2009/5/21

教義論争の終着点  
まず、のび太氏に申し上げるけれども、会長本仏論が公式見解のはずはないし、それは非公式においても同様だと思う。ただし、今はどうだか知らないが、一時期に限って言えば、池田氏を持ち上げ過ぎていたことがあって、そのことが問題視されたわけである。典型的な例は、会長に帰命する、というような表現があった。

自分の所属するところのリーダーを、尊敬の眼差しで見つめることは悪いことではないし、むしろそれが理想だと思う。しかし、それが度を過ぎてしまってはいけないわけで、ことに日蓮正宗系の信仰においては大聖人を御本仏と仰ぐわけだから、いかにリーダーが立派であっても大聖人よりも偉くなってしまったら本末転倒である。

れん氏のコメントはそうした意味を含んでいるのだろう。

実は池田会長本仏論に警鐘を鳴らしたのは、おそらく宗内では浅井先生がいちばん最初ではなかったかと思われるのだ。この功績は決して小さくないと思うのだが、しかし、なんと今は浅井先生が同じ轍を踏んでしまっているわけである。これがわたくしには悲しくてならない。

しかも、おそらくは創価学会よりも遥かに深刻である。

創価学会は昭和五十年代に上述の会長本仏論を含めて、さまざまの意味で反省を示している。それは宗門側からの指摘を受けてのことだった。
この事実は大きい。ともかく一度は反省したのだ。
ところが顕正会の場合はどうだろう。おそらくは一度も反省していない。逆に言うと、宗門から指摘されることがないので、反省する機会がなかったとも言えるのだ。

もっとも浅井先生の性格からすれば、注意されても反発するだけなのかもしれないが・・・

ともかく早くに解散処分を受けてしまって、それ以降、宗門とは無関係の団体になってしまった。いわゆる異流儀団体である。それゆえに宗門側から細かい点でツッコミが入ることはなく、ある意味では会長の勝手放題の組織になってしまったのである。
創価学会の強大なる金力・権力・・・などと顕正会では言うけれども、それでも昭和五十年代には宗門からの指摘を受けて反省をした。では顕正会はどうかと言えば、もはや注意をしてくれる人はいない。

まさに深刻である。

ところで渡辺氏のコメントであるが、今に始まったことではないのはそのとおりだろう、ゆえにわたくしは最新事情と書いたのだ。

それはともかく、次のセリフが衝撃的である。

「日蓮正宗とは違う教団だから」

これまた深刻な事態である。

ようするに今の顕正会は宗門との接触を極度に恐れているのだろう。それが如実にあらわれているのが上掲のセリフだと思われる。
かつて日達上人は、国立戒壇が正しいのならば国立戒壇宗を立てて勝手にやればよろしい、という意味のことを仰せになられたことがある。おそらくは妙信講に手を焼いておられたのだろう。解散処分の後も対応に苦慮されていたのだと思われる。
ところが今はそれが逆転してしまった。今、対応に苦慮しているのは顕正会側なのである。ゆえに正宗側との接触を絶つために、なんと自ら異流儀団体であることを宣言してしまったわけである。

しかし、この逃げ口上はまったく逃げ口上になっていない。冨士大石寺を冠している以上、どちらの主張が正しいかの論議は、永遠に繰り返されるのである。

ちなみに、つい先日まで各種掲示板を賑わしていた東亜の星なる人物の主張も、その一形態であろう。

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