がはっきりしていないように感じるのである。

この件に関しては、おそらく顕正会側の言い分のほうがスッキリしているだろう。いわゆる試練と忍従の歴史には、法華講連合会の平沢氏が創価学会の意向を受けて妙信講に圧力を掛ける場面が出てくる。もちろん、その記述が正しいかどうかが問われるところだが、それは別問題である。ようするに、浅井先生が池田氏を嫌いになった理由は法華講連合会との軋轢にあった。浅井先生は連合会を背後であやつる人物を池田大作であると考えた。ここが淵源ではないかということなのだ。
最初から嫌いだった、気に食わないヤツだと思っていた、というのは感情論として当然あり得る話ではあるのだが、いかんせん、それを裏付ける証拠がない限りは断定できないことである。
ゆえに、現時点では連合会との軋轢が池田創価学会を嫌いになったキッカケだと、このように考えるしかないと思うわけである。

さて、顕正新聞第1135号の最終面には、食に関するコラムが掲載されているが、今回は「タラの芽」が取り上げられている。これはめずらしい。もしかしたら初めてかもしれない。

実はそれにもまして、めずらしい記事があるのだ。同じく最終面であるが、下段の右隅に次のような記述がある。

四月度女子部班長会
 5月3日午後2時より開催


班長会は月末に行なわれるのが通例である。おそらくは五月の上旬に女子部幹部会が行なわれるためなのだろう、四月末の女子部班長会はナシということだった。ところがどういうわけか、急遽開催することになったのだ。

その理由はわからないが、ともかくこうした急の変更はいろいろのところに無理が生じてくる。たとえば、次の記事がそれをよく物語っている。

〔お知らせ〕
前号掲載の「四月度総幹部会ビデオ放映会場一覧」に中止と追加がありましたので、お知らせいたします。


中止と追加がありましたので・・・

これはおかしな言い回しであるが、それはどうでもよいことだ。急遽開催されることになった女子部班長会は五月三日の午後二時からである。くだんのビデオ放映の中止は五月三日の午後二時前後に予定されていたものである。追加はもはや言うまでもないが、中止になった分を別の日時に振り替えたものである。

つまり、女子部班長会に押されて、総幹部会のビデオ放映は日時を変更せざるを得なくなったのだ。

わたくしは思う。だったら最初から例月どおり女子部班長会を予定しておけば、よかったのだ。ところが、そうはしなかった。なぜ予定しなかったのか、逆に、なぜ間際になって行なうことになったのか、その辺がいぶかしいところだ。

さらにケチをつけるならば、総幹部会と女子部班長会とどちらが優先されるべきものなのか、と言いたいところである。
おそらくは総幹部会の本番とビデオ放映は違うというような意見もあることだろう。つまり、総幹部会の本番>班長会>ビデオ放映、という優先順序である。
しかし、わたくしはあえてイチャモンをつけておきたい。その考え方は会員軽視である。幹部会員と平会員では幹部会員がエライのだという驕りが露呈してしまっているのではないかと言いたい。


2009/5/18  17:57

投稿者:渡辺雄二
追加です。
 こんなことも言ってました。
 「本山で池田とすれ違うと、池田はいつもセンンセーを睨みつけて
いた」
って。
 これもできすぎた話だと思いませんか?
 田舎から出てきて一儲けしようとしていた野心をそのまま信仰に持
ち込んだ親父の背中をみたセンセーはこんなものでしょう。

2009/5/18  17:56

投稿者:渡辺雄二
平沢元委員長は別に池田の言うことを聞いていた訳ではないですよ。
法華講連合会発足のころ報道であるとか、日達上人のお言葉をみれば
わかります。
学会に「旧信徒」と莫迦にされる根檀家の皆さんに「あなた方にもこ
んなに多くの仲間がいるでしょう。和合していきましょう」というの
が目的だったんです。
「統合」ではなくて「連合」なのですから、指導系統でもないんです

ところが、浅井は「独自色が出せない」って、噛み付いたり、なにか
について足並みを乱したり、連合会に加わりたくないって我がままを
いうので、連合会執行部も良くは思わなかったのでしょう。
浅井の言うような嫌がらせがあったかどうかは知りませんけど。
ところでね、古参幹部が時折こんなことを言ってたんです。
「仮客殿建立のときに、有力信徒が集められた。そのときに御宗門が
『御供養を』って言った席で、みんなが『三度の飯が食えなくて二度
の粥が精一杯の時に御供養なんて』って口にした。ところが甚兵衛さ
んだけは『それなら粥を一日一回にすればよいことだ』って言った。
その後で戸田さんが『やられた』って耳打ちしたんだ」
 これ、まるで作り話なんですよね。
 この話に浅井親子の心根が出ていると僕は思いますよ。
 言葉は悪いけど、甚兵衛さんの時代に東京に出てくる人っていうの
は、ゴールドラッシュと一緒ですよ。
 多かれ少なかれ、みんな野心家。
 大体が戦前から信仰していて妙光寺様、豊島教会など渡り歩いたの
に、世話になった先輩信者、特に内山ワカさんなんて超有名人の名前
なんか一切口にしない。御僧侶だって大東院様を筆頭に、たくさんの
方にお世話になったというのに一言も言わない。
 おかしいでしょう?
 心根が腐った野心家が猫をかぶっていた時期があったと思うのが自
然ですよ。
 

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