2009/8/10

『迷走する顕正会を斬る』にひそむ矛盾点  
ここ最近は『迷走する顕正会を斬る』に批判を加えているわけだが、今のところは我ながら決定打に欠いていると思う。それは当該書籍の内容がすぐれている証拠なのだろう。しかし、何事もそうだが、百点満点ということは滅多にあるものではない。ゆえに本書にもいろいろな瑕疵があるはずなのだ。

おそらく、もっともオーソドックスな批判の方法は、相手の矛盾点をえぐり出すことだろう。さて、『迷走する顕正会を斬る』には、どのような矛盾がひそんでいるだろうか?

 戸田会長という圧倒的なカリスマ性を持つリーダーを失った創価学会が、失速するだろうと予測するのは自然である。(中略)
 しかし、そうはならなかった。会長空位の二年間においても、その勢いが収まることはなかった。戸田氏の作り上げた教団モデルと組織は、もはや戸田会長というカリスマも必要としなくなっていた。その路線に乗ったのが、第三代会長の座に着いた池田大作氏であり、彼は七五〇万世帯の弘通をしたのは、すべて自分の功績だと会員に思わせた。

これは73ページに出てくる文章であるが、おそらく創価学会員にとって、カチンと来るところではないかと思う。とりわけ文末は、池田崇拝者が激怒してもおかしくないような物言いである。

さて、次は292ページである。

 戸田会長が切り開いた独創的な教団モデルの有効性は、若き浅井昭衛氏の眼前で実証されていた。すでに検証された戸田路線に従えば、自分も同様に成功が約束されていることは間違いない。昭衛氏がそう考えて不思議ではない。
 しかし、一つのビジネスモデルが有効である期間は、決して長くない。トップは常にそこに注意を払い、環境の変化に敏感でなければならない。戸田氏は実業家だったから、そうした能力もあっただろう。しかし、戸田氏の会長在位は七年の短さであり、昭衛氏は戸田路線も絶えざる修正・改良を要することを、学ぶ機会がなかった。


前者と後者は矛盾していないだろうか?

一言で片付けるならば、池田大作氏に対する評価が不当に低い。
ようするに、戸田路線をそのまま踏襲しただけでは創価学会の発展はなかった、まさに絶えざる修正・改良があったからこそ伸びたのだろう。そこには自ずと池田氏の功績があるわけで、それを認めないわけには行かない。逆に、浅井先生にはそのような創意・工夫がなかった。
つまり、この件で浅井先生を批判するのであれば、反比例する形で池田氏を評価しないとツジツマが合わないはずなのだ。しかるに、前掲の文末のあたりは創価学会員の神経を逆撫でするような書き様になっている。

櫻川氏は腐っても元顕正会員であるから、池田氏を持ち上げるような文章は書きたくなかったのかもしれない。しかし、理由はそれだけだろうか?

大胆な推測を申し上げれば、櫻川氏と宗門の間で何らかの密約が交わされているのではないか、とわたくしは睨んでいる。
少ないながらも手掛かりがないわけではない。先般、総本山に七万五千人からの法華講員が集結した。この時の様子は法華講員のブログなどに詳しいが、なんと『迷走する顕正会を斬る』が本山で売られていたというのだ。当然ながら宗門側の了承を得てのことだろう。
もう一つ、手掛かりがある。櫻川氏の前著である『本門戒壇の本義』には、次のごとくあるのだ。

近年の宗史の素描では、人と組織の名称・役職は当時の呼称を用い、細井日達師は細井管長の呼称で統一した。

ちなみに『迷走する顕正会を斬る』では、

 なお、登場人物の多くは現存する方々であり、一般人には氏、僧職者には師、あるいは当時の役職名を付した。宗祖である日蓮大聖人は別格とし、大石寺の歴代は上人とした。

と、まえがきに書かれている。

つまり、前著では細井管長、そして今度の本においては日達上人と表記している。先ほど、腐っても元顕正会員と書いたが、日達上人の呼称は現在の顕正会員に馴染まない。あるいは櫻川氏の場合、腐っても元妙信講員という意味で日達上人とするにヤブサカではないのかもしれないが、ともかく前著との相違がある以上、別の意図があると勘繰られても仕方がないであろう。

よって、櫻川氏と宗門との間で何らかの密約があったのではないかと考えることも、あながち荒唐無稽ではないと思うのだが、いかがだろうか?

そこで元の話に戻るわけだが、池田氏に対する評価が不当に低いのは、なぜか? それは著者が宗門と裏で通じているから・・・ということになる。

ひとくちに顕正会批判と言っても、さまざまである。創価学会側からの顕正会批判もあれば、宗門側からのそれもある。立場によって視点が変わるわけだし、その個人の力量もある。今回の拙稿で明らかのごとく、『迷走する顕正会を斬る』はどちらかと言うと、宗門寄りである。おそらく当該書籍を読んだ人ならば、誰もが同じ感想を懐くことだろう。
しかし、それは大雑把な捉え方であって、委細に見るならば櫻川氏独自の視点から書かれている部分が少なくない。実を言うと、顕正会だけでなく創価学会も斬られているし、なんと宗門も斬られているのだ。

ところがである。先ほど述べたごとく、本書は大石寺の売店(?)に置かれているのだそうである。わたくしは宗門の太っ腹に痛く感銘を受けた。いや、太っ腹という表現はいただけない、おそらくはこれが「正直」ということなのだろう。

今日は話が散漫になってしまったようだ。

2009/8/21  1:56

投稿者:OM
☆ワラシナさん、お久しぶりです。

お元気でしょうか。

大石寺の売店、ブックス広布とかいいましたっけ?

知人の法華講員が買ってきたといって見せてくれましたよ。



☆巌虎さん

密約説ですか、陰謀論みたいでオモシロイですが、事実無根の勘ぐりでしょう(苦笑)

櫻川さんは現在はフリーの立場になっておられるのですから、密約を交わす必要もないでしょう。

池田サンを不当に低く評価しているというのも誤読ですね。

数だけを増やすことに大きな意味を感じないからこそ池田評価は低くなっているのですよ。

日達さんの呼称についても、本文を読めばそこから十分に類推はできることですよ。

まぁ、読み方はひとそれぞれ、ですが、書かれている志操を汲めないのでは読んだことにはなりませんね。

携帯サイトでは私とからみのある人たちのうち約30人ほどは購読していますが、現顕・元顕・現法華講・元法華講といろいろです。

中途半端なのではなく、それぞれに痛い記述があるから話題にできないだけなのでは?(苦笑)

中途半端というヒトは、ご自分で中途半端でないものを書けばよろしい、ということですね。

2009/8/12  14:51

投稿者:ワラシナ
>なんと『迷走する顕正会を斬る』が本山で売られていたというのだ。

当日それを確かめたかったのですが下山時間が近づき、おまけに疲れちゃってグランド仮設テントの中で横になってました。私は広場中央でした。

2009/8/10  12:23

投稿者:山門手前
>よって、櫻川氏と宗門との間で何らかの密約があったのではないかと考えることも、あながち荒唐無稽ではないと思うのだが、いかがだろうか?

一言、考えすぎで〜す(爆)!

妙信講時代からの顕正会員にとっては、現在の顕正会員以上に学会や宗門に対して批判的見方もやむをえないと思いますね。まだ、かなりの部分「抑えて」書かれていると思います。書くに書けない事も多々あるでしょうし「リファレンス」的な記述になるのは体裁・ページ上の制約から仕方ない事だと思います。


http://maglog.jp/renmen/

2009/8/10  11:20

投稿者:ニシケン
>委細に見るならば櫻川氏独自の視点から書かれている部分が少なくない。実を言うと、顕正会だけでなく創価学会も斬られているし、なんと宗門も斬られているのだ。

前に以下のコメントを書きました。

『迷走する顕正会を斬る』
読んだ感想です。
中途半端なんですよ。

巌虎さんが挙げておられる通りです。
どの組織からもスカン食らうでしょうね。
話題にならない訳です。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ