2009/8/13

批判シリーズ終了  
前回の拙稿に対して、二人よりコメントを頂戴した。しかし、いずれも不審である。
まず、とんび氏に申し上げる。記憶のままに書くのがいけないとは言わないが、ちょっと調べればわかることである。それを横着して曖昧な記憶をたよりに書くと間違えることになる。
また、山門手前氏には今一度、拙稿をよく読んでいただきたいと思う。おそらくは氏の勘違いか、さもなくばナナメ読みゆえの誤解であろう。そこに気がつくべきだ。

さて、今回をもって『迷走する顕正会を斬る』への批判を終了するつもりである。早い話がネタ切れであるが、ともかく本題に入ろう。

第九章には「浅井会長の不誠実」というタイトルがあって、その最初の項目が「御遺命守護完結の偽り」である。
ようするに櫻川氏は、御遺命守護完結はウソである、つまり、浅井先生はウソツキである、と言っているわけである。
わたくしはこれに異議を申し上げたい。

 御遺命守護完結とは、顕正会の掲げる戒壇義が宗門に受け入れられることであった。大御本尊の遷座とは別の問題である。大御本尊の遷座を、御遺命守護完結であるとすり替えることは、会員への謀りである。

さすがは浅井先生の弟子だっただけのことはある。ひじょうに言い方がキツイのだ。これがかつては宗門や創価学会に向けられていたわけだが、今は浅井先生に向けられているのである。

御遺命守護完結は大御本尊御遷座と別問題・・・

いや、そんなことはない。この際、過激な言い方をするならば、別問題かどうかは関係ないのだ。

まず、整理をしよう。別の問題なのか、それとも同じ問題なのか、これは見解の相違ということになる。
次の見出しには「正本堂を不浄とする偽り」とある。おそらく櫻川氏はこれが念頭にあるのだろう、正本堂を不浄と考えるのは間違いである、よって御遷座の絶対的必要性を認めない、当然の帰結として御遺命守護完結とは無関係、というのが氏の意見である。
しかし、これは一考を要するところだと思う。ここでは詳述しないが、もし正統派顕正会員がお出ましになれば、それなりの論陣を張ることだろう。つまり、正本堂を不浄であるとする説もそれなりに有力であり、当然ながら浅井先生はそれを主張しているわけであるから、それを不誠実とは言えないのだ。
不誠実と言えるのは、間違いであることを承知しながらワザとやっている場合だけである。先生はそれが正しいとの信念に基づいて主張しているわけだから、それはタバカリでもなんでもないのだ。

212ページの記述を引用しよう。これは昭和五十年の四月二十六日に行なわれた妙信講第十七回総会を伝えるものである。

 続いて浅井理事長は、「汚れた正本堂から清浄の奉安殿に大御本尊を御奉還申し上げることが御遺命守護の完結」と述べた。正本堂を不浄とし、大御本尊遷座に言及したのは、これが初めてである。

なお、参考として239ページの記述も紹介しておく。

 昭和五十年十二月、妙信講青年部大会で昭衛氏は、「誑惑の正本堂から奉安殿へ御奉還を」と講演した。大御本尊の遷座を求めた最初の発言である。

大御本尊遷座に言及したのはこれが初めて・・・
大御本尊の遷座を求めた最初の発言・・・

二つの記述を並べるとじゃっかんの錯綜を感じるが、それはどうでもよいことだ。ようするに、浅井先生はかなり早い時期に御遷座の主張を開始し、それからおよそ四半世紀にわたって主張し続けたのである。また、前掲の文章に明らかなごとく、先生は御遷座こそが御遺命守護の完結であると述べているのだ。
ゆえに、これは全顕正会員の了解事項であり、ここに謀りだとか不誠実だとかの要素が入り込む余地はまったくない。

強いて言えば、宗門への復帰、それにともなう御登山・御内拝、あるいは常住御本尊の下附など、こうした付帯事項が実現していないことが問題となる。ゆえに、浅井先生はこの点の釈明なり、もっといえば会員への謝罪をするべきだった。逆に言うと、それをしないから御遺命守護の完結には欺瞞があると言われてしまうのだ。

最後に、正本堂が不浄であるか否かの問題において、浅井先生は不浄であるとの認識であるが、一方の櫻川氏は次のごとく主張する。

 完工式への異教徒参列が堂宇を汚し、その不浄が二度と永遠に解除されないとする浅井説は、道理を欠いた詭弁だと言わざるを得ない。

これはまさに教義論争である。先ほど、わたくしは正統派顕正会員の登場を促がす意味のことを書いたわけだが、本当ならば浅井先生が自ら回答するべきだろう。

おそらくはそれが、御遺命守護完結を偽りであり会員に対する不誠実であると主張する櫻川氏への回答と同時に、本当の意味での会員への誠実さを証明することにつながるはずである。

2009/8/18  18:03

投稿者:ニシケン

改めて見ると・・・

浅井さんの発言には2通りありますね。
「汚れた正本堂」
「誑惑の正本堂」

「汚れた正本堂」
不浄の地、神父を招いた、となると思うのです。

「誑惑の正本堂」
学会・宗門が御遺命の戒壇と偽った。

どちらも顕正会の主張ですが・・・

「汚れた」と「誑惑」とでは意味合いが大きく違うと思うのですが、巌虎さんはどの様に考えられますか?

2009/8/16  8:38

投稿者:山門手前
>批判シリーズ終了

えっ!もう終わりなんですか・・・つまんないの〜!

>つまり、浅井先生はウソツキである、と言っているわけである。
>わたくしはこれに異議を申し上げたい。

教義教学以外にも、歴史の湾曲解釈や、歪んだ認識、刑事事件に関する釈明を行わない。など「不誠実」は数え切れず、妙信講時代から「血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない」等と言っておきながら現在では、血脈を否定している。これは明らかに「嘘つき」であって、それらを認識していながら異議を挟むのは、正常な判断が出来ているとは思えないです。
地震等の「各種予言」も「外れまくり」と言うのは、嘘つき以外にないです。

http://maglog.jp/renmen/

2009/8/15  19:53

投稿者:ニシケン
>浅井理事長は、「汚れた正本堂から清浄の奉安殿に大御本尊を御奉還申し上げることが御遺命守護の完結」と述べた。

「御遺命守護の完結」は上記の内容である事は明々白々です。

@日蓮正宗信徒に復帰できる
A幹部は常住御本尊がいただける
B一般会員も御形木御本尊が下附される
C浅井甚兵衛の遺影を抱きながら登山し、戒壇の大御本尊様御内拝が許される

等々、これらの事は「完結の暁」の姿であり、浅井さんの勝手な妄想です。
つまり、実現不可能な事、確約もない事を会員に吹聴して騙し続けていたと言う事です。
騙されていた側にとっては「何故?」となるのでしょうね。
櫻川さんがその例でしょう。
浅井さんが不誠実という前に、「約束は本当に実現するの?」という疑問も湧かなかったのかと不思議に思いますね。
確約の無い話である事ぐらい分かるでしょう。


2009/8/13  12:46

投稿者:山門入り口
正本堂建設前から不浄て認識があったと思いますよ。

『しかるに、いま事の戒壇とて、大石寺御堂裏地が堀り返えされている。
この地は曽って一般信徒の広大なる墓地である。「霊山浄土に似たらん最勝の地に」と御遺命遊ばした戒壇か、何故に不浄の墓所を堀り返してまで無理に立てられねばならぬのか。
凡夫の臭骨に壕れた土地が何故恐れ多くも大御本尊の御座所に選ばれねばならぬのか。道理を無視した強引の通る筈はない。
だがこれよりも百千万億倍許されざる暴挙がある。即ち御歴代上人の御正基御遷座である。
大聖人のもぬけられたる大導師として、先師上人その一生を法に捧げ拾い、いまその化を止めて静かに休み拾う処を、何の必要あって発き奉るのか。
しかも御歴代中多数の上人は御土葬とも洩れ承る。嗚呼先師すでに土に成り給う。
その霊土を誰大が荒し奉る権利を有する。況や謂れ無き工事に於ておや。殊に近代御高徳の某上人の御遺体に於ける恐れ多さ、伝え聞くに背筋の凍るを憶え、暗涙思わず頬を伝うのみ。
先師上人に対し奉る辱め、これに勝るは断じてあるべからずと繰り返えし憤りを新たにするものである。
 ここに歴代先師の定め伝うるが如く、事の戒壇は天母山に立たざるべからすと堅く信じ奉るものである。』

http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77

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