2009/5/30
迷走するブログ
引き続き渡辺氏からコメントが寄せられているが、じゃっかん意味不明である。
間接か直接かはしらないけれど、櫻川とは犀角つながりでしょう。
これはおそらく、櫻川氏の今度の出版に何らかの形で犀角氏が関与している、という意味ではないかと思われる。その事実関係はわたくしのあずかり知らぬところであるが、少なくとも両者に交流があるのはよく知られるところである。
面白いことであるが、この件に関して渡辺氏は、浅井先生とまったく同じ攻め筋を用いていることになるのだ。いや、別に面白いとかの次元で論ずることではないのだが、ともかくいちおうは共通点と言えるのではないかと思う。すなわち、犀角独歩は大謗法者である、という認識において一致しているのだ。よって櫻川は謗法与同であると・・・
六月中旬には書店に並ぶらしい。そうすると六月度総幹部会の会長講演でこれを取り上げる可能性がある。
しかし、微妙なところだ。最近の浅井先生は都合の悪いことを隠す・・・いや、これは最近ではなくて昔からかもしれないが、いずれにしても都合が悪いと判断すれば取り上げないかもしれない。
逆に、一般書店に並ぶとなると、どうしたって多くの顕正会員の知るところとなるので、あるいは避けて通れないと判断するかもしれない。この場合、今までの先生のやり口からすると、かなり過激な発言が飛び出すのではないかと予想されるところだ。
黙殺か、それとも徹底抗戦か、今の段階では微妙である。
もし仮に言及するとなると、その手口はおおむね見えている。ようするに、櫻川は謗法者に与する悪人である、というレッテル貼りに主眼を置くわけである。これが浅井先生の常套手段である。
顕正会員は謗法に敏感である。例のお守り切断事件が象徴的とも言えるだろう。
ゆえに櫻川氏を謗法与同であると聞けば、氏を知る人であればまだしも、まったく知らない多くの顕正会員はもうそれだけで危険人物なのだと思い込んでしまうのだ。
かつてのわたくしがそうだった。妙観講の大草は大謗法者の誰彼と交流がある・・・という記事が冨士に掲載されたことがある。当時のわたくしはその冨士の記述しか知らなかった。ゆえにそれを鵜呑みしていたのである。現在はインターネットでさまざまの情報を得ることができるので、一つの情報を鵜呑みにすることはないけれども、当時はそうした思考の至らなさにすら気がつかなかったわけである。
はたして今の現役顕正会員たちがどうであるかと言えば、さすがに二十年前のわたくしが置かれていた状況とは異なるだろうけれども、それでもレッテル貼りはそれなりに効果を発揮することだろうと思われる。
逆に櫻川氏の立場になって考えてみると、おそらく謗法与同者であるという批判を受けることは百も承知のはずである。まさか相手の、この場合は浅井先生であるが、その常套手段を見抜けないような人が、顕正会批判の本を書けるわけがないのである。もし氏がすでに正宗信仰から卒業(?)しているのならば、話は別だろう。しかし、前著であるところの本門戒壇の本義は、基本的には正宗教学の範疇で書かれているのである。それでいて正宗信仰から卒業しているとしたら、支離滅裂もいいところだ。
つまり、櫻川氏は今も正宗信仰者である。もちろん所属の問題が曖昧ではあるけれども、少なくともわたくしは氏を正宗信仰者の一人であると認識している。
ゆえに、謗法与同の件に関しては、何かしら子細があるのだろう。
最後に、浅井先生にクギを刺して置こうと思う。櫻川氏を攻撃するとすれば、その材料に謗法与同云々が使われるのは火を見るよりも明らかである。それは当然のことではある。
しかし、問題は本の中身である。著者にしてみれば、本の内容とは別のところで批判されることほど心外なことはないのだ。自分が書いたことの是非を知りたいのである。
もし顕正会が正々堂々ならば、真っ向勝負で本の中身に対して破折を行なうべきだろう。
間接か直接かはしらないけれど、櫻川とは犀角つながりでしょう。
これはおそらく、櫻川氏の今度の出版に何らかの形で犀角氏が関与している、という意味ではないかと思われる。その事実関係はわたくしのあずかり知らぬところであるが、少なくとも両者に交流があるのはよく知られるところである。
面白いことであるが、この件に関して渡辺氏は、浅井先生とまったく同じ攻め筋を用いていることになるのだ。いや、別に面白いとかの次元で論ずることではないのだが、ともかくいちおうは共通点と言えるのではないかと思う。すなわち、犀角独歩は大謗法者である、という認識において一致しているのだ。よって櫻川は謗法与同であると・・・
六月中旬には書店に並ぶらしい。そうすると六月度総幹部会の会長講演でこれを取り上げる可能性がある。
しかし、微妙なところだ。最近の浅井先生は都合の悪いことを隠す・・・いや、これは最近ではなくて昔からかもしれないが、いずれにしても都合が悪いと判断すれば取り上げないかもしれない。
逆に、一般書店に並ぶとなると、どうしたって多くの顕正会員の知るところとなるので、あるいは避けて通れないと判断するかもしれない。この場合、今までの先生のやり口からすると、かなり過激な発言が飛び出すのではないかと予想されるところだ。
黙殺か、それとも徹底抗戦か、今の段階では微妙である。
もし仮に言及するとなると、その手口はおおむね見えている。ようするに、櫻川は謗法者に与する悪人である、というレッテル貼りに主眼を置くわけである。これが浅井先生の常套手段である。
顕正会員は謗法に敏感である。例のお守り切断事件が象徴的とも言えるだろう。
ゆえに櫻川氏を謗法与同であると聞けば、氏を知る人であればまだしも、まったく知らない多くの顕正会員はもうそれだけで危険人物なのだと思い込んでしまうのだ。
かつてのわたくしがそうだった。妙観講の大草は大謗法者の誰彼と交流がある・・・という記事が冨士に掲載されたことがある。当時のわたくしはその冨士の記述しか知らなかった。ゆえにそれを鵜呑みしていたのである。現在はインターネットでさまざまの情報を得ることができるので、一つの情報を鵜呑みにすることはないけれども、当時はそうした思考の至らなさにすら気がつかなかったわけである。
はたして今の現役顕正会員たちがどうであるかと言えば、さすがに二十年前のわたくしが置かれていた状況とは異なるだろうけれども、それでもレッテル貼りはそれなりに効果を発揮することだろうと思われる。
逆に櫻川氏の立場になって考えてみると、おそらく謗法与同者であるという批判を受けることは百も承知のはずである。まさか相手の、この場合は浅井先生であるが、その常套手段を見抜けないような人が、顕正会批判の本を書けるわけがないのである。もし氏がすでに正宗信仰から卒業(?)しているのならば、話は別だろう。しかし、前著であるところの本門戒壇の本義は、基本的には正宗教学の範疇で書かれているのである。それでいて正宗信仰から卒業しているとしたら、支離滅裂もいいところだ。
つまり、櫻川氏は今も正宗信仰者である。もちろん所属の問題が曖昧ではあるけれども、少なくともわたくしは氏を正宗信仰者の一人であると認識している。
ゆえに、謗法与同の件に関しては、何かしら子細があるのだろう。
最後に、浅井先生にクギを刺して置こうと思う。櫻川氏を攻撃するとすれば、その材料に謗法与同云々が使われるのは火を見るよりも明らかである。それは当然のことではある。
しかし、問題は本の中身である。著者にしてみれば、本の内容とは別のところで批判されることほど心外なことはないのだ。自分が書いたことの是非を知りたいのである。
もし顕正会が正々堂々ならば、真っ向勝負で本の中身に対して破折を行なうべきだろう。
2009/6/1 20:12
投稿者:山門手前
2009/6/1 8:30
投稿者:渡辺
櫻川と犀角がつながっている....こんなのは当たり前で、そうは書いて
ないんですよ。
「櫻川とは」ってのを見て心当たりのある人間がいることでしょう。
謗法の人と個人的な面識があれば、寝食をともにすることだってある
でしょうが、それは問題ではないし、そんなこといったら謗法を折伏
できないでしょう。
でも、そこにはいくつかのリスクがある。
いつ自分が謗法を犯すか分からない危険性が多分にある。
それを軽い気持ちで考えた人間はみな崩れていってます。
妙観講を誹謗しつづけたWは学会に取り込まれて結局は法廷で三宝様
を誹謗してしまい、日蓮正宗から除名になったし、それに騙された人
は不憫。
嘘を一度いいつづけたら百も二百も嘘をつかなければならない、この
常識を甘く見て嘘に嘘を糊塗している人もこれに類することです。
大聖人様も「用心深きがゆえに魔に誑かされず」と自ら仰せです。
それが分かってない人は、いずれは落ちるでしょう。
ちなみに「櫻川とは」っていうのはマジョーラカラーの表現です。ゴ
メンナサイね。
たまに使います。
そうすると色々なことが見えてくるからです。
今回も。
ないんですよ。
「櫻川とは」ってのを見て心当たりのある人間がいることでしょう。
謗法の人と個人的な面識があれば、寝食をともにすることだってある
でしょうが、それは問題ではないし、そんなこといったら謗法を折伏
できないでしょう。
でも、そこにはいくつかのリスクがある。
いつ自分が謗法を犯すか分からない危険性が多分にある。
それを軽い気持ちで考えた人間はみな崩れていってます。
妙観講を誹謗しつづけたWは学会に取り込まれて結局は法廷で三宝様
を誹謗してしまい、日蓮正宗から除名になったし、それに騙された人
は不憫。
嘘を一度いいつづけたら百も二百も嘘をつかなければならない、この
常識を甘く見て嘘に嘘を糊塗している人もこれに類することです。
大聖人様も「用心深きがゆえに魔に誑かされず」と自ら仰せです。
それが分かってない人は、いずれは落ちるでしょう。
ちなみに「櫻川とは」っていうのはマジョーラカラーの表現です。ゴ
メンナサイね。
たまに使います。
そうすると色々なことが見えてくるからです。
今回も。
頭大丈夫?(大笑)
http://maglog.jp/renmen/